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第22回、ヤマト福祉財団おぐら昌男賞、贈呈式。

働きたい、暮らしたい。その願いをかなえるために。

ヤマト福祉財団、おぐら昌男賞では、毎年、障害のあるかたの仕事づくりや、雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに努められた、2名のかたを表彰しています。第22回の受賞者は、社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会の理事長、大矢 すすむさんと、社会福祉法人エルム福祉会、理事、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店、施設長の川上 しょうこさんです。贈呈式の様子は、YouTube でライブ配信しました。

お二人に共通しているのは、どんなときにも笑顔で立ち向かう姿勢。

障害者週間の12月8日、第22回、ヤマト福祉財団、おぐら昌男賞贈呈式を東京都、日本工業倶楽部で開催しました。

やまうち理事長は、挨拶のなかで、「お二人は、ともに、長年にわたって、障害のあるかたに寄り添い、仕事の拡大や、地域福祉の発展に貢献されてきました。その間、経済的な危機から、未曾有の災害、コロナウイルス感染拡大などにも直面されますが、希望を失わず、持ち前の明るさで、乗り越えられている点が似ています」と、紹介しました。

エヌピーオー法人、日本障害者協議会の藤井克徳代表も、「地域との強い絆を築き、どんな困難を抱えている人も、来る者は拒まず、受け入れられていること。つねに夢に向かってまっすぐに進み、障害のあるかたと働く喜びを分かち合われていることも共通しています」と、選考委員を代表し、功績を讃えました。

苦しくても、なかなか声が届かない、ろうあ者のために、全情熱を傾ける。

大矢さんの推薦者は、50年近くのおつきあいになると話す、一般財団法人、全日本ろうあ連盟理事長の、石野,としさぶろうさんです。

「大矢さんは、きこえない、きこえにくい人の人権を守り、福祉向上や、就労支援などに、精力的に取り組んでいます。最初にお会いしたのは、大津市のろうあ青年大会に参加したときで、私はまだ18歳。大矢さんの、たぎるような情熱に圧倒されました」と、振り返ります。

大矢さんは、1969年に、京都ろうあセンターの開設に携り、その後、京都,心身障害者職業相談室を設置。職業安定所への手話協力員設置制度の新設へとつなげていきます。

「私はセンターの一部屋を借りて、新聞を発行していました。昼の食事にご一緒すると、いつも口癖のように、もっと怒れ。高齢や重度の障害者の生活をどうする。変革していく人間に、若いも年寄りも関係ない、と、厳しく叱咤激励されるんです。でもその声には、兄のような優しさがありました」。

1982年、大矢さんは、京都府綾部市に、重度重複聴覚障害者更生施設、いこいの村、栗の木寮を開設。10年後には、高齢のきこえない人への支援の専門性を備えた、全国でも数少ない特別養護老人ホーム、いこいの村、梅の木寮を建設し、初代施設長に就任します。そして、1995年、阪神淡路大震災が発生。救援に駆けつけた大矢さんは、行き場所もなく困窮する、ろうあ高齢者の姿を目の当たりにすると、迷うことなく兵庫県に拠点を移します。被災したすべての、ろうあ高齢者の救済を掲げ、募金活動を開始。淡路島に特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさとを開きました。

「職員にも、ろうあ者を広く採用し、暮らしの安定に力を注いでいく。そんな活動を続ける大矢さんには、たくさんのファンがいます。今回の受賞の様子も、施設の職員をはじめ、たくさんのかたが動画配信で見ていることでしょう。ご一緒に、この喜びを分かち合いたいと思います」。

すべての暗闇を明るく照らす、障害のある方たちの、ヒカリ。

「しょうこちゃんも、ファンの多い人なんです。彼女は私の教え子なので、今日もそう呼ばせていただきます」と、川上さんの推薦者で、エヌピーオー法人、キャリアコーチ、とちぎ県北,子ども、若者ひきこもり相談センター長の新江 つよしさん。

川上さんの父親も元教師です。障害者教育に力を入れ、1984年に退職金を投じ、教え子の卒業後の支援のために、大田原市で初めて、エルム福祉会の前身である、エルム共同作業所を立ち上げました。

