清潔、安心をやっと打ち出せる。
いつだってピンチは訪れます。でも、このようなピンチは、誰もが想像だにしなかったことでしょう。
新型コロナの流行は、多くのかたに苦労と、不安をもたらしていますが、マッサージ業を営む、B型作業所、気分転館にとっては、さらに一段と厳しい困難でした。
「作業所によっては、逆に内職の受注が増えた話も聞いたんですが、うちで施術をする視覚障害の方は、人との距離が測りづらい。ましてや、素手で身体に触れるなんて。さーっとお客様は来なくなりました」と、気分転館を運営する、エヌピーオー法人、神戸ライトハウスの和田香理事長は振り返ります。
先行き不透明な経営危機にあえぐなか、見つけたのが、当財団の新型コロナ感染症対応臨時助成金でした。いちかばちかで必死に書いた申請は、希望額には届かなかったものの、選定され、密を避けるための店舗改装費用に活用されました。
それまで施術ベッドの間隔は狭く、カーテンによる目隠しが仕切りがわり。改装によってベッド数は9から3に思い切って減らし、きちんと壁で隔てるようにしました。施術者、利用者のスタッフルームは、逆に床面積を3倍に広げ、ここでも密を回避。受付カウンターは撤去し、自費で自動券売機を導入し、非接触化にしました。
密を避けるために、できるだけのことをしたと自負できる大改装です。
誰もが自己肯定できる社会に。
コロナ前は平均月給9万円、稼ぐ利用者は15万円を超えていた気分転館。
このマッサージ治療院を1999年に開店し、のちに神戸ライトハウスも設立した、前理事長の太田勝美さんは、かつて銀行マンで、働き盛りの40代半ばで難病により失明。慣れない点字に苦労しながらも、あんまマッサージ師の国家資格を取得して、シュッテンに漕ぎつけました。
気分転館では、自立の精神と実力主義が徹底され、障害、健常の区別なく、お客様にリピートされる施術と、接遇を評価し、当時は、個人売上の8割と、指名料の全額を、利用者への給与としていました。
「太田は、やってもらうのが当たり前という障害者意識が嫌いで、できることは自分で、人として対等である、ことを望んでいたんですね。その分、厳しかったと思います」と、和田理事長。
元々、ビオラ奏者として、腰に負担をかけていた和田さん。施術のため通っていたことがきっかけで、少しずつ運営を手伝うようになりました。
2012年ごろのこと、「現場を見に来た役所の人に、何もできない人たちの居場所でしょ、と言われて、頭に来て」。和田さんにとって、太田さんや施術してくれる利用者さんは、「私の身体を治してくれる人、言わば尊敬していたすごい人たち」で、何もできない人ではなかったからです。心に火がついた和田さんは、本格的な勉強を開始。社会福祉士、精神保健福祉士などの資格も取得しましたが、そんな矢先にコロナ。そして、昨年6月には、理事長だった太田さんが事故に遭い、長期療養を余儀なくされる事態に。
苦難にあって見出したもの。
ピンチヒッターとして、難局を乗り切る役目を背負った和田新理事長は、1ヵ月で50人ほどという、いまだ戻らぬ客足に不安を隠せません。人々のマインドは外食や行楽など、自粛疲れの発散に向かったまま、身体の声を聞いたり、ケアするところまでは来ていないと感じています。
「こればっかりは人の気持ちのことなので。ですが、改装で、安全安心と、自信を持ってアピールできるようになりました」。
また、スタッフ控え室を拡充したことで、利用者同士の会話が弾み、治療技術の向上意欲も倍増。コロナ禍で4割に下げざるをえなかった報酬も、「みんなで月の売上が100万円になったら、まず5割に戻そう」と、営業チラシの提案や、配布にも、率先して利用者が取り組むコウコウ循環が生まれてきているそうです。
「コロナで感じたのは、一点集中はダメ。事業の間口を広げておかないと、法人としてあぶない」と、語る和田さんは、個人的に音楽療法士として、放課後などデイサービスで障害児のケアにも関わっています。
「でも、放課後デイはどうしても小さい子向けのプログラム中心で、中高生になると途端に来なくなるんです」。そんな実感から、将来的には、エヌピーオーの事業を拡張して、児童から学生、そして高齢者まで、「ワンストップで障害者をサポートしていけるようにしたい」と和田さん。
嵐の中にあって、進むべき航路は、むしろ浮かび上がってきているようです。