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第21回、ヤマト福祉財団、おぐら まさお賞、贈呈式。

障害のあるかたのために、無私、無心で走り続ける姿が、地域や企業を動かしていった。

障害のあるかたの雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに努められた、2名のかたを表彰する、ヤマト福祉財団おぐら まさお賞。第21回の受賞者は、社会福祉法人、いがこういくかいの統括管理者、奥西利江さんと、社会福祉法人ホープの常務理事、佐藤春光さんです。今回の贈呈式の様子は、全国にライブ配信しました。

より多くのかたに受賞の喜びを。贈呈式の様子をネットで配信。

12月3日、今年も12月の障害者週間に、ヤマト福祉財団おぐら まさお賞、贈呈式を開催しました。会場は恒例の東京都、日本工業倶楽部ですが、コロナ カ にあり、受賞者や、推薦者など、限られたかただけをお招きしての贈呈式です。

「本賞をコロナ カ でも、無事に開催できたことをうれしく思います。今回は、ライブ配信もしておりますので、画面の向こうから、地元のみなさまも一緒に、おふたりをご祝福ください」と、ヤマウチ理事長が挨拶をしました。

選考委員を代表し、元環境事務次官の渡辺 おさむ委員は、「地元のかたや、企業と力を合わせ、障害のあるかたが安定して暮らせる環境を築き、地域社会の活性化にも貢献される、おふたりの功績を高く評価しています」と、伝えました。

地域のかたたちを動かしたのは、奥西さんの純真な思い。

奥西さんは、大学卒業後、三重県伊賀市の障害児入所施設に勤めました。

当時、障害児施設に入った子どもたちが、大人になってもそのまま、施設で一生を過ごすことに憤りを感じます。

「普通に暮らすこととはどういうことなんだろう。本当にこれで良いのか」と、考えていた奥西さんに声をかけたのが、推薦者の、社会福祉法人、伊賀市社会福祉協議会の平井 俊圭常務理事です。平井さんは、「子どもたちが学校卒業後にかよえる作業所を一緒に創ろう。そこをあなたに任せたい」と話しました。

奥西さんはまだ24歳。お金も人脈もありませんが、子どもたちのために走り出します。アルバイトをしながら、保護者と寄付を集め、2年をかけて、小規模作業所を開設。すると、利用者さんは次々と集まり、やがて40人近くに。奥西さんは、「ボランティアだけでは限界。法人化したい、と市にお願いしたのですが、簡単にはいきません。それが好転したきっかけは、小学校での講演でした。児童たちが、障害のある人たちを助けてあげて、と署名を集めてくれたのです」と、振り返ります。

その声に共鳴したのが、元伊賀市長、現理事長の今岡むつゆきさんです。「市長に当選したら、最初の仕事は、法人化の実現だ」と話し、陰で、日なたで応援を続けます。「社会福祉法人は、あなたたちのためだけにあるのではない。困っている地域のみんなのためにあるのです、と、話してくれた、その言葉は忘れられません」と、奥西さん。

もうひとりの恩人が、法人化資金を出資された、前田 ただしさんです。「このお金は、施設を建てるためではなく、地域に役立つ人材を育てるために差し上げます。どうか、子どもたちの未来のために活かしてください、と、8000万円も寄付をいただいたんです」。前田さんには、初代理事長になっていただき、いがこういくかいの名称も、お名前からいただいています。

「現在は五つの事業所を開設。大手企業との施設外就労も実現しています。そのひたむきな人柄に触れると、だれもが力になりたくなるんですよ」と、平井さんは紹介しました。

無認可作業所の開設も、法人化も、現役教師でありながら実現。

約30年前、佐藤さんは、北海道白老町で、ことばの教室の担任として、ろうあや、知的障害のある子どもたちの教鞭をとっていました。保護者は親の会を作り、子どもの将来を守る環境改善を学校に訴えます。「でも、私たちの声に、だれも耳を傾けてくれない。先生も、やがてはここを去るのでしょう」。その言葉に、「一過性の対応ではいけない。継続的に支援することこそ大切、と気づいたのです」と、佐藤さん。

