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東日本大震災 生活、産業基盤復興再生募金。助成先を訪ねて

公立小野町地方綜合病院が落成。全31件の助成事業が完了しました

震災発生から約4ヵ月後の7月1日よりスタートした、東日本大震災 生活、産業基盤復興再生募金では、計31件の復興事業に助成を行ってきました。その進捗状況をひとつひとつ報告してきましたが、今回お伝えする公立小野町地方綜合病院整備事業の新病院の落成により、助成事業はすべて完了いたしました。

公立小野町地方綜合病院整備事業

第5次助成、公立小野町地方綜合病院企業団

地域医療の砦となる新病院が復興のシンボルとして完成

町の中心部で新しく建てられた小野町病院は、3月3日より稼働を開始しました

地域医療の中核病院へ、落成式で誓う新たな決意

「震災で深刻なダメージを受けた病院を建て直し、地域のかたが安心して暮らせる医療体制を取り戻したい」。そんな思いを込めて公立小野町地方綜合病院企業団(以下:小野町病院)は本助成に申請。助成金20億円を使って、平成25年10月4日に新設工事、起工式をおこない、新病院の建設を開始しました。そして今年2月14日、待望の公立小野町地方綜合病院が完成し、落成式が執りおこなわれました。

小雪がちらつく中、約100名のかたが落成式に出席。式典の前には、竣功碑の除幕とテープカットがおこなわれました。落成式で藤井文夫小野町地方綜合病院企業団企業長は「震災後の混乱の中、ひとりの職員も欠けることなく、ここまでよく頑張ってくれました。今後は地域の中核病院として患者さん中心の医療を実践しながら、みなさまに一層信頼される病院を目指し、職員一同それぞれの役割に励みます」と挨拶しました。

落成式を見守る病院スタッフの胸には、これまでのさまざまな思いが去来します。「すべてがあっと言う間のできごとであり、昨日のことのようにも感じます」。そう話す新田俊幸事務長兼総務課長兼施設整備室長の表情は、感慨に満ちていました。

患者さんを守るため、全スタッフが団結

小野町病院は60年前に小野町、田村市、平田村、川内村、いわき市の5市町村が出資して開設した総合病院です。昭和45年に旧館を、平成2年に新館を建設。入院病床は119床、外来診療は内科をはじめ10 科の診療を行ってきました。この地域で不足する婦人科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科の診療、また人工透析治療、訪問看護などの在宅医療をおこない、市町村や老人福祉施設と連携し地域福祉にも貢献。さまざまな角度から地域住民の医療を支えてきました。

しかし、この震災で病院は甚大な被害を受けます。

震災に襲われた時、副院長兼看護部長の坪井裕子さんは、車で訪問看護に出かけていました。

「これまで体験したことのない強烈な揺れでした。この後どうすべきかを確認するため、病院へ電話をしたのですが、まったくつながりません。とにかくひとり暮らしの患者さんのことが心配でしたので、そのまま訪問看護を続けることにしました。患者さん宅を訪ねると、襖は外れ、家具が倒れ、窓ガラスも割れるなど大変な状態です。すでに避難されているかたもいらっしゃいましたが、ご自宅に残っていた患者さんを車に乗せ、離れた場所に住むご家族の元にお送りしました。ひととおり患者さんの安否を確認した後、病院に戻りましたが、病院も大変な状態になっていました」。

診療技術部長兼薬局長兼栄養室長の渡辺清さんは「薬局で勤務中に、地震に遭いました。棚の薬瓶が落下して床に散乱。ガラスも割れて足の踏み場もありませんでした」と振り返ります。

新田さんは、3月1日に病院に赴任したばかりでした。「ちょうど打ち合わせをしている最中に突如グラグラッときて、あちこちから悲鳴が聞こえました。スタッフには急いで病室へ走ってもらい、私は大騒ぎになっている隣の透析室へ向かいました。ドアを開けると、壊れた給水管の水が天井から漏れ出していたのです。慌ててそこにいたスタッフと、患者さんの命をつなぐ大切な医療機器にシートをかけてまわりました。その後、外来に行こうとしましたが、廊下のいたるところにブロックが散乱。通路を確保するため、今度はその片付けをはじめたのです」。

