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巻頭企画、やまうち理事長を囲んで。沖縄のみなさんと、リモート座談会。

こんなときこそ助け合う、ゆい の精神を。

沖縄が抱える問題点や、気候、特産物、観光資源などの良いところを見つめ、利用者さんの仕事と、給料を拡大していこう。沖縄の福祉施設関係者の思いを込め、3年計画で、2018年にキックオフした、パワーアップフォーラム in 沖縄。ところが、コロナウイルスの蔓延により、集大成となるはずの、2020年の開催は延期に。あれから約2年間の時を経て、今年2月4日、オンライン形式にすることで、ようやく開催できました。

このフォーラムの実現に尽力されてきた、実行委員長のひが えみこさんと、株式会社, ゆにばいしがき のつかやま わたるさんを、やまうち理事長がオンライン座談会に招待。コロナカの2年間での苦労と、それをどうやって乗り越えてきたのか。さらに、ウイズ コロナでの施設運営や、利用者さんの仕事の拡大に、今後、どう取り組んでいきたいのか、などを伺いました。

また、沖縄ヤマト運輸労働組合の玉城清志委員長にも参加いただき、地元、沖縄で、日々の業務を通して気づいたこと、今後の支援のありかたなどについても話題を広げました。

沖縄ヤマト運輸労働組合、玉城 清志,シッコウ委員長。

株式会社ゆにばいしがき、代表取締役、つかやま わたる 氏。

有限会社,やんばるライフ、専務取締役、合同会社やんばるいろは、代表、ひが えみこ氏。

コロナカでも、利用者さんの、働く生きがいを守り通す姿勢は変わらない。やまうち理事長。

沖縄で、障害のあるかたの就労支援に正面から取り組む、ふたりの経営者。

やまうち 雅喜 理事長(以下、理事長):みなさんご多忙の中、ご参加いただき、ありがとうございます。本日は、最初からミュートを外して、雑談感覚で気軽にトークしていきましょう。まずは、自己紹介からお願いします。

ひが えみこ氏(以下、敬称略):私は、名護市で、ダスキン加盟店や、化粧品関連の販売会社を経営しています。現在、雇用している、障害のあるかたは8人です。私も、つかやまさんも、中小企業同友会という、中小企業が集まった全国組織に属しています。ここには、障害者問題委員会という専門委員会もあり、沖縄でも、この委員会を18年前に立ち上げました。その目的は、障害のあるかたに関わる、さまざまな障壁や、バリアを、経営者の立場で解決していく、垣根を低くしていくことです。

理事長:事業所も運営されていますね。

ひが:名護市には、就労を希望する、障害のあるかたがたくさんいらっしゃいますので、働き始めるための準備を行うA型事業所を、6年前に設立しました。こうして、いろいろな角度から、障害者雇用に関わってきたことで、一番変わったかなと感じるのが、社内の風土です。だれもが快適に働ける環境を、どうやって整えていくか。みんなで考え、変えていくことで、座学では得られない社員教育ができたのではないかと思っています。

理事長:つかやまさんは、どういった活動をされているのですか?

つかやま わたる氏(以下、敬称略):私は、八重山地域で、障害のあるかただけではなく、幅広く求職困難者の就労支援に携わっています。みなさんは、「もっと働きたい。自分の役割や生きがい、夢をつかみたい。おうちを建てたい」など、いろいろな希望を持っている。その夢がかなえられるような会社運営をしたい、と、同友会にも入りました。

理事長:つかやまさんの会社は、株式でしたね。

つかやま:当社は、就労支援、就労訓練、グループホーム、子育て支援、保育所の経営など、多角的に事業を行っています。株式会社にしたのは、これらの経営を、スピード感を持って判断していけるからです。

理事長:玉城委員長も自己紹介を。

玉城清志氏(以下、敬称略):沖縄ヤマト運輸労働組合、シッコウ委員長を務めています。生まれは北部の国頭村の、あはという小さな集落です。あはは自然豊かなところで、あは川とふんがわという大きな川があり、そのふたつに大きなダムを建てて、県民のために水を供給していますので、あはのかたには足を向けて寝ることのないよう、お願いします。