希望を失った保護者が親の会を解散すると聞けば、無償で会を引き継ぎ、不景気で職を失った障害のあるかたたちが町に戻って来ると、無認可の共同作業所も開設します。驚きなのは、これをすべて現役教師を続けながらおこなわれて来たことです。

「次に法人化を目指して奔走されるのですが、その寄付集めに、私にも声がかかりました」と、推薦者の戸田やすひこ 白老町長。「とにかく、障害のあるかたのために、と、思い立てば、施設外就労先の拡大、グループ ホーム開設など、猪突猛進で走り出してしまう。そんな姿を見ていると、周りも、つい協力したくなるんです。本人は60歳で辞めると言っていましたが、もう70歳を過ぎていますし、きっと一生、挑戦し続けるでしょう(笑い)。私たちも、ずっと応援し続けていきますよ」と、伝えました。

そんな おふたりの活動をビデオ上映。全国の視聴者にもネットで届けました。

クライマックスは、ヤマウチ理事長から、おふたりに、正賞の、あめのみや あつし氏作のブロンズ像、愛、と、賞状、副賞、賞金100万円の贈呈です。奥西さんと一緒に仕事をし、施設外就労の生みの親である福本明子さん、佐藤さんを支え続ける令夫人には花束を贈りました。続いて、3名の来賓より祝辞をいただいたあと、両受賞者の喜びのスピーチへ。画面を通して、地元で見守る多くの関係者に、感謝の言葉を伝えるおふたりからは、周囲のかたを強くひき付ける、その人柄がにじみ出ていました。

前列左から、受賞された佐藤氏令夫人と、佐藤春光さん。受賞者の奥西利江さんと、元同僚の福本明子さん。後列左より、森下あきとし、ヤマト グループ企業労働組合連合会、会長。ヤマウチ雅喜、ヤマト福祉財団、理事長。厚生労働省、社会、援護局、赤澤こうせい、障害保健福祉部長。ながおゆたか、ヤマト ホールディングス株式会社、代表取締役社長。

会場内では、ソーシャルディスタンスを守り、パーティションで区切りました。

「この賞は、職員や、地元のかた、ご協力いただく企業のみなさんと一緒にいただいた、価値あるものです」と、奥西利江さん。

「いまは施設外就労で、10万円を超える給料をもらう人もいます」と、奥西さんの推薦者、社会福祉法人、伊賀市社会福祉協議会、平井俊圭、常務理事。

当初は、地域のかたの反対もあり、4度も引っ越すことに。今は、伊賀市内の、ふっくりあ に本部を構えています。

「おふたりの活躍は、地域に根付いた素晴らしいものです。受賞は、選考委員、全員一致で決まりました」と、渡辺 おさむ、選考委員。

「私たちも、障害のあるかたの就労支援と、そこに携わるかたたちを、ずっと応援し続けます」と、厚生労働省、社会、援護局、 赤澤こうせい、障害保健福祉部長。

「おふたりの姿に、私たちも、もっと地域のかたのお役に立ちたい、と改めて感じました」と、ヤマト ホールディングス株式会社、ながおゆたか、代表取締役社長。

「夏のカンパや、賛助会員として支援する、仲間の思いを、大切に受け取ってください」と、ヤマト グループ企業労働組合連合会、森下あきとし、会長。

「福祉に携わり30年以上経ちますが、たくさんのかたに支えられて、私はやってこれました」と、佐藤春光さん。

2004年に開設した、社会福祉法人ホープの事業所、フロンティア。他にも、2事業所、4つのグループ ホームも運営。

「障害のある子たちのためになる、と思ったら、採算を度外視して、すぐ動き出してしまうかた」と、佐藤さんの推薦者の、戸田やすひこ、白老町長。

受賞者を訪ねて。

施設外就労で実現した、給料増額と、正社員への道。

社会福祉法人、いがこういくかい、統括管理者、奥西 利江さん。

11月18日、ヤマウチ理事長は、奥西さんの案内で、三重県伊賀市内にある、施設外就労先のひとつ、株式会社ミルボンの工場へ向かいました。

施設の外で働くことで、より多くのかたの理解を深める。

株式会社ミルボンの工場の中に入ると、青いユニフォームを着て、施設外就労で働く、びいはいぶ の利用者さんが見えてきました。キビキビとした姿は、社員とまったく見分けがつきません。