特に旧館は、倒壊の危険が指摘されるほど深刻な被害を受け、壁にはクラックが走り、天井が落ちた部屋も。給水塔の配管が壊れたため、館内は水浸しになりました。まずは全102名の入院患者さんと、14名いた外来患者さんを安全な新館や避難所に移動。しかし、この状態ですべての入院患者を守ることは困難です。そこで被害の少なかった国立病院機構 福島病院の1病棟を借り、医師2名、看護師10名が60名の患者さんと移りました。

「この時期が一番苦しかったですね」と坪井さん。「スタッフも被災者であり、守る家族がいますので、残ってくれと無理強いはできません。でも誰ひとり欠けることなくここで頑張ってくれました」。

薬、食料、燃料など、すべて不足する危機を乗り越えて

「被災してからは、別の病院や原発事故で避難されてきた患者さんも来院されるようになり、薬を出したくても在庫がいつ切れるかわからない状態でした。いつもは1ヵ月お渡しする所を2週間分にするなど工夫し、新しい薬が届くまでの約1週間を乗り切ったのです」と渡辺さん。

不足していたのは薬だけではありません。スタッフが福島病院に移動する燃料も満足に確保できない状態でした。新田さんは、知り合いに連絡を取り、ガソリンがあると聞けば長蛇の列に並び、燃料の確保に走り回りました。

新田さんのご自宅も地震で半壊しました。暖房が使えない部屋で布団にくるまり、食事も1日1食インスタント食品を食べるだけ。スタッフが自宅でおにぎりを握って炊き出しをしてくれたのが、なによりありがたかったと話します。

「藤井企業長におにぎりをお渡しすると、とても喜んでいただけました。医師は交代しながら24時間体制で勤務されていましたので、自宅にほとんど戻られていなかったのです。あの頃は、患者さんのことで頭がいっぱいで、みなさんが食事も満足に摂られていないことに気づいていませんでした」。

やがて水道、ガス、電気などのライフラインが復旧。食料や薬など必要な物資の調達も可能となり、福島病院から患者さんを呼び戻せる状態になったのは3月末のことでした。しかし、旧館が使えないため、病床数は限られています。

「震災後、この地域で開院し続けられた病院は、当院を含めて3軒しかありませんでした。地域の医療を担う病院としては、早急に補強か建て替えが迫られていましたが、国や県、市町村からの財源措置もままならず、正直もうだめなのかと思いました。そんな時、助成の決定をいただけて、もう夢のようでした」と新田さんは振り返ります。

より患者さん中心の病院へ、随所に快適に過ごせる配慮を

小野町病院は、県の浜通り地方医療復興計画による補助も受け、警察や消防署が隣接する町の中心地に4階建てで完成しました。

病床数は119床を確保、診療科目は泌尿器科、形成外科を加えた12科に増えました。1階には外来診察に関連する薬剤、栄養、検診などを集約し、受診時の患者さんの負担が少ない動線になっています。2階は手術や人工透析などの機能を配置。3、4階は病室やナースステーションなどが置かれています。

ベッドスペースは、従来より広く取り、バリアフリー構造にするなど、療養環境を充実。また、お年寄りが待合室で長時間座っていても疲れないように、特注のソファーも導入しています。小児科の壁紙には、カラフルでかわいいイラストを描き、子どもたちが楽しく過ごせるように。病院全体で採光を多く取り、患者さんが快適に過ごせる明るい空間に設計しました。また、この震災の教訓をもとに、災害に強い安心、安全な病院を目指し、災害時には1階のロビーでトリアージができるようにしています。