理事長:沖縄では、水の確保も深刻な課題ですからね。では本題に入りましょう。

どんな状況でも、だれひとり取り残さず、守り抜く覚悟。

理事長:コロナウイルスが、国内に感染拡大して2年。感染の波が引いたかと思うと、またやって来る、の繰り返しで、いまも、日本中で大変な状況が続いています。なかでも、沖縄県は、オミクロンが全国に先がけて広がり、他にはない苦労があると思いますが、現在はどういった状況なのでしょうか?

ひが:3月に入っても、まだ感染者数が急激に減少する気配はありません。子どもさんの感染が増え、在宅ワークで家族感染が広がっているようです。

つかやま:私たちの周りにも、濃厚接触者になった、というかたが何人かいらっしゃいます。

理事長:利用者さんは、作業所に来所されていますか?

ひが:はい。みんな仕事を休みたくない、仕事がなにより楽しみ、という人ばかりなんです。

つかやま:うちは医療機関がない離島なので、ひとりでも感染すると、大変なことになりますから、安全のために、一時は事業所を閉じていました。でも、ご家族がずっと一緒に家にいられるわけではありません。ほんにんたちも製造するとか、販売活動をすることが生きがいになっているから、ここに来て働きたいんです。ご家族やご本人のニーズに合わせて、いまは、可能な限り、通えるようにしています。

理事長:この2年間で、事業経営にもいろいろな影響、変化があったと思いますが、どういった考え方で取り組まれてきたのでしょう。

ひが:私たち経営者の役割は、仕事をつくることです。働き、歩み寄って、育ち合いをしていく。これをしっかり続ける責任があります。そのために、いろいろな会社をつくってきたわけですからね。私たち経済団体は、社員みんなを、大事なパートナーだととらえています。だから、どんな状況にあっても、だれひとりとして取り残さず、守り抜く覚悟です。

理事長:売上状況はどうですか?

ひが:沖縄は観光が柱ですから、売上に大きく響いています。ダスキン事業部の売上は45パーセント ダウン、清掃や畑作業をおこなうA型事業所の、やんばるステーションは半分に。地元の特産物で化粧品を作っている会社は80パーセントもダウンしています。仕事がまったく動かなくなってしまった、というのが実情です。

理事長:かなり厳しいですね。

ひが:それでも、みんな、仕事をしたい、と口を揃えて話します。特に、A型事業所に通われているかたは、やっと自分の仕事を得られた、という喜びがあって、休みたくないんです。仕事をとおして、自分の存在意義がわかってきた、人の役に立つ喜びをみんなで分かち合えるようになってきた。だから、仕事が楽しいし、一所懸命に頑張って、スキルも上がっていく。そんな、こう循環を本人も私たちも感じているんです。

理事長:働くことで、社会に役立つ幸せを噛み締めているんですね。

ひが:その気持ちを無下にはできませんから、いままでやったことのなかった、マスクの制作とか、端切れを持ち寄っての、ものづくりとかも始めてみました。すると、この人は、こんなにミシンが上手なんだ、とか、みなさんの意外な能力が見えてきたんです。いままでは、清掃や、農業の仕事しかなかったのですが、仕事の種類を増やすことで、新しい能力が、新しい手応えが引き出せました。これはこれで、得るものがあったと感じています。

理事長:悪いことだけではないと。

ひが:そうですね、A型事業所は、最低賃金を保障させてもらっていますので、それだけの仕事をつくっていかなければなりません。そのためには、地域のかたと、いかに連携していくか、その大切さ、ありがたさを痛感した2年間でもありました。まだ財務的にはかなり厳しいですが、これから先も仕事を続け、徐々に回復していくなかで、バランスを見極めて、支援していくことが大事だなと思っています。