奥西さんが施設外就労に取り組むことにしたきっかけは、周囲の反対に遭い、4回の引越を経た経験からでした。「人は、普段見ていない他人のことを理解できません。だから、町中に施設を作り、日頃から、地域の中に溶け込めるようにしたんですよ」と、奥西さん。「働く場所も作業所ではなく、町の工場や商店で」と、施設外就労と、一般就労に力を入れてきました。しかし、企業に就職できた障害のある人たちは、失敗を繰り返すと、施設に戻されてしまいます。

「その姿を見て、きちんと準備をして、社会に送り出してあげることが、私たちの大切な役目だと実感しました」。では、どうやれば良いのか。奥西さんは、株式会社ミルボンの村田輝夫、取締役生産本部長との出会いで、大きく変わったと振り返ります。

「当時、担当係長だった村田さんは、ここに入って働けば良いじゃないですか。うちの求める品質と生産性を守ってくれたら、なにも問題はない。通常の給料をきちんと用意しますよ、と、答えてくれたのです」。

さらに村田さんは、「社内で一緒に働くということがすごく大事だと思います。アウトソーシングされた下請けではなく、会社のラインに入って働くほうが、利用者さんにとって学ぶことは多いはずです。力がつけば、会社にとって、なくてはならない存在にもなれます」と、話してくれました。

株式会社ミルボンは、みえメディカル バレーと呼ばれる工業団地にあります。村田さんは、周りの企業が、施設外就労に消極的だったときも、協力を惜しみませんでした。利用者さんの働く様子を見学してもらうことで高評価を得て、いまでは、大手5社が施設外就労先となっています。

「施設外就労は、お菓子づくりなどと違い、経費がかからず、大半を給料にまわすことができます。いまでは、平均工賃を約5万3000円まで増額できました」と、奥西さん。

地域と共生する施設外就労の、新しいモデルとしても注目。

ここでは、工場内の1本のラインを、そのまま奥西さんたちが担当しています。利用者さんが会社で働くルールやマナーを身に付け、仕事の技能をしっかり修得できると、正社員候補に。採用されるときは、1本のラインで働く利用者さんと、サポートする職員全員というから驚きです。

「いまでは、6本のラインを任せていただき、みんなで、次の正社員採用を目指して頑張っています」。

さらに凄いのは、株式会社ミルボンを退職されたかたが、パートとして福祉施設で働き、利用者さんと、職員のスキルアップを指導する、そんな仕組みまで考え出していることです。企業は、利用者さんと、職員を、若き人材として登用し、福祉施設は、企業で働くかたがリタイアした後の、セカンド ステージになっています。

「地域社会と福祉が共生する、新しい施設外就労のモデルとして、全国に広めていきたいですね」と、ヤマウチ理事長も感心することしきりでした。

最初に訪ねたのは、いがこういくかいの本部があるグループ ホーム、ふっくりあ。

職場での役割や、責任感も理解し、企業内で颯爽と働く、利用者さん。

施設外就労以外には、菓子製造なども。ふっくりあ モォンマールは、伊勢志摩サミットで採用された、お茶菓子も作っています。写真は、伊賀市庁舎の出張販売。

受賞者を訪ねて。

教師としての信念で拓く、障害者の働く場。

社会福祉法人、ホープ、常務理事、佐藤 春光さん。

11月11日、社会福祉法人ホープ、民族共生象徴空間の軽食売店、カフェ リムセ、施設外就労先の農場など、佐藤さんと一緒に巡りました。

町の人が大切にする、アイヌ伝統文化の担い手に。

千歳空港から1時間半ほど車を走らせ、白老町へ。この町では、アイヌ文化の多彩な魅力に触れることができる、ウポポイ事業が進められています。ウポポイは、アイヌ語で、歌うこと、を意味する言葉です。2020年7月には、民族共生象徴空間がオープンしました。附帯施設の軽食売店、カフェ リムセでは、社会福祉法人ホープの利用者さんが、給仕や、売店スタッフとして元気に働いています。