「両親のお手伝いがしたいと、しょうこちゃんは、障害者の住まいの場、グループホームの地域生活マネージャーや、高齢者事業の施設長を歴任してきました。そして、2005年にエルム福祉会の理事になると、障害のあるかたが自立して生活するためには、働いて稼ぐ訓練が必要、と、hikari no cafe をオープンしたんです」。

その名称は、どんなに小さな光でも、暗闇を照らすチカラを持っている、との父親の思いを受け継ぎ、名付けています。

「しょうこちゃんは、利用者さんにも、職員にも、平等に接し、いつも、ありがとうの感謝の声がけをおこないながら、力を合わせ、働いています。また、地域の清掃活動などにも積極的に参加することで、地元のかたたちからの理解、信頼も深めました。いまでは、地元農家や、自治会組織とも良い協力関係を築いています。カフェも3号店まで拡大していますし、これからも利用者さんと地域の光となるリーダーとして活躍してほしいです」と、伝えました。

そんな、お二人の活動と、施設の様子を動画で紹介したあと、やまうち理事長が正賞のあまみや あつし氏作のブロンズ像、愛と、賞状、副賞賞金、100万を贈呈。お二人を陰で支え続ける令夫人とご夫君には、花束をお贈りしました。

続いて3名の来賓より祝辞をいただき、最後は両受賞者のスピーチへ。

これまでの道のりを振り返りながらお話しされる言葉には、協力いただく方々と、同胞への感謝の気持ち、そして、どんな苦労が待ち受けようとも、決して迷うことなく進んでいく、固い決意が込められていました。

受賞された川上しょうこさんと、ご夫君、大矢 すすむさんと令夫人。森下明利ヤマトグループ企業労働組合連合会会長。やまうち雅喜ヤマト福祉財団理事長。 ながお ゆたかヤマトホールディングス株式会社、代表取締役社長。厚生労働省、社会 援護局、田原克志、障害保健福祉部長。

受賞の喜びを語るお二人。大矢 すすむさん、川上しょうこさん。

お二人の受賞を讃え、挨拶するやまうち財団理事長。

受賞者には、正賞、あまみや あつし氏作のブロンズ像と賞状、副賞 賞金、100万円の目録を贈呈しました。

「エスディージーズの、だれひとり取り残さない社会の実現は、まさに私たちが目指すもの。みなさんの応援の声を、頼もしく感じています」と、大矢 すすむさん。

「どんな困難があろうと、ろうあ者のために頑張れるかた」と、手話で語る大矢さんの推薦者、一般財団法人、全日本ろうあ連盟の石野,としさぶろう理事長。

「お二人には、これからも障害のあるかたの就労に力を注ぎ、世の中を力強く牽引していただきたい」と、エヌピーオー法人、日本障害者協議会代表の藤井克徳選考委員。

「利用者さんひとりひとりの適正を把握し、働きやすい環境を整えています」と、推薦者の、エヌピーオー法人、キャリアコーチ、とちぎ県北、子ども 若者ひきこもり相談センターの新江 つよしセンター長。

「お二人の取り組みが、障害のあるかたたちの働く喜び、生きがいを深めることに、しっかり繋がっていると感銘を受けました」と、厚生労働省、社会 援護局、田原克志 障害保健福祉部長。

「徳とは、実行して、はじめて人々の幸せに繋がります。まさにそれを体現されているお二人に、約22万人の社員を代表して、敬意をお贈りします」と、ヤマトホールディングス株式会社、ながお ゆたか代表取締役社長。

「職員や利用者さん、そして地域のかたがたの支えがあってこそ、こんな晴れやかな場所に立てているのだと感謝しています」と、川上 しょうこさん。

「我々が夏のカンパや、賛助会員として支援しているのは、ありがとう の言葉の価値を実感しているから。お二人も同じ思いなのだ、とうれしく思いました」と、ヤマトグループ企業労働組合連合会 森下明利会長。

