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第24回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式.

変えて欲しいと願う声がある限り、ふたりの挑戦は終わらない.

障害者週間の12月7日、第24回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式を、東京都の日本工業倶楽部で開催しました。

「社会福祉法人、福祉楽団、理事長の飯田大輔さん」、「社会福祉法人、オリーブの樹、理事長の加藤裕二さん」と、受賞者のお名前が告げられると、会場は盛大な拍手に。4年ぶりにお招きした歴代受賞者や、おふたりの関係者、約100名が見守るなか、贈呈式が開幕しました。

多くの先人たちも集い、新たなふたりの受賞者を祝福.

「ヤマト福祉財団、30周年という、記念すべき年のヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式を、多くのみなさまとご一緒に、お祝いすることができ、うれしく思います。今回、受賞されたおふたりは、福祉の人であり、経営の人でもある。つねに新たな取り組みにチャレンジし、道を拓いて来たかたたちです」と、山内理事長が主催者挨拶をおこないました。

本賞は、障害のあるかたの仕事づくりや、雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに功績のある2名を、毎年、厳正な審査のもとで選考しています。選考委員のダイヤル サービス株式会社 今野由梨、代表取締役社長は、「飯田さんは、福祉を売り物にしない経営哲学で、新しい時代の福祉を形にするかた。加藤さんは、40年も、障害のあるかたの就労支援、自立支援を続けられているかたです」と、ふたりを讃えました。

障害のあるかたと施設が、地域経済をまわす主役に.

ふたりは、共に、千葉県の障害者福祉に携わっていますが、最初からこの世界を目指したわけではなかったという意外な共通点も。

飯田さんは、急逝された母親の遺志を継ぎ、学生時代に高齢者介護をおこなう、社会福祉法人 ほうわ会、現 福祉楽団 を立ち上げます。学んでいた農学部とは、まったく無関係の世界でした。そして、ある日、偶然、障害者の給料の実態を知ります。衝撃を受けた飯田さんは、家業の養豚業で、稼げる仕事をつくることを決意。2012年に、株式会社、恋する豚研究所と、エー型事業所、栗源協働支援センターを設立します。

「飯田さんと出会ったのは、福祉のイメージを変える、若い経営者の育成を狙った、厚生労働省主催の集まりでした」と、推薦者の社会福祉法人愛川しゅんじゅ会、理事長の、馬場拓也さん。

「これからは、福祉が主役となり、地域コミュニティーを形成し、経済をまわしていくべきだ、との飯田さんの発言は、とてもセンセーショナルでした。以来、私は彼の背中を追い続けているんです」と、馬場さんは話します。

利用者さんのためなら、周りの非難など気にしない.

「日本社会事業大学を選んだ理由は、学費が、国立大並みに安かったから」と、当初は、福祉に特別なこだわりを持っていなかった加藤さん。しかし、進行性キンジストロフィーの患者さんとの出会いで、気持ちは一変します。静岡の障害者施設で働いたあと、故郷千葉に戻り、自宅の一室に、小規模作業所オリーブハウスを設立。「障害のあるかたが自立するために、少しでも多くのお金を稼ぎたい」と、ホームメイドクッキーの製造販売を開始します。

「自立支援法が施行されるもっと前でしたから、障害のあるかたが駅前でクッキーを売る姿を見た世間も、他の事業所も、加藤さんを非難したんです。でも、加藤さんは負けなかった」と、推薦者のエヌピーオー法人千葉県、障害者就労事業、振興センター、理事長の岡田義之さん。

喜んで働く利用者さんのために、立ち止まってなどいられないと、加藤さんは給料を増額し続け、千葉県初の、エー型事業所も設立します。

「そんな加藤さんの活躍も、陰で支える奥様の存在があればこそです」と、ご夫婦、二人三脚での活動を讃えました。

小倉昌男さんの言葉が、私たちの原点であり、心の支え.

続いて山内理事長が、おふたりに、正賞のあめのみや,あつし氏作のブロンズ像、愛、と賞状、副賞賞金100万円の目録を贈呈。飯田さんの事業運営をつねに支えて来られた山根まさのり事業部長、そして加藤さんの奥様には花束を手渡しました。

さらに、3名の来賓の祝辞をいただいたあと、いよいよ、両受賞者の挨拶へ。おふたりは、それぞれ、小倉昌男に影響を受けて来たと話します。

「私は、小倉さんの著書を読み、障害者の給料が1万円という事実を知った。すべてはここから始まっています」と、飯田さん。加藤さんは、「私が周りの声に挫けそうになった時、セミナーに参加。そこで、福祉施設こそ儲けなさい、との言葉に勇気をもらいました」と、挨拶。「だから、本受賞が夢のようです」と、口を揃えます。

そして、最後に、「私たちの商品をぜひお歳暮に」と、商売っけと、洒落っある一言も。

「福祉こそ儲かる経営を」との、小倉昌男の考えをそのまま実践するおふたりを応援して、会場は温かい拍手に包まれました。

前列左から、受賞された加藤裕二さんと、令夫人、啓子さん。飯田大輔さんと、同法人栗源事業部、事業部長の山根まさのりさん。後列左から、森下明利ヤマトグループ企業労働組合、連合会、会長、山内雅喜ヤマト福祉財団理事長、長尾 ゆたかヤマトホールディングス株式会社代表取締役社長.