「みんな楽しそうでしょう」と、目を細める佐藤さん。これまで高い給料を支払うために、藍染め教室や、養鶏場、喫茶店など、いろいろな事業に挑戦しましたが、思うように売り上げは上がりませんでした。

「利用者さんの作業能力で高い利益を得ることができる事業があるなら、企業が既にやっている。企業が手を出していない、自分たちだけの、付加価値のある仕事でなければ、高い給料を支払うことはできない、と、次第にわかってきたんです」。

そこで、着目したのが、町の人たちが守り続けるアイヌ文化です。

「私たちが、アイヌ文化の担い手になれないか。伝統食品や、工芸品などを製造、販売することで、施設の売り上げを伸ばせないか、と、考えました」。

地域に必要とされる喜びと、仕事へのやりがいを与えたい。

公益社団法人、北海道アイヌ協会に職員を送り、猛勉強。アイヌ文様の刺しゅう品、アイヌ特有の食材であるヘネイモや、ヤマユリ、ニセウなどのお菓子や、食品も製造できるようになりました。その実力と、喫茶店経営の実績を認められ、カフェ リムセの運営を一任されます。カフェでは、アイヌ伝統の食材を使ったオハウ(スープ)、ニセウうどん、エゾシカ カレー、エント茶、イタドリ茶を提供。アイヌ文様刺しゅうのネック ストラップなども販売しています。

エゾシカ カレーに使用する鹿肉の解体作業場は、地元の理解者が提供してくれました。さらに、原料調達や、解体作業も地元の有志が協力してくれています。

「幸い、私たちを応援していただける地元のかたたちは、お金に余裕はなくても、土地はたくさん持っています。この土地を借りて、行者ニンニクなどのアイヌの伝統食材の栽培もはじめました。ここは農業法人であり、利用者さんが施設外就労することで、より高い給料を手にできるようになっています」。

佐藤さんは、施設外就労にも力を入れ、化粧品会社の株式会社ナチュラル サイエンスの賛同を得ました。現在、毎日、約7名の利用者さんが、工場清掃などの仕事を担当しています。

「コロナ カ で喫茶店などの来店者数は伸び悩んでいますが、博物館の売店なら、お土産を買う人も多いので、うちの商品を並べて、売り上げ増を狙う計画です。でも、高い給料を支払えるようにすることだけが、私たちの仕事ではないと思っています。それ以上に大切なのは、仕事にやりがい、地域で必要とされている喜びを与えてあげることではないでしょうか」。

障害のあるかたが、アイヌ文化の伝承者として働く意義は、そんな思いにもつながっていました。

民族共生象徴空間、ウポポイの歓迎広場にある、カフェ リムセ。

カフェ リムセで働く利用者さんは、「大好きな接客業ができてうれしい」と話します。

利用者さんがアイヌ伝統文様を刺繍したネック ストラップは売れ行きも上々。

YouTube のヤマト福祉財団公式チャンネルで、それぞれの施設の紹介を公開しています。

受賞の言葉。

こんな素敵な表彰状をいただき、感激しています。

社会福祉法人、いがこういくかい、統括管理者、奥西 利江さん。

1962年、三重県名張市生まれ。1985年、ぶっきょう大学、社会学部、社会福祉学科、卒業。障害児入所施設に、保育士として勤務。1988年、小規模作業所、上野ひまわり共同作業所、開設。1994年、社会福祉法人、いがこういくかい、創設。1995年、知的障害者、通所授産施設、上野ひまわり作業所、1997年、びいはいぶ、2003年、ふっくりあ を開設。2006年、株式会社ミルボンなどで、施設外就労を開始。2009年、ふっくりあモォンマールを開設し、2016年に伊勢志摩サミットのお茶菓子に採用される。2017年、びいはいぶの高工賃支給に対し、天皇陛下より、ごか賜金拝受。