受賞者を訪ねて。

高齢ろうあ者の、これまでの苦労に寄り添って。

社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会、理事長、大矢 すすむさん。

11月8日、やまうち理事長は、大矢さんの開設された、兵庫県洲本市にある特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさとを訪ねました。

被災地のろうあ者の命と、暮らしを守るため、淡路島へ。

大矢さんは、京都で、「きこえない、きこえにくい人たちが、社会からはじき出されてしまうはおかしい」と、さまざまな運動を続けてきたかたです。兵庫県に活動拠点を移したきっかけは、阪神淡路大震災でした。

「震災前までは、家族と支え合い、生きてこられた、ろうあ者の生活が、住む家もろとも崩壊してしまいました。しかも、高齢者の中には、震災では無事だったのに、仮設ハウスなどで人知れず亡くなられたかたが何人もいたのです。兵庫県のろうあ者は、困ったときに、病気のときにきちんと支えてくれる場所を作ってほしいと、長年期待してきました。私は、いまこそそれを作るときだと決意したのです」。

早速、聴覚障害者の社会参加と、平等、ノーマライゼーションの実現を目指す、社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会を設立します。

「人は、歳を取れば、透析や、胃瘻などの病気も抱えてしまうけど、そんな高齢ろうあ者は、なかなか受け入れてもらえません。だから自分たちで作るしかない。でも、建設には約5億円の資金が必要でした。地域のかたと一緒に、地道に募金活動を続け、2006年に、やっと待望の高齢ろうあ者の特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさとを開所できたのです」。

さらに、2010年に、就労継続支援B型事業所、おのころの家を、その2年後には、閉校になった中学校を再利用し、中川原高齢者障害者地域ふれあいセンターも開所します。

「聾学校を出ていないかたもたくさんいましたから、そういうかたの居場所を作りたかった。みんなで田畑を借りて、淡路島の名産のタマネギ作りもはじめたんですよ」。

試食させていただいたタマネギスープは、感動的な美味しさでした。

互いを磨き合える場所で、マイナスをプラスに変える。

「ふくろうは、福と聾。ろうあや、障害がある人たちみんなが力を合わせ、一緒に幸せな場所をつくっていく、そんな思いを込めています。だから、職員にはろうあ者もいて、一緒に働きながら自分の存在理由を見いだし、活躍しているんです」。

ヘルパーのかわまゆきこさんは、「きこえにくい私でも、力を発揮できるように、いろいろ環境も整えていただいています。私はろうあ者の気持ちはよくわかりますが、きこえている入居者の思いも理解しなければなりません。そこは他の職員と協力し合い、どなたにも喜んでもらえる支援を目指しています」と、話してくれました。

「マイナス同士も掛け算にすればプラスになりますよね。いろいろな個性、立場の人たちみんなが手を取り合い、一緒に働き、互いを磨き合っていける、そんな場所にしていきたいのです」と、大矢さん。

そこで、働く場として、2011年にベーカリーおのころ屋を、2020年には、地域密着型の複合施設、神戸長田ふくろうの杜も開所。また、自立生活の場として、神戸にグループホームも新設。日本中のきこえない人たちに、夢と生きる自信を与える活動の旗手として、大矢さんは今日も走り続けています。

入居者が一同に集まって、ふくろうのさとの朝礼。

ふくろうのさとで、大矢さんの案内を受けるやまうち理事長。

中川原高齢者、障害者地域ふれあいセンター。ふるさと納税の返礼品に採用されている、おのころやのクッキー。

働く場や、デイサービスなどを備える複合施設、神戸長田ふくろうの家。

大矢さんの兵庫での活動内容。

暮らしの場。

特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさと。障害者グループホーム、神戸平野ふくろうの樹ほか。

働く場。

就労継続支援B型、おのころの家。就労継続支援B型、共同作業所神戸ろうあハウスほか。

デイサービス。

中川原高齢者、障害者地域ふれあいセンターほか。

利用者さんと、地域のかたの夢が詰まったカフェ。

社会福祉法人エルム福祉会、理事、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店、施設長、川上 しょうこさん。