理事長:大変だったけれども、経営者として、新しい仕事をつくっていくことにより、自分たちが知らなかった新しい面を引き出すことができたというのは、素晴らしい気づきですね。全国の福祉施設が、新しい仕事を見つけ出そうと苦労していますが、ひがさんが新しい仕事をつくるために、いろいろな方と連携されてきたこと、どんなことをやると良いのか、などのポイントを教えてください。

ひが:仕事は、地域と深く関わることで生まれてきます。自分たちの周りの町にどんな課題があるのか。そういうことをつねに掘り起こしながら、私たちは学んできました。課題を足かせと見るのか、ジャンプするためのバネととらえるのかで、大きく変わると思うんです。できれば、全国の仲間と情報を共有し合い、仕事も紹介し合う。問題も、チャンスも、1社で抱え込まないで、みんなで解決し、達成していくということが大事ですね。すぐに成果が出なくても、水平分業を頭に置くと、より良い連携ができていくのかなと考えています。

人との出会いをつないでいくことで、新しい事業のチャンスも生まれる。

理事長:つかやまさんはいかがですか?

つかやま:うちは、農業が事業の柱ですが、観光と、障害者支援、障害者就労をマッチングさせる、いろいろな事業もやっているものですから、収入は、がた落ち。平均で40パーセント減、酷いときは、6割強も減少しました。未だに影響は続いていますけど、それでも、私たち経営者は、社員を不安にさせないためにも、うつむいてなんかいられない。私は、竹富町から委託を受けて、保育所のお子さんの支援もやっています。子どもたちに会うことで、日々、前を向いて頑張るパワーをもらえていますよ。

理事長:たとえば、観光ではどんな事業を?

つかやま:今日は、西表島の保育所にきていますが、島には、うちのアンテナショップもあり、観光客に向けて、自分たちで作った商品や、西表島の作家さんの商品を販売しています。コロナカで売上がほぼゼロになっていたのですが、本日、テナントの職員から、少しずつだけど回復していると報告を受けました。

理事長:改善の兆しが見えてきたんですね。

つかやま:新しい仕事もスタートしています。石垣島の会社から、沖縄方言で、はちゃぐみ、という、昔ながらのポン菓子のオーイーエムの依頼を受けました。全部、島のお米、黒糖、お塩を使って、我々、障害者施設が、自分たちの加工場で製造して、企業に卸し、販売いただいています。これが順調で、人づてに広がりも生まれ、別の会社から、「一緒にクッキーをやってみませんか」と、声をかけていただきました。製造するにあたり、クッキーのデザインや、レシピを担当された、県外のパティシエが、わざわざここまで来て、指導していただけたんですよ。

理事長:ありがたい話ですね。

つかやま:そのかたは、地元の障害者事業所の支援にも入っているということでしたが、人の繋がりのありがたさを、改めて感じました。

理事長:大切なのは、その出会いをどう生かせるかでしょうね。

つかやま:観光業は水物なだけに、それだけに頼っていてはダメなんです。やはり新しいことを考えていかないと。新聞配達のポスティングも始めていますが、これは地元の絆があってこそ。いろいろなかたと出会うことで、また新しい人とも繋がっていける。そこから新しい事業も生まれ、結果として障害者の働く場が広がっていくんです。

障害のあるかたが、個性を生かし、働いていけるたくさんの受け皿を。

理事長:おふたりに共通しているのは、利用者さん、ひとりひとりを見つめ、働く生きがいを広げていこうとしていること。利用者さんとの思い出に残る出来事などはありますか?

