このページと、以下のページは音声読み上げブラウザに最適化済みです。

第20回、ヤマト福祉財団おぐらまさお賞、贈呈式。

ひとつひとつ積み重ねてきた、障害者の働く場を広げるいしずえ。

障害のあるかたの雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに努められた、2名のかたを表彰する、ヤマト福祉財団、おぐらまさお賞。その記念すべき第20回の受賞者は、精神科医の田川精二さんと、ろうあヘルパーの廣田しづえさんです。

第20回の節目にふさわしい受賞者。その周りには同じ志を持つ仲間が集う。

障害者週間の中の12月5日、ヤマト福祉財団、おぐらまさお賞 贈呈式を開催しました。

会場の東京都、日本工業倶楽部には、受賞者の仕事関係者や、ご家族、歴代受賞者も、多数、出席され、和やかな雰囲気の中で、贈呈式は幕を開けました。

「今回は、第20回という節目の回です。節目という意味で、本年度は令和元年、また、ヤマトグループも、11月に創業100周年を迎え、心に残る年でもあります。そんな、記念すべき回の受賞者にふさわしい功績を、おふたりは築いてこられています」と、冒頭、挨拶した山内雅喜理事長は、昨秋、受賞者のもとを訪れた時のことを振り返りながら、紹介を続けました。

田川精二さんは、大阪府大東市で精神科クリニックを開き、長年、地域の患者さんと正面から向き合い、治療をおこなっています。その中でたどり着いたのが、働くことで人生が変わる、働くことこそ最高の治療、という結論でした。それを確信したのは、本賞の第11回受賞者、北山もりかずさんの福祉施設で精神に障害のある利用者さんのケアをおこない、その働く姿を見たときです。そして2007年、精神に障害のあるかたが仕事に就き、社会参加していく支援をおこなう、NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワーク、通称 JSN 、 Job Support Network を設立します。

「職員のみなさんは、とても生き生きと、働いています。特に若いかたの目の輝きが違い、心から田川さんの思いに共鳴しているのだと感じました」と、やまうち理事長。

もうひとりの受賞者の廣田しづえさんは、日本初の、ろうあヘルパーです。介護の現場で働く中でコミュニケーションを取ることが難しい高齢ろうあ者も、同じろうあ者のヘルパーなら理解し、適切なケアができる、と実感。もっとたくさんの、ろうあヘルパーを育成することが必要だと気づきました。

現在、全国ろうあヘルパー連絡協議会の会長として、耳の聞こえるかたと同様に、ホームヘルパーの資格を取得できる研修体制、働く場の創出などに尽力。職業選択に苦労する、ろうあの女性たちに、新たな希望の灯りをともしています。その一方で、公益社団法人、大阪聴力障害者協会の副会長として、ろうあ者の暮らしを守り支えていく、多忙な毎日を送っています。

「廣田さんのもとには、いつも大勢の、ろうあのみなさんが集まり、笑顔であふれています。とても楽しそうに、一緒にいろいろなことに取り組まれていて、部屋いっぱいに幸せな空気が広がっています」と、訪問した際の様子を紹介しました。

なにがあろうと貫く強い使命感。

おふたりの選考経緯について、ダイヤル サービス株式会社、代表取締役社長のこんのゆり氏が、選考委員を代表して、発表しました。

「医師として、初めて本賞を受賞された田川さんは、精神障害者が働くことは、人間としての尊厳を守ることでもあると、本人にも周りにも教えてくれました。廣田さんは、自らが開拓者となり、ろうあ女性がより輝き、働くための夢を広げてくれています。おふたりからは、どんなことがあろうともやりとおす、強い使命感を感じ、強い感銘を受けました」。

相手の気持ちを思いやる活動姿勢。だからみんな、ふたりを信じてついていく。

田川さんの推薦者は、40年来の戦友だと話す、社会福祉法人、日本ライトハウス、常務理事のせき ひろゆきさんです。

「田川さんが素晴らしいのは、つねに、わかりやすい言葉で、親しみやすく伝えてくれること。だから、みんな、先生が好きになる。地元の精神障害者にとって、田川さんの、くすの木クリニックは、どんな悩みも受け入れてくれる、頼もしい大木に見えていると思います」。

