無農薬で、大切に育てる水耕栽培.
立山連峰の雄大な山並みを遠くに望む平野に、水田が広がります。その中に白い建物が見えてきました。富山駅から車で走ること、約40分。近づくほどに、その大きさが際立ちます。
訪れたのは、8月の下旬。6つの棟が連なったように見えるビニールハウスは、1反、50メートル。プールがすっぽり収まってしまいそうな広さ。内部の暑さは相当なものです。そこですくすくと育っていたのは、水耕栽培のサラダほうれん草。腰の高さに設置したベンチから、青々とした葉を覗かせていました。
「ここで、月に、約1トンの野菜を出荷しています」と話すのは、わくわくファーム きらり,理事長の息子で、栽培責任者の中島大地さん。
2021年、当財団の助成を活用して新調したすいこう用定植パネル、1,300枚と、遮光ネットが、ここで一役、買っています。パネルは、銀イオンを含む抗菌作用が期待できるもので、野菜の病気がぐっと減ったそうです。また、収穫後のパネルは消毒洗浄しますが、以前に比べて、軽量で扱いやすいため、洗浄にかかる負担も減少。夏でも、冬でも、カッパ着用で、水洗いする時間の短縮にもつながったと言います。
パネル洗浄のほか、障害のある利用者は、定植や、収穫された野菜の調整を主に担当。調整とは、折れた茎など、不備のある部分を取り除く作業だそう。収穫や、計量、袋詰めは職員がおこなっています。
「水耕栽培の野菜は軟らかくて、折れやすいんです。収穫は一番難しい作業で、健常者でも、できない人はできません。1から10まで利用者ではなく、要所に健常者も入って、互いの得意をかけ合わせて、一緒にやっていくのが、自分たちの農福連携だと考えています」。
降って湧いた、借金話.
「中島さんは公務員だから、簡単に借金できるよ、って、その社長に言われて。銀行に相談に行って、結局4,000万、借りたんですよ」。
理事長の中島 よしみさんに、同団体発足の経緯を伺うと、それは数奇なものでした。
7年前に、定年を迎えた中島理事長は、元教員です。支援学校で20年、普通中学校の特別支援学級で20年。特別支援学級に移ったころに、お母さんたちと、障害児の将来をどう組み立てていくのか、勉強会を立ち上げます。
その活動で知り合ったのが、なにかと手助けしてくれたひとりの事業家です。彼は障害者を自社で雇い、寮で自立させるというビジョンを、熱心に語っていました。
「ついては彼らの住む寮を、中島さん、建ててくれないか、と言い出したんです。えー、なんで私がって」。しかし、当時のお母さんがたは、将来を思い描くには程遠く、前向きになれずにいました。そこで、中島さんは決断します。
「彼らが自立して暮らす姿を見れば、考えも変わるかなって」。ところが、3年ほどで、その会社は倒産。事業家も、住んでいた障害者もいなくなってしまいました。残ったのは借金と建物だけ。
「愕然としました。こんなことってあるんかな、って。でも、私、ずっと落ち込んでる人でもないので、その寮を、グループホームにしようと、仲間を集めて検討を始めました」。
エヌピーオー法人であれば運営ができることを行政に確認すると、2003年には法人を立ち上げ、グループホーム事業のスタートに漕ぎ着けます。ほぼ同時に、働くところも必要だと始めたのが、きらりです。
就労からのノーマライゼーションへ.
畑を借りたネギ栽培などを中心事業としてきた,きらりが、水耕栽培に手を広げたのは2016年のことです。17年間、障害者雇用に励んできた企業、野菜ランド立山が廃業されると聞き、引き継ぎました。
大地さんによれば、現在、ルッコラや、フェンネル、ミニセルリーといった、新種の野菜など、栽培品種を10に増やし、その中のひとつであるパクチーを加工したソースの製造販売も計画しているそうです。
水耕栽培事業の年間売上目標、1,200万円も、手の届かない数字ではありません。
同法人の理念は、ともに生きる、ともにくらす、ともにはたらく。
その原点は、理事長の教員時代の経験です。生徒の就職先を探して、県外まで回りましたが、社会の壁は厚く、ありのままの障害者を理解して、採用してくれる会社はわずかだったと言います。
「生徒たちは、違いを説明もできなければ、自分たちの力で距離を縮めていくこともできない。だから、私は、彼らなりの働き方で頑張ったり、生き生きしたりできる場を作ってあげたかったし、そんな姿を知ってもらえれば、世間の見方も変わるんじゃないかな、って思っているんです」と、理事長。来年には、地域との交流スペースとして、カフェを併設した、多機能型事業所を新たにたちあげる予定です。
「障害者との関わり方を学びたい、という福祉サポーターの研修も近々、町から引き受けます。もっと、ここで、交流が生まれてくれればいい、と思います」
わくわくファーム きらりは、障害者の暮らしを考え、ひたむきに進んでいます。