ひが:沖縄では、お盆になると仏前にお供えするためのギフトがたくさん出ます。それが、一時期、儀礼廃止みたいな風潮になり、ギフトが例年の半分くらいに減ってしまいました。すると、「会社がつぶれたら大変だ」と、ある知的障害のかたが、休みの日に、バスに乗って、特別支援学校でお世話になった先生がたを回り、ギフトの宣伝をしてくれたんです。あとで、そのことを先生から伺い、だれかに言われたのではなく、自分で気にかけて動いてくれた、そんな気持ちが芽生えてくれたことを、とてもうれしく思いました。

つかやま:私は20年前に石垣島にUターンして来ましたが、その前から東京、埼玉で、障害のある子どもの療育に携わる相談支援をしていました。どの親御さんも等しく願っているのは、「この子たちが、やがて親元から離れて自立できるように、働く場所、住む場所がほしい」という切実なもの。私がおこなってきたのは、そんな声に応える受け皿づくりです。ここで最初に支援した赤ちゃんたちも、いまでは20歳過ぎ。なかには、私と一緒に社員さん、障害者スタッフとして関わってくれているかたもいます。そんな彼らに、これからの地域の受け皿づくりを託していきたい。私は、そのきっかけを作る仕掛けニンでありたいのです。

理事長:そのひとつが居酒屋ですね。

つかやま:農園で働く視覚障害のかたで、とてもうまく民謡を歌うかたがいます。でも、合併症で、体力的に、農園の仕事が続けられそうになくなってきました。「自分はもともと歌手を目指してたんだけど、諦めて帰ってきた」と聞き、「じゃあ、うちで居酒屋をつくろう、君が店長になってくれ」と話したんです。夜に元気な、障害のあるかたもいらっしゃいますし、ちょうど良い。サンシンと歌が聴ける居酒屋は、観光客から、地元の方までリピーターも増えて繁盛していきました。でも、コロナカで経営が厳しくなり、いまは閉店しています。

理事長:ご本人は、かなりショックなのでは。

つかやま:閉店は、彼から言ってきたんです。もうほとんど目が見えなくなり、店長は続けられそうにない、と。私は、「それなら、いつか、まっくらなレストランを作ってみようよ」と、彼が次に活躍できる場所を考え始めました。障害者スタッフや、社員さん、ひとりひとりに物語がある。その人生を、明るく照らしていくことが、経営者の役割だと信じています。

ひが:受け皿を作るという点では、ヤマト福祉財団さんに支援いただいた、ゆいジョブが大きな役目を果たすと考えています。これは、働きたい障害者や支援する事業所と、障害者を雇用したい、または障害者施設に仕事を頼みたい企業とを結ぶ、マッチングサイトです。私たちが、同友会に委員会をつくった18年前、沖縄は、じつ雇用率が全国ワースト1でした。私たちは、その改善を目的に、雇用就労支援フォーラムを各地域で開催する活動をしてきました。しかし、県内で仕事を求める、障害のあるかたの人数は、まだ約5800名もいるんです。それを一気に解決はできませんが、ゆいジョブの活用が広がることで、障害のあるかたと、企業の距離が縮まり、たくさんの出会いが広がっていくはずです。また、ゆいジョブの繋がりを生かして、コロナカで、商品の出先に困った事業所が協力し合い、マルシェの開催なども実現していく、そんな、沖縄県の障害者福祉事業のコアに発展していってくれたらと期待しています。

義務感ではなく、使命感を持ち、継続して、行動し続けていこう。

理事長:玉城委員長には、沖縄のヤマト運輸の状況を伝えてもらいましょう。また、おふたりのお話を聞いた感想も教えてください。

玉城:コロナカで、現場のドライバーさんは、感染リスクを背負いながら、頑張って配達しています。しかし、おふたりのお話を聞かせていただいていると、こんなことで負けていられないですね。ひがさんは、40パーセント売上が落ちても、給料を下げないで、経営者の責任として、不動産を処分してでも、資金のやりくりをされているとも伺いました。では、私たちにどんな支援ができるのか。それは、やはり、1987年にヤマト運輸労働組合がはじめた、夏のカンパ運動であり、私たちも、1994年から参加させてもらっています。ヤマト福祉財団の大学生の奨学金制度で、去年、はじめて琉球大学の学生に授与できたとき、このカンパの話をしたんです。すると、講師のみなさんから、「これだけ長い期間やっているのはすごい」と言われ、続けていく大切さを、改めて認識し、今後も、全面的に協力していきたいと強く思いました。