さらに、病気ではなく、患者さんと真摯に向き合うからこそ、彼らが心から欲している、就労という希望を叶えるため、周囲の非難にも負けず、 JSN を設立したのだと説明。そんな田川さんに共鳴し、精力的に活動を続ける、若いスタッフたちにも賛辞を贈りました。

廣田さんの推薦者、一般財団法人、全日本ろうあ連盟の理事長、いしの ふじさぶろうさんも、長年、苦楽を共にされてきた同士です。

「廣田さんは、ろうあヘルパーを、ひとりでも多く育成できる環境づくりを、大阪府、さらに全国の行政へ、働きかけています。彼女は、どんな壁にぶつかっても、決してあきらめません。彼女の受賞は、私たちにとっても誇らしいことであり、より多くの仲間が勇気をもらい、立ち上がることもできると思います」と、喜びを伝えました。

続いて、やまうち理事長が、せいしょうのあめのみや あつし氏作のブロンズ像、愛、と賞状、ならびに、副賞賞金、100万円を、おふたりに贈呈。田川さんを陰で支え続ける令夫人と、現在、共に活動されている、廣田さんのご令息に、花束を手渡しました。

来賓祝辞では、厚生労働省、社会援護局、障害保健福祉部、橋本泰宏部長より、「おふたりの功績は、我々が課題とする、国民ひとりひとりが力を発揮できる、共生社会の実現の礎となるものです。私たちも全力を尽くし、取り組んでまいります」と、お祝いの言葉をいただきました。

贈呈式の最後を飾る両受賞者の喜びの声に、惜しみない拍手が贈られました。

写真、前列、左から、受賞された田川氏令夫人。田川精二さん。廣田 しづえさん。廣田氏ご令息。後列、左より、森下あきとしヤマトグループ企業労働組合連合会、会長。芝ざき健一、ヤマトホールディングス株式会社、代表取締役副社長。神田晴夫ヤマトホールディングス株式会社代表取締役副社長、山内雅喜、ヤマト福祉財団、理事長。長尾ゆたか、ヤマトホールディングス株式会社、代表取締役社長。森 日出男 ヤマト運輸株式会社、代表取締役会長。栗栖としぞう、ヤマト運輸株式会社、代表取締役社長。

受賞者に贈呈したのは、せいしょうとして、あめのみや あつし氏作のブロンズ像と、賞状、副賞として、賞金100万円の目録です。

「田川さんの活動に協力できたことを、私は誇りに思います」と、田川さんの推薦者、社会福祉法人、日本ライトハウス、せき ひろゆき、常務理事。

「どんな障害があるかたも、輝いていける社会を実現できる、そんな勇気を与えてくれた、おふたりに感謝します」と、選考委員の、ダイヤルサービス株式会社、こんのゆり、代表取締役社長。

「私たちのやってきたことが間違いではなかったという喜びと、これからを頑張るパワーも一緒にいただけました」と、田川精二さん。

「廣田さんの背中を追って、全国の、ろうあ女性たちも動き出しています」と、廣田さんの推薦者、一般財団法人、全日本ろうあ連盟のいしの ふじさぶろう、理事長。

「障害のあるかたが社会に出て働く意義と素晴らしさを再確認できました」と、厚生労働省、社会援護局、障害保健福祉部の橋本泰宏部長。

「私たちの問題だからこそ、みなさんのご協力のもと、当事者の声と手によって、一歩ずつ前に進んでいくことが大切です」と、廣田しづえさん。

受賞者を訪ねて。

精神障害者にとって、働くことが最高の治療になると信じて。

NPO 法人、大阪精神障害者就労支援ネットワーク、理事長、田川 精二さん。

11月初旬、田川さんが理事長を務められる、 NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワーク、 JSN を訪ねました。

