学びを止めないことが、理想に近づく最良の方法。
ウィズコロナのキャンパスで。
「もともと一人で勉強する人間だったので、3年生になって、初めて誰かと一緒に勉強するようになって、こんなに身に入ってくるんだ、と。友だちと一緒に勉強する機会が増えました」
脊髄の腫瘍で手術をして以来、車いすがかかせない大城さん。いまは、臨床検査技師となるための勉強をしています。大城さんが大学に入学したのは、コロナで全国的に最初の緊急事態宣言が発令されたちょうどそのころ。1年目はオンライン授業が中心で、友だちをつくる機会もなく、「夢のキャンパスライフとは、ほど遠かったです」。
2年生になると、実験科目のため、他学部はオンラインのままでしたが、一転して登校するように。
「でも、実習のほうが、座学より楽しかったです。自分たちで採血し合って、遠心分離器にかけて、血球の様子を顕微鏡で観察したり、血中の酵素を測定して、カン機能の状態を調べる実験などをしていました」。
毎日、1限から5限まで、みっちり実習と講義。キャンパスの引きこもりのような生活に一変したそうですが、「数少ない、同じ学科の仲間たちと一緒に授業を受けて、厳しいテスト対策をして」と、友だちとの絆も次第に深まっていったようです。
なりたい自分を見つめて。
病気になる以前から、医療系に関心があったという大城さん。
「テレビなどで、国境なき医師団を見て、漠然と、医者という仕事に興味が湧いたのが最初です。車いすになってからは、再生医療に興味を持つようになりました」。
機能を失った組織や、臓器を甦らせることを目指す再生医療。京都大学のヤマナカ教授のグループが、革命的とも言える、ヒト アイピーエス細胞の作製に成功し、世界に衝撃が走ったのは2007年。記憶にまだ新しいところです。
「再生医療がふつうに利用されるようになるまでには、何十年もかかると思います。でも、私が元気なうちに、一般医療となって、自分の治療にも使われるようになったらいいなとは思います」と、大城さん。
「車いすだと就職の幅が狭まりますが、やっぱり医療系に進みたい気持ちがありました。そのうえで再生医療の進歩に、すこしでも関われそうで、かつ車椅子でもできそうな、と考えて、臨床検査技師を目指すことに決め、イチロウして、ここに進学しました」。
一人暮らしもすっかり板に。
1年生の夏に、運転免許を取得してからは、一人暮らしをされているとのこと。「てこの原理を使えば、どうってことないです」と、助手席に積んだ、重たいはずの車いすの上げ下ろしも手慣れたもの。運転はまだ得意ではないと言いますが、大学へも、リハビリ先の病院へも、一人で向かいます。
「料理は、膝の上にまな板を置いています。親が知ったら悲鳴を上げるかもしれませんが、そのほうが楽なので」(笑い)。
困ることといえば、ベッドの下の収納スペースから物を取り出すときぐらい。
「ベッドの下にすのこがあって、その下が収納なんですが、取り出せなくて。家族や友だちが来たときに、それだけは、やってもらっています」。
基本、インドア派という彼女。コロナカの自粛生活も、まったく苦にならなかったと言います。
「本が好きでいろいろ読みます。『精霊の守り人』の上橋菜穂子さんや、宮部みゆきさんなど、ファンタジー系が好きですが、最近は、話題になっている新書なども読むようになりました」。
家にテレビを置いていないというのは今どきですが、じつは、大のマーベル好きだそう。
「一人、マーベル友だちがいて、2ヵ月に1回くらいペースで、新作が公開されるので、一緒に映画を観に行ったりしてます」と、ふだんの楽しみを語ってくれました。
再生医療に携わりたい。
この秋からの期では、いよいよ病院での実習。そして、来年になれば、卒業研究が始まります。
「卒研のテーマはまだ決まっていないのですが、希望どおり、血液免疫学の研究室への配属になりました」と、大城さん。成人 T 細胞白血病について、分子生物学的な視点からの解析等に取り組んでいる教授の下で学びます。大城さんが興味を持っている再生医療や、免疫機構に関わりの持てる研究室を選びました。
すこし気が早いですが、卒後の進路について伺うと、「まずはコツコツ勉強して、臨床検査技師の国家試験に合格しないと。その後は、就職ではなく、さらに大学院に進んで、修士を取りたいと思っています。それで、最終的には、再生医療に関わる研究所や、企業に勤めて、そこに携わる仕事ができたら」。
気負わず、でも、しっかりと目標を見据えている大城さん。いま、しなやかに力を蓄えています。