お二人に共通しているのは、どんなときにも笑顔で立ち向かう姿勢。
障害者週間の12月8日、第22回、ヤマト福祉財団、おぐら昌男賞贈呈式を東京都、日本工業倶楽部で開催しました。
やまうち理事長は、挨拶のなかで、「お二人は、ともに、長年にわたって、障害のあるかたに寄り添い、仕事の拡大や、地域福祉の発展に貢献されてきました。その間、経済的な危機から、未曾有の災害、コロナウイルス感染拡大などにも直面されますが、希望を失わず、持ち前の明るさで、乗り越えられている点が似ています」と、紹介しました。
エヌピーオー法人、日本障害者協議会の藤井克徳代表も、「地域との強い絆を築き、どんな困難を抱えている人も、来る者は拒まず、受け入れられていること。つねに夢に向かってまっすぐに進み、障害のあるかたと働く喜びを分かち合われていることも共通しています」と、選考委員を代表し、功績を讃えました。
苦しくても、なかなか声が届かない、ろうあ者のために、全情熱を傾ける。
大矢さんの推薦者は、50年近くのおつきあいになると話す、一般財団法人、全日本ろうあ連盟理事長の、石野,としさぶろうさんです。
「大矢さんは、きこえない、きこえにくい人の人権を守り、福祉向上や、就労支援などに、精力的に取り組んでいます。最初にお会いしたのは、大津市のろうあ青年大会に参加したときで、私はまだ18歳。大矢さんの、たぎるような情熱に圧倒されました」と、振り返ります。
大矢さんは、1969年に、京都ろうあセンターの開設に携り、その後、京都,心身障害者職業相談室を設置。職業安定所への手話協力員設置制度の新設へとつなげていきます。
「私はセンターの一部屋を借りて、新聞を発行していました。昼の食事にご一緒すると、いつも口癖のように、もっと怒れ。高齢や重度の障害者の生活をどうする。変革していく人間に、若いも年寄りも関係ない、と、厳しく叱咤激励されるんです。でもその声には、兄のような優しさがありました」。
1982年、大矢さんは、京都府綾部市に、重度重複聴覚障害者更生施設、いこいの村、栗の木寮を開設。10年後には、高齢のきこえない人への支援の専門性を備えた、全国でも数少ない特別養護老人ホーム、いこいの村、梅の木寮を建設し、初代施設長に就任します。そして、1995年、阪神淡路大震災が発生。救援に駆けつけた大矢さんは、行き場所もなく困窮する、ろうあ高齢者の姿を目の当たりにすると、迷うことなく兵庫県に拠点を移します。被災したすべての、ろうあ高齢者の救済を掲げ、募金活動を開始。淡路島に特別養護老人ホーム、淡路ふくろうのさとを開きました。
「職員にも、ろうあ者を広く採用し、暮らしの安定に力を注いでいく。そんな活動を続ける大矢さんには、たくさんのファンがいます。今回の受賞の様子も、施設の職員をはじめ、たくさんのかたが動画配信で見ていることでしょう。ご一緒に、この喜びを分かち合いたいと思います」。
すべての暗闇を明るく照らす、障害のある方たちの、ヒカリ。
「しょうこちゃんも、ファンの多い人なんです。彼女は私の教え子なので、今日もそう呼ばせていただきます」と、川上さんの推薦者で、エヌピーオー法人、キャリアコーチ、とちぎ県北,子ども、若者ひきこもり相談センター長の新江 つよしさん。
川上さんの父親も元教師です。障害者教育に力を入れ、1984年に退職金を投じ、教え子の卒業後の支援のために、大田原市で初めて、エルム福祉会の前身である、エルム共同作業所を立ち上げました。
「両親のお手伝いがしたいと、しょうこちゃんは、障害者の住まいの場、グループホームの地域生活マネージャーや、高齢者事業の施設長を歴任してきました。そして、2005年にエルム福祉会の理事になると、障害のあるかたが自立して生活するためには、働いて稼ぐ訓練が必要、と、hikari no cafe をオープンしたんです」。
その名称は、どんなに小さな光でも、暗闇を照らすチカラを持っている、との父親の思いを受け継ぎ、名付けています。
「しょうこちゃんは、利用者さんにも、職員にも、平等に接し、いつも、ありがとうの感謝の声がけをおこないながら、力を合わせ、働いています。また、地域の清掃活動などにも積極的に参加することで、地元のかたたちからの理解、信頼も深めました。いまでは、地元農家や、自治会組織とも良い協力関係を築いています。カフェも3号店まで拡大していますし、これからも利用者さんと地域の光となるリーダーとして活躍してほしいです」と、伝えました。
そんな、お二人の活動と、施設の様子を動画で紹介したあと、やまうち理事長が正賞のあまみや あつし氏作のブロンズ像、愛と、賞状、副賞賞金、100万を贈呈。お二人を陰で支え続ける令夫人とご夫君には、花束をお贈りしました。
続いて3名の来賓より祝辞をいただき、最後は両受賞者のスピーチへ。
これまでの道のりを振り返りながらお話しされる言葉には、協力いただく方々と、同胞への感謝の気持ち、そして、どんな苦労が待ち受けようとも、決して迷うことなく進んでいく、固い決意が込められていました。