安心して口にできるものしか作らない。
有珠山の姿を間近に見てとることのできる農場に、2017年12月、2棟のビニールハウス鶏舎が建ちました。木造の古い鶏舎に混じって新設されたこれらは、当財団の助成を活用して増舎したものです。
「30年前に廃材で作った掘っ立ての鶏舎は、もう老朽化がひどくて、いつ倒れてもおかしくなかった」と語るのは、代表社員で設立者の高野律雄さん。
ビニールハウスの中は5つの区画に区切られていて、その一区画ごとが10坪ほどの鶏舎となっています。訪問したのは2月。暖房もしていないというのに、中は予想外の温かさ。鶏舎の中を元気に走り回る、約100羽のニワトリたちが、自然と舎内の空気を暖めているのでしょう。狭いケージに閉じ込めず、ニワトリたちを自由に運動できるようにした平飼いは、土地が10倍近くは必要なうえ、給餌、集卵、鶏舎の清掃など、大規模養鶏にくらべ、数段の手間は掛かりますが、健康的な飼育環境で、より美味しく、より安心できる卵を産んでくれます。
環境に配慮し、安全で、安心できる食品を誇りをもって生産する。それも、働く人の障害の有無に関わらず。それは、たつかーむがこの地で農業に携わって以来、一貫して守ってきたポリシーです。高野さん、ご夫婦が東京から、ここ、壮瞥町に移ってきたのは、1986年のことでした。
ともに自立するために選んだ農場。
もともと静岡のご出身だという高野さん。高校を卒業して、東京に出て、大学で心理学を学ぶ中で、自閉症の子どもたちとの出会いがありました。魅力的な彼らと関わっているうちに、「これを仕事にしようと決めていった」。
卒業後は福祉の現場で働きながら、彼らと自分の将来を探しました。「いろいろ考えるうちに、基本に戻って、農村的な暮らし、農的な仕事が、大人となった彼らに向いているのではないか」。そう見極めると、30歳を機に高野さんは東京を離れて、奥様のご実家があった北海道へ。新規就農のための研修を受け、32歳のときに壮瞥町に落ち着きました。
「当時は、有吉佐和子さんの小説、複合汚染が反響を呼んでいたころ。やるんだったら自分は有機農業をやろう。家畜を飼って、その糞を肥料にして、作物を育てるという循環で」と、2ヘクタールの土地を購入して、ニワトリ50羽からのスタートでした。しかし、畑で育てた露地野菜は、すぐには、まとまった収入には結びつかず、その一方で、養鶏はトントン拍子。好評を得て、3年目には早くも2000羽まで規模を増やしました。
バトンはつないでこそ。
とはいえ、ニワトリの健康には大いに気を遣います。365日、休みなく面倒を見て、病気や、害獣から守らなければなりません。餌はポストハーベストをしていない道内産の小麦や、大豆にこだわって集めていますが、その確保も簡単なことではありません。大雪で、2018年2月には、古い鶏舎が5棟ほど倒壊しました。「500羽分です。助成の新設鶏舎がもしなかったら。助かりました」。
チキンカレーなど加工食品製造と、夏季のカフェ事業も合わせ、現在の売り上げは3800万円強。どうにか給料は A 型で11万円以上、 B 型で6.5万円を実現させました。
今後の事業についてお伺いすると、「あとの者に任せようと思っています」と高野さん。「今、盛んに農福連携という言葉が使われています。うちもその走りです。農福連携にもいろいろな形がありますが、とにかく一緒に生活して、一緒に働くというのを僕は、やってきて、その方向性はだいたいできたと思います。地域の人も、僕たちがやっていることを特別視しないようになりました。この先は僕を気にせず、若い人たちが、やってみたい夢を試せる場になればいいかな」。北の大地で産まれた卵が、新たにどんな夢を宿して孵るのか。これからもますます注目です。