軽トラックに乗ったお客様が到着された。
公民館で地域住民に配布する花苗を受け取るためだ。
「わあ、お久しぶりです。お元気でしたか」。
「ああ、みんなも元気かい。コロナでずっと会えんで、もう、2年くらい経つなあ。ほんとに久しぶりやなあ」。
懐かしさが先に立ち、肝心の花苗のことは忘れたかのように、会話が止まらなかった。
気づくと、農業担当の利用者さんが、次々と、花苗が入ったコンテナを、軽トラのそばまで運んできてくれていた。
土づくり、種まき、水やり、ポット移植など、毎日、毎日、コツコツと積み重ねてきたからこそ、大勢の人に喜んでもらえる花苗に成長している。
トラックに積み終えたときに、地区のかたが話し始めた。
「昔、校区運動会の朝、雨が降ったことがあったなあ。あの時は、グラウンドに池みたいな水たまりがいっぱいできて、これはもう駄目だ、運動会は中止だ、と思ったなぁ。そうしたら、シンフォニーのみんなが何十人も来て、バケツと雑巾で、グラウンドの水を吸い取ってくれて。今でも忘れんよ。本当に有り難かったなあ」と。
すると、もうひとりも、「本当にそうや。シンフォニーのみんなの頑張りで、運動会ができたんや。校区のみんなは、今でも忘れず感謝しちょる」と、話しながら、何度も頷いていた。
働くことで労働の対価を得ることは非常に重要なことであるが、もちろん、この場合は対価を期待したものではない。それは、私たち自身も運動会の参加者であり、この日のために一生懸命に準備をしてきたことや、ここに集まっている2000人の住民の楽しみを、何とか実現したいとの思いが、利用者さんや職員の体を動かしたのだろう。
適切な額の対価を求めておこなう労働と、金銭ではない対価があとから得られる労働、どちらも、共生社会の実現には欠かせない。
ところで、働くという文字は、人が動く、と書くことに今、気づいた。障害のあるかたが、ここで働きたいと願う就職先と出会えるよう、これからも動いていきたい。