理事長:夏のカンパを、毎年、続けていただきありがとうございます。今回のゆいジョブもそうですが、財団がいろいろな支援活動をできているのも、組合員のみなさまからの夏のカンパをはじめとする、ご寄付による財源があるからこそです。みなさまからの思いを大切に、今後も活動を続けてまいります。

では、最後に一言ずつメッセージをいただいて幕を閉じましょう。

つかやま:この2年間で痛感したのは、人と人の繋がり、人の温かみの大切さです。今後も、人と人が寄り添い、お互いが支え合えるような関係を築き続けたいと思っています。

玉城:今後は、地域に貢献するため、コロナカに則した、具体的な行動を進めていくつもりです。観光客が減り、1次産業の黒糖などのお土産が売れず、農家が困っていると伺ったときは、組合でまとめて購入して、組合員に配布しました。また、障害者雇用でも、沖縄ヤマト運輸も、ぜひ協力したいと考えています。

ひが:ありがたいお話です。私たちが忘れてはならないのは、なんのために、だれのために動いているのかということです。ゆいジョブも、実行委員たちが、義務感ではなくて、使命感を持って動いてくれたからこそ、形になりました。今後も、ぶれることなく、地域が一体となり、しっかり持続していくことで、必ず、なにかが変わっていくと信じています。

理事長:みなさんからいろいろな現場のお話を伺えて、充実した時間となりました。コロナカで同じように苦労している、全国の福祉施設関係者にとっても、良い励みとなる情報を共有できたと思っています。これからも健康にご留意されて、頑張って参りましょう。本日は、ありがとうございました。

目の前にある課題を、足かせと捉えるか、飛躍のバネと考えるか。ひが えみこさん。

社員の人生を照らす。物語の舞台を作る。それが経営者の役割だ。つかやま わたるさん。

コロナに立ち向かった、おふたりの話を聞くと、私たちも負けてはいられませんね。地域に貢献するため、私たちも行動を進めていきます。玉城シッコウ委員長。

有限会社,やんばるライフ、専務取締役、合同会社,やんばるいろは 代表、ひが えみこさん。

地域の一員として働くことで、喜びも増していく。

愛知県出身のひがさんは、1973年に結婚し、沖縄県に移り住んできました。1984年に、ダスキンフランチャイズ加盟店を創業。2004年、創業20年の節目の年から、障害者雇用を開始します。

「彼らの、ひた向きな取り組み姿勢に、私も社員も心を動かされました」。

ひがさんは、より多くの障害のあるかたに働く場を提供したい、と、地域の企業と力を合わせ、2010年にアセロラを使った化粧品などの販売を行う、合同会社,やんばるいろはを、2013年には、就労継続支援A型事業所、やんばるステーションを設立。

「どんな障害があっても、工夫次第で、関われる仕事があると気づきました。人は、だれもが、働くことで周りに認められ、故郷の一員として役に立つ喜び、幸せも得られると思っています」。

株式会社ゆにばいしがき、代表取締役、つかやま わたるさん。

八重山地域を元気に。人と島の魅力を生かす仕掛ニン。

東京で、障害者福祉施設の仕事に従事し、経験を積んだつかやまさんは、八重山圏域初の相談支援員として、石垣島にUターン。2009年に、株式会社ゆにばいしがきを創業します。

目指すのは、障害者だけでなく、ひとり親や、高齢者などの、就職困難者などの就労支援です。「後継者不足に悩む農家と、働きたくても職場のない方たちを繋ぎ、八重山地域を活性化したい」と、本島から400キロメートルも離れた石垣島で、5000坪の観光農園を経営。マンゴーなどの熱帯果樹を柱に、南国特有の風土や気候を生かした作物を栽培しています。島の特産物などを、大原港のショップで販売する、就労継続支援B型事業所、スオウの木、就労のための技能を身につける、就労移行支援事業所、ゆにばツリーも運営。他にも、島の障害者や、子どもたちを守るための事業などを、多角的に展開しています。

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