11月1日、那須塩原駅から車で約30分。田園風景が広がるなかに、ポツンと見えた、旧蜂須小学校が川上さんのカフェでした。

思い出でいっぱいの古い校舎を、お洒落で、温もりあるカフェに。

廃校となった小学校をリノベーションしてオープンした、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店。「築90年になる木造校舎は、地元の方たちの思い出がいっぱいに詰まっています。その温もりと形を大切に残しながら、地域のコミュニケーション スペース、そして、利用者さんたちが生き生きと働けるカフェ、スイーツ工房へと生まれ変わらせました」と、川上さん。

職員室や校長室の壁や天井を取りはらい、広々とした空間を作ると、真っ白に塗り替え、大きな窓から日差し一杯のカフェに。使い古したオルガンや黒板なども飾り、ノスタルジックでお洒落な雰囲気に仕上げました。

「利用者さんと職員、みんなでアイデアを出し合い、内装からメニューまで、こだわり抜いています。どうぞ召し上がってください」。そういって出された料理には、利用者さんが工房で焼いたパンや、焼き菓子、 地元農家が育てた新鮮な野菜に、珍しい古代米も。食器類には、懐かしい先割れスプーン、サラダやデザートの入れ物はビーカーと、目でも楽しめる工夫が、随所に凝らされています。

利用者さんが幸せになる姿を、地域のかたと一緒に応援したい。

「カフェをはじめたのは、パンやお菓子を作る人、接客、販売をおこなう人と、みんながやりたい仕事で、生き生きと活躍できる事業にしていきたかったからです。それに、ありがとう。美味しいよ〟そんな言葉を聞くことは、一般就労していくときの自信にもなっていきますからね」。

川上さんは、利用者さんが、「ケーキも作りたい、モンブランをお店に出したい」と言ってきたときも、「利用者さん同士で結婚し、自立して暮らしていきたい」と相談してきたときも、「やってみましょう」と、温かく見守り、後押ししてきました。

「亡くなった母が、そうやって利用者さんをずっと応援してきた姿が、私の中で息づいています。普通なら難しい、とあきらめてしまうことも、やってみたいと思う、強い気持ちがあれば、きっとかなえることができる。人生を開いていく、幸せをつかんでいく利用者さんの姿を見ることが、私たち支援者にとって最大の喜びです。やっぱりこの仕事って尊いよね、って、職員と一緒に話すんですよ」。

hikari no cafe のヒカリは、当時入院中だったお父さんから贈られた言葉です。

「利用者さんが働く姿を見ることで、周りの意識もきっと変わってくる。お前は、障害者の未来を、地域を照らすヒカリとなれ、と、病床で、父が語ってくれたんです」。

そんな両親の思いを受け継ぎ、頑張る、川上さんの姿に、地域のかたの気持ちもひとつになりました。開店前、広い駐車場の掃除をしていたのは、職員ではなく近所の方たちです。

「障害のある人たちの生き様を身近で見ることで、地域のかたが応援者に変わってくれました。だからこそ、利用者さんだけではなく、地域のかたが望んでいることにも耳を傾け、実現していくことが大事なんです。お互いに支え合う、豊かな気持ちになれる、そんな関係をずっと大切にしていきたいと思っています」。

ここがカフェ? 年間、35万人、来店される、蜂巣小珈琲店の前で、推薦者の新江さん、川上さん、やまうち理事長。

広々と、お洒落で、明るい空間には、子どもの頃に戻れる、レトロな演出も。

財団の助成で改装した、Sweets工房、パン工房で作るクッキーやパンは、利用者さんの手づくり。

利用者さんが、その日のランチを細かく説明、サーブをしていただきました。

懐かしいアルミのプレートに載った、ボリュームたっぷりのランチ、利用者さんのアイデアが商品になった、モンブランと、生チョコ。

社会福祉法人エルム福祉会。

hikari no cafe 蜂巣小珈琲店。就労継続支援A型、19名。2020年度、平均工賃、68,015円。就労継続支援B型、17名。2020年度、平均工賃、17,315円。ほか、hikari no cafe 本店、大田原市庁舎店など働く場を広げている。

