女川の自慢を取り戻す
牡鹿半島の付け根。優れた漁場を抱え、カキなどの養殖業も盛んだった女川町は、東日本大震災で壊滅的な打撃を受けました。町の整備計画もまとまり復興は着実に進んでいますが、公営住宅の完成はまだまだ先、その道は半ばです。しかし、この地でいち早く復活ののろしを上げた作業所があります。「仕事をつくり給料を向上させる。それも地域のものを使い、被災地から発信していくなら、やっぱり女川は水産の町。そこは挑戦しないとダメなんです」と語るのは、きらら女川の所長、松原千晶さんです。
理事長である阿部雄悦さんは長年、食品加工会社を経営しており、水産加工についてもすぐれた特許技術を持っていました。しかし、冷凍設備がなければ、海産物の仕入れもままなりません。やむなく被災後はかりんとうやパンの製造事業から立て直しを図ってきましたが、昨秋ついに当財団の助成を活用し、念願の冷凍冷蔵設備を手に入れることができました。これで女川のおいしいサンマを、ホタテを加工して全国に届けることができるようになる。震災から3年半、ついに水産加工部門が立ち上がりました。
とにかく動く。それしかない
阿部雄悦理事長はかねてから、障害者雇用に積極的で、おからを使ったかりんとう製造のノウハウを福祉事業者に提供するなどパイオニア的な活動を続けていました。
しかし、当の女川に作業所が存在しなかったことから一念発起。かりんとう製造を指導した縁から、鳥取で作業所づくりをしていた松原さんと組んで、きらら女川を立ち上げました。2010年12月のことです。すぐに利用者が増え、地域理解の深まりも感じ、町の中心部に引越を決めました。飲食スペースも備えた新たな店舗です。
「引越はおおかた2時までかかりました。で、震災が来たのが2時45分ごろ」。 その日、新店舗も阿部理事長の加工場もすべてが流されていきました。利用者さんにもいまだ行方が分からない方が2名います。
麻痺したような日々がひと月ほどつづきました。
「現実を飲み込むのに必要な時間でした。そして事業を止めておける限界でもありました」
きらら女川は、全国の作業所に、かりんとうの原材料や製品を出荷していました。事は自分たちだけではすまない。それで売上を上げて、給料をひねり出しているよその事業所にも迷惑がかかる。
選んだ決断は、活動拠点をいったん鳥取に移し、再生を狙うというもの。すぐに鳥取であらたに作業所を立ち上げ利用者を募り、6月には鳥取からの出荷を果たしました。
当面の目標は月給5万円
そうした苦闘を経て、女川にようやく戻ってきたのは2013年の7月。以来、鳥取の作業所に助けられながら、ともに給料のアップに務めてきました。
女川の海産物の加工を鳥取で引き受けたり、パン製造のエキスパートとなった鳥取の利用者さんが、女川まで出張指導に訪れたり。現在はそろって月給3万円を達成しています。
理事長にはもうひとつ、秘策があります。例の特許技術です。魚介類などの生鮮食品を、風味を損なうことなく冷凍保存することができます。この技術を今後はさらに広く活用し、電子レンジで温めるだけで、香ばしい焼きたてのサンマが食べられる冷凍食品など、どんどん新商品をリリースしていく計画です。
「春には JR 石巻線 浦宿-女川間が復旧し、駅前にはプロムナードができます。私たちもそこに入居が決まりました」と笑みを浮かべる松原さん。月給5万円達成への布石は十分です。
障害者の自立のみならず、女川の復興をすこしでも牽引したいという責任感にも似た意気込みが、きらら女川のタフな活動を支えていました。
整備した冷凍庫、冷蔵庫の前でサンマの水切り作業をおこなうきらら女川のみなさん
おからかりんとうの製造。こにも特許技術が生かされている
現在の女川港
助成金で整備した大型の冷凍庫、冷蔵庫
電子レンジでほくほくのホタテができあがり
理事長の阿部雄悦さんと所長の松原千晶さん
チンするだけで焼いたサンマのできあがり。煙もレンジの掃除もなし
市場から仕入れたサンマの水切り作業を副委員長もお手伝いさせていただきました