精神障害者、その治療に必要なのは、患者さんと、その取り巻く環境を見つめること。

田川さんが、大阪府大東市でクリニックを開業したのは、約30年前。以来、この地で精神に障害のあるかたたちに寄り添い、治療を続けています。

開業されたときの思いとは。

「当時、精神科医療の現状は本当にひどかったのです。統合失調症のかたは、すぐ入院させられ、退院できても、ご家族は、サポートの仕方がわからず、暴れてしまうと、また入院させられてしまう、この繰り返しです。これが本当に医療なのか、そんな、若い憤りみたいなものがありました」。

田川さんは、医学生時代から、患者さんを取り巻く、環境の大切さも感じていました。

「患者さんの症状は、どんな地域で、どんなご家族と過ごしているのか、環境の違いによって、全然違ってきます。それを無視して、単に病気だけを診ていても、正しい治療はできないんじゃないかな、と。患者さんと、そのかたが暮らしている地域の両方を見て、治療をしていきたいと考え、この大東市で開業する道を選んだのです」。

障害者と企業、双方の要望をつなぎ、ひとりひとりが長く働ける支援を目指す。

たくさんの患者さんの声に耳を傾けて治療を続けられた田川さんは、働くことこそ最高の治療だ、と考えるようになります。しかし、当初は、精神障害者を無理やり働かせるのか、就職させて症状が悪化したらどう責任を取るのか、精神障害者を雇う企業はいない、など、周囲には、批判の声も多かったと振り返ります。

「症状の重いかたは、薬だけ飲んで、家に引きこもっていても、なかなか改善はできません。むしろ、外に出て働いたほうが良い。実際に、私のクリニックに通院する患者さんにアンケートを取ると、8割が、働きたい、社会復帰をしたい、という答えが返ってきました。しかし、やっと仕事に就けた、と笑顔で話されていたのに、2週間後には辞めてしまった、と肩を落としている。そんな姿もたくさん見てきました。このまま勤める、辞めるを繰り返すようなことになってはいけない。長く働き続けられるための支援こそが必要だ、と考えるようになりました」。

それで、 JSN を設立されたのですか。

「うちに、かよう、統合失調症の患者さんだけでも、約300名いて、全員をサポートすることは難しい。これからは、複数箇所で就労支援できる仕組みが必要だ、と他の診療所の先生がたとも話し合い、協力して、 JSN を立ち上げたのです。ここでは、1年半のトレーニングを経て、精神に障害のあるかたたちを社会に送り出しています。その際に大事なのは、雇用する側の立場や、考えを理解すること。スタッフは、精神障害者と、企業、両方の希望をしっかりと聴き取り、それに合った支援を、根気良く続けています」。

現在、 JSN は、福祉関係者や、元ハローワークの所長、さらに、特例子会社や、一般企業などの経営者の協力も得て、運営されています。

さまざまな場で講演をおこない、医師や関係者に指標を示されています。

大阪府大東市の、くすの木クリニックで院長を務め、長年、地域医療に貢献されている田川さん。写真左は主な著書、論文で、街角のセフティーネット。メンタルヘルスライブラリー25、批評社刊。精神障害者就労支援からみえてくるもの。日本デイケア学会誌、デイケア実践研究、2016年。精神障害者の雇用、就労をめぐる課題。公衆衛生、第80巻、第11号、2016年、医学書院刊。

田川さんの目指す精神科治療。

本人と企業の希望のマッチング。
くすの木クリニック。
就労し、社会人として自立するための支援を。
働くことこそ最高の治療。
JSN
就労し、社会人として自立するための支援を。
長く働くためのトレーニング。

受賞者を訪ねて。

介護を受ける人、する人。両方のろうあ者の生活を守りたい。

公益社団法人、大阪聴力障害者協会、副会長、廣田 しづえさん。

お訪ねしたのは、廣田さんが副会長を務める、公益社団法人、大阪聴力障害者協会が運営する、大阪ろうあ会館、介護支援課、地域活動支援センター、ほほえみです。

ろうあ者だから、職業訓練校に、はいれない。そんな壁から、ひとつひとつ取り除く。

ろうあヘルパーの先駆け、若い人材育成の牽引者、聴覚障害者が暮らしやすく、働きやすい社会を築く各団体の役員など、廣田さんは、さまざまな顔を持つスーパーウーマンです。

