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就労しても10年して戻ってくるかたもいれば半年で戻ってくるかたもいます。精神障害は状態が安定しないのが、どの障害よりも特徴的です。そして見た目は変わらない。心も精神も目で見ることはできません。また途中障害、思春期での発病が多いのも特徴です。勉強もできたやさしい人たちですが、病気を機に世界ががらっと変わってしまう。それは彼らのせいではなく、彼ら自身はもちろん、親もなぜこんなふうに育ってしまったのかと深く悩みます。途中障害の惨めさです。
そんな彼らをどう支援したらいいか。彼らが望むものはなにか。生きることを止めてしまった彼らに、もう一度、生きていいんだ、と心から思ってもらいたい。
彼らが一番望んでいるもの、それは自立です。親に一生、迷惑をかけて生きていくのかな。どうすればお金を稼げるのかな。やはり経済の自立なくして、本当の意味での自立はありえません。ですから、彼らがプライドを持って働ける場が必要でした。1時間働いて、その時給で缶ジュース1本飲めないなんて、そんな馬鹿な話はありません。
現在の夢は大きな老人ホームを作ること。彼らがはいれるようなホームは日本にまだありません。両親とも別れて最後、また病院に彼らが戻るようなことはさせたくない。私は超楽天的なので、夢は必ず実現させると決めています、露天風呂付きで。3年後ぐらいを目標に、ただただ行動あるのみです。
1961年、学生時代より肢体不自由児ボランティア活動に関わる。92年、子息が入院していた国立精神神経センター武蔵病院の家族会、むさしの会を立ち上げる。97年、草むらの会発足、副会長就任。清掃やバザーでの飲食提供で収益活動を開始。04年、特定非営利活動法人多摩草むらの会設立、理事に就任。グループホームや飲食の事業所をオープン。以降、事業を勢力的に拡大。13年、A 型事業所をココリア多摩センターに開所。
約15年前、とあるセミナーが私の福祉観を激変させました。ヤマト福祉財団のパワーアップセミナーです。小倉初代理事長も研修の間ずっと参加され、「作業所であっても経営の力を備えなければいけない」と、その経営ノウハウをつまびらかに教えてくださいました。福祉の場で、稼ぐ、という言葉は使えない時代でしたが、私には腑に落ちました。
そして10年前、私たちは精神障害者地域生活支援センターを立ち上げるのですが、記念の講演会をきょうされんの藤井克徳さんにお願いしました。「障害者が住みにくい地域は、もろくて弱い社会である」との言葉に、以来、障害のある人もない人も住みやすい地域づくりを私たちの目標に掲げました。
世の中にはおかしいと思うことが多々あります。たとえば、病気を抱えながら働いている人はごくふつうにいますが、精神障害は、なったら一切働けない、そんな考えかたがまかり通っています。私は農家の生まれですが、野菜もいつからか、同じサイズ、形でなければダメだといいます。調理では刻んでしまうのに。そうした矛盾への不満が、私のひそかな原動力になっているようです。
食の安全安心と誰もが暮らしやすい地域づくり活動のベースは、この10年である程度叶いましたが発展はこれから。被災に際してはさまざまなかたと出会い、ご支援もいただきました。こうした体験を次世代の人たちにも伝えつつ、努力していきたいと思っています。
1999年、精神保健福祉士、取得。02年、NPO 法人こころネットワーク県南 設立。04年、生活支援センターこころん開設。05年、里山再生プロジェクト始動。06年、グループホーム、多機能型事業等を開始。直売カフェこころや オープン。10年、養鶏事業を開始。12年、大木代吉本店と6次化事業として玉子酒 商品開発。13年、ベクレルモニター設置し、全品検査導入。こころん工房かぼちゃプリンがスイーツ甲子園出場。