やるのなら利用者さんが主役となるお店を
「想像以上の売れ行きでほっとしています」と亀井塾の塾生、永田詔子施設長。ぶどうの木は、ろう重複障害者を対象とした事業所です。ぶどうの木と言えば加治木饅頭と呼ばれるほど地元で人気の商品を製造していましたが、包餡機が故障してしまい、修理に膨大な費用がかかるため、やむなく木工や手芸などを中心とした事業に転換。そのため利用者さんの給料は激減しています。
「少しでも給料増額のヒントが得られたらと、実践塾にはいりましたが、亀井塾は、食品事業の塾生ばかり。塾長のお話も、いかに売れる商品を作るか、どう販売戦略を立てるかなどで、ぶどうの木の事業内容とは異なり、場違いなところにはいってしまったと落ち込みました」。
そんな永田さんに亀井塾長は「売り上げが伸びないのは、柱となる事業がないからで、このままでは改善は難しい。加治木饅頭を作ってきた経験があるのだから、新たに食品事業を立ち上げなさい」と声をかけます。しかし、加治木饅頭での苦い経験があるため、理事長はとても承諾してくれないと永田さんは悩みます。それでも「本当に利用者さんのことを考えたら、いま動き出さなければだめだ」と、永田さんは首を覚悟で澤田利江理事長を説得する決意を固めました。
予想通り澤田理事長は、なかなか首を縦に振ってくれません。塾を辞めてしまえば、という話にまでなりました。しかし「新事業をはじめなければ利用者さんのお給料を上げることはできません」と必死で訴える永田さんに、澤田理事長も「利用者さんが働くことができるお店」を条件についに了承しました。
「やると決めたら理事長は行動が早いんです。まだなにを作るかも決めていない段階で、いい物件があったよと新店舗の場所を決めてきたんです」と永田さんは笑います。
ここでしか食べられない和のワッフルを作ろう
ワッフル、回転焼き、ドーナツといろいろなアイデアが出る中で、永田さんは柱となる事業を決めかねていました。そこで地元のコンビニを回るなど地道なマーケティング調査をおこない、鹿児島初のワッフル専門店を開くことを全員で決定しました。「はじめる限り成功させたい。物珍しさの一過性の人気ではなく、子供からお年寄りまで多くのかたに長く愛される、ここでしか食べられないオリジナルのお菓子を作りたい」。そんな目標を立て、ワッフルのワの字も知らない永田さんは、連日連夜、商品開発に挑み続けます。
「どんな小麦粉や機械を使うのか、焼き方はどうするのか。なにもわからず試行錯誤の毎日でした。そんな時、亀井塾長が大阪のワッフル店に連れて行ってくださったんです。実際に製造する姿を見て、こんな風に作れば良いのかと、やっと突破口が開けてきました」。そして着眼したのが、ワッフルには珍しいサツマイモと甘さの控え目な黒糖島ザラメというご当地食材です。何度も試作、試食を繰り返し、これならプロのお店の商品だとみんなが納得できるレシピが完成します。
プロの協力を得てコンセプト通りの店舗に
鹿児島ならではのワッフル。このこだわりを視覚的にも伝えたいと、以前より交流のあったイラストレータの門秀彦氏にロゴ、看板、ユニフォームなどのデザインを依頼しました。ワッフルの形状と薩摩藩の家紋をミックスした 田 をマークに、店舗名にも薩摩を使用。さらにワッフルをひらがなにして和のイメージを引き立たせました。
一方、店舗は ろう重複障害者が自分の言語を自由に使って働けるお店にしたいと考えていました。このコンセプトに応えて店舗設計の専門家が厨房と販売コーナーのスタッフが手話で会話できる全面ガラス張りのお店をデザイン。利用者さんが働いている姿を見て、お客様も元気をもらえる、そんな開放的で明るい雰囲気の店舗を提案してくれました。「私たちの力だけでは、こんな素敵なお店は実現できなかったと思います。多くのかたのご理解と応援、そして各分野のプロのご協力も得られたことが大きかったですね」と澤田理事長は話します。
また厨房設備を手配した商社もぶどうの木の考えに賛同し、新古品を探し出してコスト削減に協力してくれました。最終的に開店には800万円が必要となり、助成金300万円で足りない分を銀行に融資いただきましたが、その際にも多くのかたが後押しをしてくれました。
みんなで薩摩わっふるを鹿児島の新しいお土産へ
現在、5人の利用者さんがお店でワッフルを製造しています。直接お店に出ない利用者さんも、掃除や箱折り、シール貼りなど裏方の仕事を担当。全員でお店を成功させ、全員に平成26年度3万円、翌年5万円の給料を目指していきます。
「利用者さん自ら自分たちになにができるかを話し合い、動き出すなど、働く姿勢も随分と変わってきました」と永田さん。
開店翌日もいくら焼いてもショーケースに商品を並べることができないほどの売れ行きで、1日300個の目標を超える勢いが連日続いています。今後は鹿児島名物の知覧茶を使った商品開発もおこない、鹿児島のお土産品のイメージを強め、やがては鹿児島中央駅に販売コーナーも設置したいと夢は膨らみます。
「塾の帰りの飛行機の中、理事長にどう説明しようかと泣きそうなくらい悩んだあの時、こんなに夢があふれるお店になるなんて想像もできませんでした」と永田さんはうれしそうに話しています。