「小倉昌男さんからの学びが心の支えになりました」と、本を手にする飯田大輔さんと、加藤裕二さん.

「いいものを作っても、販路がなければお金になりません。協力いただいているみなさんあっての受賞です」と、飯田大輔さん.

「福祉と地域のかた、みんなで力を合わせ、経済を活性化させていきましょう」と、推薦者の社会福祉法人愛川しゅんじゅ会、理事長、馬場拓也さん.

「おふたりが手を差し伸べた、障害のあるかたは数えきれないほどに」と、ダイヤル サービス株式会社 代表取締役社長の、今野 由梨、選考委員.

「なにか協力してほしいことがあれば、いつでも私たちの、千葉の仲間にお声がけください」と、ヤマトグループ企業労働組合、連合会、森下明利会長.

障害のあるかたが、より、やりがいを感じられる職場を、当社でもつくっていきたい」と、ヤマトホールディングス株式会社、長尾ゆたか、代表取締役、社長.

「私たちも、農福連携などで、障害のあるかたたちの活躍の場を広める支援をしていきます」と、厚生労働省、社会、援護局、障害保健福祉部、辺見 聡部長.

「もう70歳になりますが、次の世代になにか残せる仕事を、もうひと働きしたいですね」と、加藤裕二さん.

「加藤さんにはもっと頑張っていただきたい」と、推薦者のエヌピーオー法人千葉県障害者、就労事業、振興センターの理事長、岡田義之さん.

受賞者を訪ねて.

美味しい、を科学的に実証。福祉ではなく品質でアピール.

社会福祉法人福祉楽団、理事長、飯田大輔さん.

11月15日、千葉県香取市にある社会福祉法人福祉楽団が経営する、レストラン、および商品加工所、株式会社、恋する豚研究所を訪ねました。

福祉施設ではなく、株式会社の名と品質で勝負.

サツマイモの産地、香取市に広がる農地の間を縫うように進み続けると、突如、お洒落なレストランが現れます。ここは、ブランド豚のしゃぶしゃぶ、ハンバーグ、ハムなどが売りで、年間15万人ものお客様が訪れる人気店。でも、大半のお客様は、障害者施設だとは知らずにやって来ます。

「お客様は美味しいので来店する。福祉施設とか関係ありませんから」と、飯田さんは、さらりと話します。

ここを開設したきっかけのひとつは、福祉楽団で、高齢者のデイケアサービスの送迎などをおこなう際に、当事者の切実な声を聞いたからでした。

障害がある子どもには、どこにも居場所がない。私がいなくなったら、どうなるのか」と、肩を落とすお年寄り。「そんな姿を見てしまったら、もう人任せにはできない」と、迷わず動き出してしまうのが飯田さんです。

より高い給料を支払える事業と、障害のあるかたが働ける仕事環境を。この両立に、叔父さんが経営する養豚場の良質な豚肉で、オリジナルブランド商品を製造販売する事業を立案します。しかし、いくら良い商品も、売れなければお金にならない。飯田さんは、できる限り多くの百貨店や、スーパーなどの営業に、奔走しました。

「社会福祉法人の名刺だと、余計な説明をしなくちゃいけない。そんなもの抜きに、本物の品質でしっかり戦えると確信していたので、株式会社を立ち上げ、名刺を作ったのです」。

さらに、飯田さんは、「美味しさは主観的なもの、科学的に説明しよう」と、日本大学に協力を依頼し、グルタミン酸やオレイン酸など、旨味成分の数値を計測し、取引先に報告。また、食べ方も提案するなど、他社とは異なるアプローチで、差別化を図りました。

働きたい仕事があるから、いろんなかたが集まって来る.

