宿題は、"ブランド野菜を生かせ"。
市の作業所を、2012年に、みなと福祉会が引き継ぎ、スタートした、わーくす昭和橋。当初は配食サービスを事業の柱に考えていたそうですが、「いろいろと試行錯誤しているうちに、気づいたら、肉まん事業がどんどん軌道に乗ってしまったんです」と、副所長の岡本やすしさんは、謙遜気味に語り出しました。
名古屋市中川区は、じつは、ある野菜の日本発祥の地です。それは白菜。中国を経て、日本に白菜がはいってきたのは明治時代。しかし、栽培は難しく、当時できたのは、葉先が巻かないものばかり。現在見る、結球した白菜の普及の陰には、この地で10年にわたって栽培改良にあたった、野崎徳四郎の存在がありました。
この国産、第1号、野崎白菜で地域の活性化を目指していた、中川区ブランド野菜製品開発研究会に、岡本さんたちは、2013年に参加します。同研究会は、区農政課を中心に、大学や、地元の生産者や、飲食店らが集まって、野崎白菜を使った、新メニューの開発に取り組んでいました。
「地域のそうした動きに参加することで、新しい出会いや、学ぶことがあるかもしれない」。そんな軽い気持ちで参加すると、任されたのは、野崎白菜を使った肉まんの開発でした。
プロにはプロの技がある。
半年間でなんとか形にしたものを研究会で披露すると、悪くはないが、売り物としては決定打に欠ける、との評価。素人の限界でした。しかし、研究会の仲間から、「陳 建一氏の兄弟子が中川区にいるよ」との話を耳にし、すぐにプロの教えを請いに向かいました。
すると、「調味料にも加える順番がある。生地をこねるにもタイミングがある。素材は同じでも、それだけで全然できあがりが違ったんです」。料理人が授けてくれたコツは、料理本に書かれていないことばかりでした。
名古屋肉まん本舗のブランドで売り出した自慢の肉まんは、こうして完成しました。
商工会議所の経営塾にも参加して、松坂屋の催事販売の出店を勝ちとったのは2015年のこと。「慣れないプレゼンに緊張しましたが、なんとかクリアしました」。気になる売上は、「予想を遥かに超えて、2500個ほど売れました」。断トツの売れ行きでした。
じつは、岡本さんには秘策がありました。経営塾で、メディアと上手につきあうことは大事と教わったとおり、知る限りの伝手を頼って、地元テレビ局や、中日新聞に取材をお願いしたのです。どちらも好意的に採りあげてくれ、これが来店に拍車をかけたのです。
とはいえ、「催事での販売は、職員総出の大掛かり。この体制はずっとつづけられない。自分たちの力量もよく分かりました」。現在は、自前の EC サイト、きょうされんや、 JA あいちのカタログ販売に軸足を置いて、利益率優先の営業を心がけています。
どうせなら、注目浴びる"究極"を。
松坂屋での催事を経験し、次はどこを目指そうかと考えていた岡本さんたちは、翌年、県の工賃向上アドバイザーの派遣事業に申し込みました。そこで発破をかけられたのが、究極の肉まんプロジェクトです。
「私たちも、やりたいとは思ったんですけど、お金のかかることなので、後ろ盾がないと、ちょっと動けない」と悩んでいると、 JA あいちの頒布会の注文が飛び込んできました。これならば、前年から確実に注文が見込め、算盤もはじけます。
生産力も、当財団の助成を得て導入したドウコンディショナー、生地の発酵を自動化する機械によって、1.5倍に増強しました。
「不思議なことに、自分たちが一歩進むと、引き合いや、助けてくれる人が現れるんです」と岡本さん。
究極の肉まん、鳳凰は、名古屋コーチン以外にも、素材は、自然栽培でつくった県内のものを、皮も、ごく一部の点心師しか継承していない老麺を使って、徹底的にこだわり抜きました。また、カレーコーチンまんも、複数の通販サイトで入賞し、注目を浴びており、ナゴヤドームでの販売も打診されているとか。直営店で、できたてを売りたいという夢もあります。
素直に耳を傾け、物事を究めてきた、わーくす昭和橋は、まだまだ話題を呼びそうです。