受賞の言葉。

私たちを応援してくれる、22万人の仲間がいました。

社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会、理事長、大矢 すすむさん。

1968年、社会福祉法人、京都府ろうあ協会入職。1991年、京都市聴覚言語障害センター、副所長、就任。翌年、特別養護老人ホーム、いこいの村、梅の木寮を開所、施設長就任。1995年、阪神淡路大震災が発生。被災地の、ろうあ者を守るため、兵庫県へ移住。2004年、社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会、設立。2006年、特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさとを開設、施設長就任。2010年、B型事業所、おのころの家を開所。2014年、社会福祉法人、ひょうご聴覚障害者福祉事業協会、理事長就任。2020年、神戸長田ふくろうの杜、開所。

きこえないのは不幸と、だれが決めたのだろう。

本日は、私の人生の中でも特別な日となりました。淡路島の人たちと一緒に、手を取り合い、歩んできたことを、たくさんのかたに評価いただき、とてもうれしく思います。贈呈式の様子をライブ配信していただきましたので、式の最中にも、仲間たちから、お祝いのメールが続々と届きました。

そして、もうひとつ、私がとてもうれしかったのは、約22万人のヤマトのドライバーのみなさんが、私たちを応援してくれているということです。ひとつひとつの荷物に託した、お客様の気持ちを大切に、仕事に取り組むみなさんの思いは、私たちが仕事に臨む気持ちと同じだと感じています。

エスディージーズには、「だれひとり取り残さない、排除しない社会」を作る、とあります。これは私の理念とまったく同じです。「きこえない、きこえづらいから、あなたは不幸だ」。そんな烙印を心に押され、もがき苦しむ仲間たちに、働く喜びを得られる場所と、安心して暮らせる場所をつくることが、私の人生の使命です。

人は、生き甲斐を持って働ける仕事と出会えたとき、本当の幸せをつかむことができます。もっとたくさんの、ろうあ者が、働く達人となれるように、私はこれからも応援し続けていくつもりです。

受賞の言葉。

父と母のことが書かれた表彰状に感激しました。

社会福祉法人エルム福祉会、理事、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店、施設長、川上 しょうこさん。

1985年、栃木県立那須養護学校、講師。1991年に、知的障害者地域生活ホーム、2000年に、社会福祉法人、エルム福祉会障害者グループホーム,待降寮の世話人。2004年、栃木県福祉ホーム、グループホーム世話人連絡会、会長、社会福祉法人、エルム福祉会、障害者グループホーム,待降寮 地域生活マネージャー、就任。2005年、社会福祉法人、エルム福祉会の理事、就任。2012年、地域密着型介護保険サービス事業所、たじまの杜、施設長。2016年、多機能型障害福祉サービス事業所、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店、施設長。2019年、hikari no cafe 大田原市庁舎店の施設長兼ゼネラルマネージャー。同年、栃木で輝く女性20人に選出。

利用者さんの成長が、背中を後押ししてくれる。

この世界を生きづらく感じている人すべてが、お互いに認め合い、社会参加していけるように。父と母の願いを受け継ぎ、私たちは、地域のヒカリとなり、福祉のヒカリとなる、をビジョンに掲げ、活動を続けています。

本日いただいた表彰状には、そんな両親のことまで書いていただいてあり、思わず涙がこぼれそうになりました。

私が、このような晴れやかな場所に立っていられるのは、職員みんなと心をひとつに、頑張ってこれたからこそ。その背中を力強く押し続けてくれているのが、利用者さんの成長していく姿です。

以前は、まったく仕事に見向きもしていなかったかたが、カフェで働きはじめるとメキメキと実力を発揮。朝から大忙しで、私たちはヘトヘトになっても、「忙しいって良いですね」とニッコリ、笑っているんです。そんな姿を見ていると、働くって素晴らしいな、とうれしくなります。もうひとつは、地域の方々の応援です。hikari no cafe をオープンしたとき、地域のみなさんが、「頑張っているね」と、率先して来店してくれました。これからは、もっと多くのかたに喜ばれる料理と、お菓子を考案し、全国の方々にも販売していけたら素敵だと考えています。

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