恋する豚研究所の1階は、精肉、加工の工場になっています。そこはオープンなガラス張り。でも、他の福祉施設の、「利用者さんの働きぶりを、地域のかたに見てほしい」との狙いとは、ちょっと違っているようです。

「これだけ見事な肉を、熟練した技術を持つ者たちが、最新の製造機械と、衛生管理設備で、安心して食べていただけるように商品化している」と、クオリティーをアピールしています。

「生産者の顔を見せるのはとても大事。一方、我々はレストランで、こんな人がうれしそうに食べているとわかるので、それを農家に伝えれば、意欲も増します。この橋渡しを、障害のある人の仕事づくりを通じてできたらいいなと思っているんです」。

飯田さんは、障害のあるかたへの仕事の提供の方法も独特です。

「例えば、レストランの接客、ハムのラベル貼り、食器の洗浄など、仕事内容で働く人を募集します。だから、精神とか、知的とか、障害の重い、軽いとか、関係ない。自分がやりたい仕事があるから、ここに集まるんです」。

やがて、屋外で汗を流して働くほうが適した人もいると気づくと、飯田さんは、地域のかたが人手不足で困っていたはたけ作業、山林の伐採や薪づくり、木工の仕事なども開始しました。

「地域には、我々にできる仕事がまだたくさんあるはず。利用者さんの希望や、得意な力を活かせる、多様な仕事をもっと開拓していきますよ」。

「利用者さんに、包丁や、チェーンソーを扱わせている、と驚く施設関係者がいますが、それは利用者さんが使いたいから。それをどう支援するかが、我々の仕事ですよ」と、飯田さん。

受賞者を訪ねて.

福祉施設はもっと稼いで良い。そう信じる仲間とこれからも.

社会福祉法人オリーブの樹、理事長、加藤裕二さん..

11月14日、社会福祉法人オリーブの樹 の利用者さんたちが働く、千葉県千葉市に展開する、複数の事業所を訪ねました。

コロナ禍のピンチも、若い職員と共に切り抜ける.

ホームメイドクッキー、お弁当、アイスクリームの製造販売と、加藤さんが立ち上げた各事業所で働く利用者さんたちは、「毎日、仕事に行くのが、楽しみ」と、口を揃えます。

「あんな笑顔を見せられたら、次は、もっと良いものを、と思ってしまいます」と、加藤さん。この姿勢は、約40年前に利用者さん、4名の、小規模作業所を開設した時から、ずっと変わっていません。最初は、地域の、重度の障害のある人たちが活動できる場、働く場をと、巾着袋作りや、廃品回収などを開始しました。

「やがて、いろんな障害のあるかたが集まって来たんです。じゃあ、もっとたくさんの仕事が必要だ。売上も伸ばし、より高い給料を目指していこう、となりました。なにかを必要とする人たちがいて、それをみんなで、力を合わせ、一緒に作り出していく。福祉の仕事は、その繰り返しです」。

小規模作業所のころは、お金儲けと言うと、すぐ批判されましたが、加藤さんは、「お金は、障害のあるなしに関係なく大切だ」と、公言しました。

「小倉さんの、稼ぐことは良いこと、との教えが、私の背中を押してくれたんです。それに、私は、ひょっこりひょうたんじまのドンガバチョみたいに、良いと思ったことは、つい口にしてしまう性格で(笑い)」。そして、その言葉に共感した人たちが、ボランティアで力を貸してくれました。

「事業の柱である、本場アメリカ仕込みのホームメイドクッキーも、そんな仲間のアイデアです。私は、本当に人に恵まれています」と、加藤さん。

ちなみに、友愛、を意味するオリーブの事業所名も、仲間のひとりが考案したもの。加藤さんが、ガバチョの家、にしようとしたと聞き、オリーブの樹、で良かった、と職員のみなさんは笑います。

利用者さんの喜ぶ顔を、もっとたくさん見たいから.

オリーブの樹のクッキーは人気を呼び、利用者さんの給料は、約7万円に増え、千葉県で、高い給料を支払う事業所の先駆けとなります。その評判により、多くの利用者さんが集まると、さらに事業所を増設。他では取り組んでいなかったアイスクリーム、また、お弁当と、新事業を展開します。

「夏はアイス、冬はクッキーの繁忙期。そして、お弁当は一年中安定と、利用者さんの仕事が途切れず、バランスが取れた事業体制ができました」。

加藤さんは、グループホームも10ヵ所開設。さらに精力的に動き、千葉県内のエー型事業所が力を合わせて活動できる組織作りにも尽力。現在は、全エーネットの副理事長も兼任しています。ところが、2020年、突如、コロナウイルスが蔓延。自粛生活で、商品が思うように売れなくなります。

「利用者さんも、常時働くことができず、生産も不確かになり、本当に苦しかった。そんなとき、若い職員が、お取り寄せブームに応えていこう、と通販体制を整えてくれたんです。おかげで、クッキーの売上は回復し、全体で巻き返しが図れています」。

次世代へのバトンタッチも考える加藤さん。「でも、その前にまだやることがある。まだ実現できていない、障害のある児童を守る新しい施設を、ぜひ、開設しよう、とみんなに呼びかけているんです」。加藤さんの挑戦は、まだ終わりそうにありません。

「給料が上がると、ご家族が利用者さんを見る目も変わり、本人も、ますますやる気になるんです」と、加藤さん。

飯田さんの受賞の言葉.

