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私たちの賛助会費が生かされています。奨学生レポート。ボリューム14.

学びたいことがあるから。挑戦したいことがあるから。そんな想いで、大学に進学をした障害学生がいます。そんな彼らを、奨学金制度で応援しています。

4歳からサッカーを始め、中学校サッカー部では、選手兼監督を経験。高校通学中の自転車事故で、下肢機能障害に。大学では、学友会サッカー部に所属し、大学スポーツ協会が表彰する、UNIVAS AWARDS 2022-23 で、サポーティングスタッフ部門、最優秀賞を受賞。

中央大学,法学部政治学科,4年,持田 はるきさん.

障害者奨学金制度.

社会の役に立ちたい、自己実現を図りたいと、障害を乗り越えて、大学で熱心に学ぶ方々に、返済不要の月額、5万円を助成しています。

ボールが蹴れなくても、12人目のプレーヤー.

明るい先輩に惹かれて.

日本代表の活躍に沸き立った、昨年の FIFA ワールドカップ,カタール大会。グループリーグ、スペイン戦試合前の国歌斉唱で、代表とともにピッチに上がった、車いすの日本人青年がいました。当時、大いに注目された彼こそ、持田はるきさんです。

サッカーと出会ったのは幼稚園時代。地元エフシーに参加し、「小学生のころとかは、日本代表になるのが夢でした」。

しかし、16歳のときに頸髄を損傷。以来、車いすの生活になりました。振り返って、「どうすればこの状況から抜け出せるんだろう、って、深く落ち込んだこともあったと思います。でも、うれしかったことはずっと覚えているのに、つらかったときのことは、乗り越えてしまうと、あまり覚えていないものですね」。

社会科が好きだった持田さんは、入院中の持て余した時間で、ニュース時事能力検定に挑戦。当時、受験年度の最年少で、1級に合格します。大学受験は、その経験を生かせる、自己推薦型の入試を目指すことにしました。

受験対策のためにかよった塾で、中央大学法学部の学生に勉強を教わるうち、次第に、法律にも関心を持つように。この先輩の、明るくポジティブな人柄にも憧れを覚え、中央大学を受験。晴れて、法学部生となりました。

もう一度、サッカーに.

学部長賞を受賞し、大学からも奨学金を得るなど、大学の授業に真正面から取り組み続けている持田さんですが、入学して間もなく受講した講義が、彼を、ふたたびサッカーの道へと呼び戻すことになります。

「別学部の授業でしたが、ジェイリーグを題材にビジネスを学ぶというもので、担当の先生に相談をしているうちに、大学のサッカー部が、プレーヤー以外のマネージメント面を手伝える人材を探している、と聞いたんです」。

折しも、中央大学サッカー部は組織改革を模索している最中でした。営業活動や、地域との交流などを担う、いわゆるフロント制の導入を検討していたのです。

「当時、所属していたリーグで、スポンサーがついていないのは中央大学だけだと聞きました。コーチの方々にお会いしてみると、チームとして、ミッションや、ビジョンを明確にし、達成への行動指針もしっかりしていて、感銘を受けました」

部則も改められ、選手、マネージャー等以外で、持田さんは初の入部者になりました。

出会いが運んだスポンサー.

部内に立ち上げられた事業本部に籍を置き、さっそくスポンサー探しに奔走しました。

「サッカー部のみんなが優しいからこそ入部できたとは思うんですけど、外部のかたから、車いすの子をなんとかサッカー部に入れてあげた、と見られるのは嫌でしたし、車いすとか関係なく、部の一員として、能力を発揮して、きちんと評価されたかったんです」。

最初は、地元のお店や、オービーに挨拶に回ったり、メールを送ることから始めましたが、「1年生のゼミ合宿で、掛川市を訪れた際、たまたま行く直前に、車いすのかたが駄菓子屋を開いた記事を目にし、立ち寄りました。そのかたとはすごく仲良くなって、サッカー部が地域で開くサッカー教室に、お菓子の提供などをお願いするようになりました。すると、その繋がりから、つぎに駄菓子屋さんを支えている企業ともご縁ができて、ユニフォームに名前の入る、大口のスポンサーになっていただくことができました」。

スポンサーは、現在では、10社を超え、最近は大学スポーツ界で先駆的となる、クラブトークン発行によるファンディングにも取り組んでいます。「資金面も大事ですけど、それ以上に、中大サッカー部のことを気にかけてくれる人が増えてくれることの意義を感じています」。

スポーツで展望を拓きたい.

持田さんの学生生活は、とにかく精力的でびっくりします。

学業、サッカー部と並行して、入寮した国際学生寮での世話役や、パラスポーツの日常化を目指す、パラ大学祭の運営代表も務めています。

また、今年、始めたパラダンスでは、今夏に東京で開かれた国際大会のフリースタイル部門で入賞し、11月にイタリアで開催される、パラダンススポーツの世界最高峰の大会、ワールド チャンピオンズ 世界選手権に日本代表として出場します。まさに、八面六臂の活躍です。

卒業後の進路はまだ決めかねているそうですが、「ひとつには、海外で活躍したいな、とは思っています。ワールドカップでの経験がものすごく響いているので」。

サッカー部から派遣された東南アジアでの研修で、初めて海外を訪れ、その際に、2ヵ月後に控えた、ワールドカップの現地観戦を宣言。当時は勢いあまって言ってしまった願望のような宣言でしたが、溢れるサッカー愛を抑えることはできず、ひとり、カタールへと旅立ちました。

トラブルにも見舞われましたが、観戦に来た、「世界中の人たちが車いすを手伝ってくれたり、現地の人と歓喜して写真を撮り合ったり。これはすごい。人種、国籍を越えて、サッカーの生み出す平和を見ているな、って」。

サッカーを続けてきたからこその経験を通じて、今、「もっと、もっと、自分らしい人生を作っていくことができるはず」。持田さんは確信を深めています。

今年、移転オープンした、法学部キャンパスの正面に立つ、テミス像の前で.

大学受験の多様化は、障害のある子にとってチャンスが広がる、と、持田さんは言います.

学食でたまたま出会った、吉田千春助教と.

「うれしい瞬間はあっという間で、儚いけど、ずっと覚えている気がします。カタールでの瞬間も、パラダンスのステージから見えた景色も、サッカーでゴールを決めた時のことも」と、持田さん。写真は、カタールの現地観客と撮った写真.

サッカーやパラスポーツに関わって、「スポーツが人々をどれだけ元気にし、いかに人同士をつなげるか、実感しています」。写真提供、中央大学学友会サッカー部.

8位に入賞した、パラダンススポーツ国際大会。Super Beaver の楽曲に合わせて踊りました。写真提供、パラダンススポーツ協会.

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