当日は、公益社団法人、大阪聴力障害者協会の運営委員長で、第12回ヤマト福祉財団、おぐらまさお賞、受賞者でもある、清田 廣さんも同席。清田さんは、高齢ろうあ者を、介護の資格を持つ、ろうあ者が支える仕組みなどを築きあげられたかたです。

おふたりの出会いはこちらですか。

「はい。当時、私は会社員でしたが、長時間のデスクワークで腰を痛めてしまい、転職することになりました。そこで、ホームヘルパーの資格を取得しようと、職業訓練校の扉を叩いたのですが、ろうあ者を教えた経験がない、コミュニケーションに問題があるなどを理由に、断られてしまいました。それを知った清田さんが、障害があるから学べないというのはおかしい、と大阪府に働きかけられ、無事に入校できたのです」。

それでも、学校側は戸惑いを隠し切れません。しかし、廣田さんの人柄と考えに共感したクラスメイトがノートテイクなどに協力。廣田さんは、ホームヘルパー1級の資格を取得し、卒業生の代表にも選ばれました。

ろうあヘルパーなら、高齢ろうあ者と気持が通じ合い、なにが必要かもわかる。

現在は、ろうあヘルパーの育成などに尽力されていますが、その理由とは。

「私が初めて訪問介護を担当した高齢のろうあ者は、手話ができませんし、文字も書けませんでした。昔は、ろう学校にかよえたのは、ある程度、家庭が裕福な人だけだったのです。そのかたとは、絵を描きながら、身振りなどでコミュニケーションしましたが、そういったかたの気持ちを汲み取り、より適切に介護できるのは、同じ、ろうあ者のヘルパーなのだと、強く感じたのです」。

廣田さんは、早速、この協会の婦人部で、ろうあ者ヘルパーの必要性と、意義を説き、その数を増やしたい、と提案します。すると、私も資格を取りたい、という声が高まってきました。

「その頃は、まだ大阪府のホームヘルパー養成講座に、手話通訳は配備されていませんでした。そこで、大阪府と交渉し、ろうあ者でも受講できるように、改善していただいたのです」。

資格を取り、実際に働く人も増えてくると、その情報は他県にも広まり、全国的な活動へと発展しますが、それとともに新たな問題点も。

「たとえば、資格があっても働く場がない地域も多い。私が会長を務める、全国ろうあヘルパー連絡協議会は、ヘルパーを派遣する事業所を、聴覚障害者団体が立ち上げ、ろうあヘルパーが働ける、場を保障する取り組みを進めています。でも、拠点は、まだ、7ヵ所しかありませんから、みんなで力を合わせ、もっと拡大したいのです」。

介護を受ける人、する人、両方のろうあ者の生活を守るため、廣田さんの活動は続きます。

廣田さんは、この地域活動支援センターで、主任、管理者も務めています。

職業訓練校は、修了者代表となるほど、優秀な成績で卒業し、ヘルパー資格も取得。写真は廣田さん提供。

訪問介護で最初に出会ったかたは、文字も手話も知らない、高齢のろうあ者でした。写真は廣田さん提供。

廣田さんが目指すろうあヘルパーの未来。

ろうあ者の介護は、同じろうあ者なら気持を理解でき、通じ合えます。

ろうあヘルパー職種の創出。
ろうあヘルパーの養成、資格取得支援。
  • ホームヘルパー講座の受講。
  • 管理者や主任へのスキルアップ。
ろうあヘルパーの全国組織化、職域拡大。
  • 働く場のない地域に事業所を立ち上げ職場を創出。
ろうあヘルパーの地位の向上。

受賞の言葉。

この賞が、頑張るスタッフを勇気づけてくれます。

NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワーク、理事長、田川 精二さん。

1951年、大阪府堺市出身。1976年に、大阪大学、医学部、医学科を卒業。1979年、奈良県立、医科大学、助手。1980年、八戸ノ里クリニック勤務を経て、1989年に大阪府大東市に、くすの木クリニックを開設し、院長へ。2012年、厚労省、障害者雇用促進制度における障害者の範囲等の在りかたに関する研究会、委員、2016年から2017年、厚労省、これからの精神保健医療福祉のありかたに関する検討会、委員などを歴任。2007年に設立された、 NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワークでは、現在も理事長を務める。