利用者さんの夢を叶える。それが私たちの仕事。

本日は、素晴らしい賞をいただき、晴れがましく思っています。35年間の活動を、素敵な言葉で綴った表彰状までいただき、思わず目頭が熱くなりました。

私たちが、より高い給料を目標にしているのは、開所当時、初めてお給料を手にした利用者さんの言葉を聞いたからです。

「これでは、ほしい物も買えない。奥西さんの仕事は、僕たちの夢を叶えてくれることなんでしょう」。

その声に応えるため、職員みんなでずっと頑張ってきました。職員の大半は、一般企業で働いたことがありません。ミルボンさんに厳しく失敗を指摘され、利用者さんと一緒に、泣いて帰って来たこともありました。でも、それはミルボンさんが、障害のあるなしに関係なく、私たちを育てようとされてきたからだと感謝しています。

そんな職員たちも、いまは立派な管理者に成長しました。昨年ミルボンさんに提供いただいた、8000坪ほどの工場跡地を使い、学校を卒業した子どもたちが、社会に出て働くための勉強ができる施設も計画中です。私は後方支援にまわり、若い職員にすべて、任せるつもり。できたら、グループホームの掃除のおばちゃんになって、「ちゃんと片付けなさいよ」なんて小言を言いながら、日々、寄り添い続けていけたらと思っています(笑い)。

受賞の言葉。

たくさんの人との出会いに恵まれて、今があります。

社会福祉法人ホープ、常務理事、佐藤 春光さん。

1951年、北海道壮瞥町出身。1976年、北海道教育大学、社会科卒業後、白老町立、森野小学校に赴任。1990年、白老町ことばの教室や、情緒障害児学級設置実現を通し、白老町手をつなぐ育成会を引継ぐ。1997年、教職に就きつつ、共同作業所フロンティア、開設。2004年、社会福祉法人ホープ設立。翌年、白老小学校を早期退職し、常務理事に。2005年、通所授産施設フロンティア開設。2009年から2017年に、四つのグループ ホーム開設。2011年、多機能型事業所、フロンティア開設。2013年より、施設外就労を開始。2015年、登別市に就労継続支援 B型事業所開設。2020年、民族共生象徴空間(ウポポイ)に、直営レストラン、カフェ リムセ、開業。

走り出したからには、中途半端では終われません。

コロナ カ のため、授賞式に出席できないかも、と思っていましたが、今は、参加できて、本当に良かった、と喜びを噛みしめています。

福祉を始めて、身に沁みてわかったのは、福祉にはとてもお金がかかるということ。事業所開設はもちろん、利用者さんの住む場所や、新しい仕事を創り出そうと考えたら、そのための投資が必要です。宝くじでも買おうか、と周りに話すと、人生最高の大当たりである奥さんを引き当てたんだから、これ以上は無理だよ、と言われてしまいましたけどね(笑い)。

でも、お金の苦労は、周りのかたに助けていただいて、なんとか乗り越えて来ました。私は、人との出会いに恵まれ、みなさんのおかげで今があると思っています。そんなかたたちが見守ってくれているのですから、中途半端では終われません。

利用者さんたちの姿を見ていると、まだやり遂げないといけないことがたくさんある、と感じます。もっと農場を拡大して、アイヌの伝統食材を育て、新しい料理や商品を提供していきたい。隣街の登別に介助を受けながら、温泉にもゆっくりと、はいれる、そんな新しい施設も建設して、利用者さんの高齢化にも対応していきたい。一度やると決めたのだから、最後までやり通さなけば。この賞を手にして、そんな気持ちがより強まりました(笑い)。

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