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私たちの賛助会費が活かされています:奨学生レポート Vol. 9

この運命を乗り越えて。障害ゆえに選び、まっしぐらに進む医学の道

高井 凜 さん。富山大学医学部医学科4年

交通事故が原因で、重度の脊髄損傷を負い、両下肢機能を失う。自己の経験を通じ、患者の気持ちに寄り添える臨床医になることを目指すように。現在は富山大学医学部に在学し、ひたむきな努力を続けている。

学ぶことが愉しいから、実現したい夢があるから。理想を持って、将来を切り拓こうとしている奨学生の皆さんを訪ねます。

障害者奨学金制度

社会のために貢献したいと勉学に打ち込んでいる障害のある大学生に対し、返済不要で月額5万円を助成しています。現在40名が本制度を活用しています。

12月に向けて猛勉強中

医学部のキャンパスを車いすで移動する髙井さんは、実直な語り口が印象的な、今風のイケメンです。1日も早く一人前のドクターになることを、何よりの目標に励んでいます。

「12月に CBT と OSCE (オ スキー)という2つの大きな試験があります。これをパスしないと進級できないので、目前の大きな関門ですね」。

医学部の5年生になると、いよいよ患者さんとも接する病院実習のカリキュラムが始まります。2つの試験は、実習生が臨床の現場に参加して大丈夫かどうかを判定する大事なテスト。車の運転免許にたとえると仮免試験のようなものです。

趣味にしていたマンドリンや車いすバスケも、今はお預けにして、もっぱら勉強漬けの毎日です。

一夜の不意打ち

高校2年の冬、高井さんは交通事故に遭いました。家族と初詣に出た帰り道での出来事です。

後部座席でまどろんでいた高井さんは衝撃で目を覚ましました。車が雪道でスリップ、運悪く対向車が側面、高井さんの座っていた辺りを直撃したのです。

すぐに救急車で運ばれ、ICU で1週間ほど、身体中をチューブでつながれ、ベッドに磔の状態で過ごしました。

それでも「正直、しばらくは歩けるって信じていて、また陸上ができるだろうと思っていました」。もう歩くことができないかもしれないと母親から聞かされたのは、入院して1ヵ月経ったころのこと。

中学から陸上に打ち込み、県内の駅伝強豪校から高校推薦の引きあいが来たこともあります。「ショックでした。一生、障害と付き合っていかなければならない、ということを受け入れるのには時間がかかりました」。

与える、与えられる

着替えや入浴、身体の向きを変えること、排泄までも、ほとんどのことを看護師の手助けなしにはできない状態に突然陥り、「誰かにしてもらうことばかり。人に負担をかけるだけの存在なのではないか」との思いにも囚われたと言います。

誰にも相談できない葛藤のうちに、しかし高井さんは生きる活力の源になるような何かを次第に模索するように。

長い入院生活で、人を助ける存在イコール医師、に魅力を見出すのは、ごく自然のことでした。「歩けずとも、頭は使える。陸上への気持ちを勉強に向けて、人の役に立てるのであれば」。

高校復学までに半年を要しましたが、そこから一転、医学部を目指す日々が始まりました。初志貫徹までに3年の浪人生活を経験することになりましたが、気持ちは揺るぎませんでした。

「予備校の学費など、親には迷惑をかけてしまいました。母はサポートのために仕事を辞めざるをえませんでしたし」。家族の応援は彼の支えです。

いまは循環器に興味があるという高井さん。「心臓からの血液の流れなどを視覚的に捉えるところが、僕には面白いんです」。

車いすに乗った循環器科、高井ドクター誕生の姿が浮かびました。

クラスメイトの広沢さん(写真左)と勉強の進み具合を確認

1日最低3時間は予習、復習にあてています

一人暮らしの家事は全部自分でおこなうという高井さん、大学の生協で買い物も

奨学生のキャンパスにお伺いして贈呈式をおこないました

後藤佑季さん:慶応義塾大学,商学部,商学科

福澤寛之さん:北海道大学,教育学部,教育学科

青山 舜さん:筑波技術大学,保健科学部,理学療法学科

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