すべては JSN スタッフの功績。

この度のおぐらまさお賞の受賞は、 JSN の活動が評価されてのことだと思うと、喜びもひとしおです。

JSN の設立から12年、約450名のかたの就労を達成でき、7割近くが同じ職場で仕事を続けることができていますが、これはすべてスタッフの功績によるものです。

私はスタッフの相談役に過ぎません。私が彼らにお願いしているのは、障害のあるかたが、最初にここを訪れたときから、ひとりひとりの話をしっかりと聞き、長く働き続けられるための支援を心がけてほしい、ということだけです。でも、それはとても大変なことで、彼らにしたら、どうしたら良いのかと悩むことも多かったと思います。それでも、ずっとそれを大切に守り続けてくれています。

今後は若い世代の後押し役に。

やっと就職できても、辞めてしまうかたもいます。そんなかたが、再びここを訪れても、スタッフは、快く再就職できるよう応援しています。企業には、就職して終わりではなく、その後もずっとケアしていくことを明言していますから、安心していただけていますが、スタッフの仕事は増えるばかりです。地道な努力を続けるスタッフにとって、今回の受賞は、頑張り続ける、良いモチベーションにもなりました。

私は、今期で理事長をおり、今後は、彼らを後押しする役にまわります。安心して任せられる組織に育ってくれたことを、誇らしく思っています。

受賞の言葉。

ろうあヘルパーの実力と地位を向上することが私の使命。

公益社団法人、大阪聴力障害者協会、副会長、廣田 しづえさん。

1955年、愛知県 豊橋市 出身。1957年、原因不明で失聴。20代から、ろうあ連盟などの青年部役員として活躍。1979年に結婚し、1993年に大阪府大阪市へ転居。積水ハウス株式会社、販促部に就職。1995年、阪神大震災後の疲労もあり退職。その後、ホームヘルパー1級の資格を取得し、大阪ろうあ会館、ろうあ者訪問家庭指導事業(平成12年、訪問介護事業)、登録ホームヘルパーとして就職。ろうあ高齢者の現状を知ることで、ろうあヘルパーの必要性を痛感し、人材育成に尽力。2003年に、全国ろうあヘルパー連絡協議会を設立し、代表に就任。2015年、公益社団法人、大阪聴力障害者協会 常任理事、2018年、大阪市聴言障害者協会 会長、公益社団法人、大阪聴力障害者協会 副会長、大阪市障害者施策推進協議会 委員、一般財団法人、大阪市身体障害者団体協議会 副会長、現在に至る。

障害のある子どもたちを守るためにもヘルパーは必要。

いま、賞をいただいた重みと、もっと全国のろうあヘルパーさんにたくさん元気を届けていかなければ、そんな思いを強く感じています。

じつは、私がホームヘルパーを志した理由は、もうひとつあります。私の息子も耳に障害があり、ろう学校に通っていました。そこで重度の重複障害の児童を持ったお母さんと出会ったのです。そのとき、「あなたの息子は五体満足でいいね。私は何もできない子どもを残して死ぬわけにはいかない」と言われてすごくショックを受けました。残された子どもたちの受け皿となるものは、いまの日本にいくつあるのか。私がホームヘルパーの必要性を強く認識したのは、そのときからだと思います。

聞こえる人と同様に研修も。

今後、ろうあヘルパーを増やしていくには、資格取得の支援だけではなく、聞こえる人と同じように仕事ができる実力を身につけ、ろうあヘルパーの地位を高めることも大事です。それには、主任とか、課長とか、責任ある立場となるための研修を受けることができるように、手話通訳保証なども必要となります。厚生労働省には毎年働きかけていますが、まだ実現できていません。でも私はあきらめません。それが、ろうあ者みんなの幸せのために、私にできる大切な使命だからです。

公益財団法人 ヤマト福祉財団 トップページへ戻ります。
ヤマト福祉財団 NEWS の目次へ戻ります。