職員、利用者さんの頑張りと、大切な取引先に感謝します.

社会福祉法人、福祉楽団、理事長、飯田大輔さん.

2001年、母の意志を継ぎ、高齢者介護施設を立ち上げるため、日本社会事業大学、研究科に入学。2006年には千葉大学、看護学部、看護学科、入学。同年、社会福祉法人ほうわ会、現 福祉楽団を設立。2008年、特別養護老人ホーム、杜の家、やしお、施設長。2011年、障害者福祉の道を開くため、千葉大学、大学院、人文社会科学研究科で学び、2012年、就労継続支援エー型、栗源協働支援センター、株式会社、恋する豚研究所を開設。2017年、社会福祉法人、福祉楽団、理事長に就任し、就労継続支援ビー型、杜の家、なりた、開設。2018年、就労継続支援ビー型、栗源第一薪炭供給所を開設。現在、エヌピーオー法人、スマホ里親ドットネット、事務局長、千葉大学、非常勤講師なども兼務。

未来を担う子どもたちと、里親への新たなサポートも.

こんなにたくさんのかたに祝福いただくことに慣れていないので、どうも照れてしまいます(笑い)。

本賞は、職員と、利用者さんが頑張ってた成果です。そして、大切な取引先のみなさまと出会えたからこそだと、心から感謝しています。

最初は、取引先のみなさまに、福祉施設であることはお伝えしていませんでした。でも、次第に当法人のことがわかって来ると、「面白いことをやっていたんだ。頑張って」と、より応援いただけるようにも。私たちが、福祉を売りにしようとしていたら、こんな信頼関係は築けていなかったかもしれませんね。

現在、利用者さんの何人かは、月給10万円を超えましたが、全体の平均月額給料はまだ少ない。利用者さんの、仕事へのアセスメントと、利益率を上げる、さらなる工夫を続けることが、私のミッションです。

活動するなかで、犯罪に巻き込まれてしまう子どもたちの中には、障害のある子どもが多いことも知りました。日本の未来を支えるのは子どもたちなのに、これで良いのか。現場の方から、里親の支援も必要だと聞きました。現在、これら課題解決の具体的な計画を立てているところです。知ってしまったからにはやるしかない、ですよね(笑い)。

加藤さんの受賞の言葉.

苦しい時代を一緒に歩んだ仲間と、この場で、喜びを共有したい.

社会福祉法人、オリーブの樹、理事長、加藤裕二さん.

1984年、自宅を開放し、小規模作業所 オリーブハウスを設立。1986年、クッキー、ケーキの製造、販売を開始。2000年に社会福祉法人オリーブの樹、設立。2001年、オリーブハウスでアイスクリームを製造販売。2005年、授産施設、はつらつ道場で、弁当、給食を製造販売。2007年、ファーストオリーブ、オリーブハウス、はつらつ道場を、就労継続支援エー型に移行。2009年、就労継続支援ビー型、花まんまを設立。2019年、はつらつ道場、ファーストオリーブをオリーブ轟に移転し、エー型事業を再編。現在、エヌピーオー法人、就労継続支援エー型事業所、全国協議会、副理事長、エヌピーオー法人、ちばエーネット理事長なども兼務。

福祉の網の目からもれる子どもたちを守れる体制を.

「40年、く頑張ってたね」と、なんだか小倉さんに言っていただけているようで、本受賞を、とてもうれしく思っています。

私がここまで長く頑張ることができたのは、障害者施設を、世間が認知してくれない苦しい時代から、一緒に苦楽を共にしてくれた仲間がいたからこそ。縫製の自主製品では、これ以上、利用者さんの給料を上げていけない、と頭を抱えていたとき、起死回生となった、ホームメイドクッキーを提案してくれた、そんな戦友にも、本日この会場に来ていただき、喜びをわかち合っています。

いまは昔と違い、福祉施設がどんどん増えています。でも、その網の目から漏れているかたとか、ボーダーラインにいる人たちが、たくさんいるのも事実です。そこから犯罪に走る、いわゆる触法の障害者と言われる人たちが生まれています。そんな道に走らないように防ぐには、子どものうちから、ちゃんと支援、養育しないといけない。そういう子どもは、虐待されたり、いじめにあっているケースも多いので、しっかりと守ってあげられる、障害者児童施設を作れないか、と、働きかけているところです。

飯田さんと私は、アプローチ方法が違うかもしれませんが、思いはきっと同じ。今後も、私なりのやりかたで、発達障害で地域から阻害されている子どもなどの問題に取り組んでいきます。

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