素晴らしいハードに負けないソフトを提供できるように

医療設備としては、新たに磁気共鳴画像装置(MRI)を導入。X線透視診断装置などの機器を更新し、透析室には計15台と透析装置を増台しました。

「震災後、設備が不足して透析を受けられない患者さんが7名ほどいらっしゃいましたが、これで受け入れができます。私たちが目指すのは、つねに患者さん中心の医療です。立派なハードが完成しましたから、ソフト面も負けないようにスタッフで力を合わせ頑張りたいと思います」と坪井さん。

渡辺さんは「私は地元の人間ですので、みなさんの気持ちが痛いほどよくわかります。みなさんの希望にひとつひとつお応えしながら、この病院ができてよかったと言っていただけるように努力していきたいですね」と話します。

新田さんも、地域の中核病院として地元にもっと貢献したいと考えています。「今後の課題は緊急救命医療に対応できる体制を整えることです。現在、医師は常勤、非常勤を合わせて27名、看護師は助手も含めて約80名いますが、もっとスタッフを増やさなければなりません。新病院は、患者さんだけではなく、スタッフが働く環境としてもより快適で充実したものになっています。当直室には、シャワーだけではなくバスタブも設置。また、診察室への動線も工夫して、患者さんのケアに動きやすく工夫しています。2月に地元新聞で新病院のことが紹介されると、早速、看護師の応募がありました。ぜひ多くのかたに当病院で活躍していただきたいと願っています」。

地域のかたの期待は想像以上。約600名が内覧会に参加

落成式の後、新病院の内覧会がおこなわれました。出席者は真新しい手術室から広々とした病室まで、患者さんの立場ですみずみまで工夫された新病院を見学。

「これほどの早さで新病院を完成できたのは、タイミングがよかったこともありますが、士気の高い職員が一丸となり取り組んでくれたお陰と感謝しています。いまの課題は、医師と看護師の確保。そして現在休診中の休日夜間外来を再開し、地域のご期待に応えることです。私は人も建物も育てていくものと考えています。より使いやすい親しみやすい病院を目指し全スタッフで力を合わせていきます」と藤井企業長は話します。

翌15日は、地元住民の内覧会が開催され、約600名のかたが新病院を来訪。一時はロビーがいっぱいになるほど盛況となりました。

「地元のかたが当病院にどれだけ期待されているか、改めて知ることができました。お帰りの際には、みなさんわざわざ私のところにいらっしゃって『明るくて広い病院になりましたね』、『ホテルみたいなきれいなロビー。病気でなくても泊まってみたい』、『椅子もとても座り心地がいい』、『診察室のデザインも工夫してますね』と声をかけていただきました。安心して使える病院を作ろうとの思いからはじまった今回の病院建設ですが、みなさんに喜んでいただけて、本当によかったです」と新田さん。小野町病院は、2月26日から3月1日で移転作業を完了し、3月3日から診療を開始しています。

小野町病院の完成により、本助成による31件の復興事業は、松川浦防災林の完成を除き、すべて完了しました。しかし、被災地が復興を遂げたと言えるのは、まだ先の話です。いまも懸命に頑張り続ける被災者の思いと、それを支援する気持ち。それを風化させることなく、これからも未来へとつなぎ、見守り続けたいと思います。

新施設の概要

地域の中核病院として、災害時にも病院機能の維持、確保が図れるようにライフラインを多重化し、燃料や水などが備蓄できるように計画。

新しい小野町病院の診療科目は10 科から12 科に増えています

左から副院長兼看護部長の坪井裕子さん、診療技術部長兼薬局長兼栄養室長の渡辺清さん、事務長兼総務課長兼施設整備室長の新田俊幸さん

壁にクラックが走り、給水配管が壊れた旧館内は水浸しに

開放的で明るいロビーは、緊急時にはトリアージできるように設計

バリアフリー構造の119床の病室

かわいい壁紙で子どもに安心感を

診察室前のゆったりと過ごせる待合室

診察室

15床ある透析室は、明るい採光で長時間の治療も快適に

X線透視診断装置

手術室

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