多くの先人たちも集い、新たなふたりの受賞者を祝福.
「ヤマト福祉財団、30周年という、記念すべき年のヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式を、多くのみなさまとご一緒に、お祝いすることができ、うれしく思います。今回、受賞されたおふたりは、福祉の人であり、経営の人でもある。つねに新たな取り組みにチャレンジし、道を拓いて来たかたたちです」と、山内理事長が主催者挨拶をおこないました。
本賞は、障害のあるかたの仕事づくりや、雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに功績のある2名を、毎年、厳正な審査のもとで選考しています。選考委員のダイヤル サービス株式会社 今野由梨、代表取締役社長は、「飯田さんは、福祉を売り物にしない経営哲学で、新しい時代の福祉を形にするかた。加藤さんは、40年も、障害のあるかたの就労支援、自立支援を続けられているかたです」と、ふたりを讃えました。
障害のあるかたと施設が、地域経済をまわす主役に.
おふたりは、共に、千葉県の障害者福祉に携わっていますが、最初からこの世界を目指したわけではなかったという意外な共通点も。
飯田さんは、急逝された母親の遺志を継ぎ、学生時代に高齢者介護をおこなう、社会福祉法人 ほうわ会、現 福祉楽団 を立ち上げます。学んでいた農学部とは、まったく無関係の世界でした。そして、ある日、偶然、障害者の給料の実態を知ります。衝撃を受けた飯田さんは、家業の養豚業で、稼げる仕事をつくることを決意。2012年に、株式会社、恋する豚研究所と、エー型事業所、栗源協働支援センターを設立します。
「飯田さんと出会ったのは、福祉のイメージを変える、若い経営者の育成を狙った、厚生労働省主催の集まりでした」と、推薦者の社会福祉法人愛川しゅんじゅ会、理事長の、馬場拓也さん。
「これからは、福祉が主役となり、地域コミュニティーを形成し、経済をまわしていくべきだ、との飯田さんの発言は、とてもセンセーショナルでした。以来、私は彼の背中を追い続けているんです」と、馬場さんは話します。
利用者さんのためなら、周りの非難など気にしない.
「日本社会事業大学を選んだ理由は、学費が、国立大並みに安かったから」と、当初は、福祉に特別なこだわりを持っていなかった加藤さん。しかし、進行性キンジストロフィーの患者さんとの出会いで、気持ちは一変します。静岡の障害者施設で働いたあと、故郷の千葉に戻り、自宅の一室に、小規模作業所オリーブハウスを設立。「障害のあるかたが自立するために、少しでも多くのお金を稼ぎたい」と、ホームメイドクッキーの製造販売を開始します。
「自立支援法が施行されるもっと前でしたから、障害のあるかたが駅前でクッキーを売る姿を見た世間も、他の事業所も、加藤さんを非難したんです。でも、加藤さんは負けなかった」と、推薦者のエヌピーオー法人千葉県、障害者就労事業、振興センター、理事長の岡田義之さん。
喜んで働く利用者さんのために、立ち止まってなどいられないと、加藤さんは給料を増額し続け、千葉県初の、エー型事業所も設立します。
「そんな加藤さんの活躍も、陰で支える奥様の存在があればこそです」と、ご夫婦、二人三脚での活動を讃えました。
小倉昌男さんの言葉が、私たちの原点であり、心の支え.
続いて山内理事長が、おふたりに、正賞のあめのみや,あつし氏作のブロンズ像、愛、と賞状、副賞賞金100万円の目録を贈呈。飯田さんの事業運営をつねに支えて来られた山根まさのり事業部長、そして加藤さんの奥様には花束を手渡しました。
さらに、3名の来賓の祝辞をいただいたあと、いよいよ、両受賞者の挨拶へ。おふたりは、それぞれ、小倉昌男に影響を受けて来たと話します。
「私は、小倉さんの著書を読み、障害者の給料が1万円という事実を知った。すべてはここから始まっています」と、飯田さん。加藤さんは、「私が周りの声に挫けそうになった時、セミナーに参加。そこで、福祉施設こそ儲けなさい、との言葉に勇気をもらいました」と、挨拶。「だから、本受賞が夢のようです」と、口を揃えます。
そして、最後に、「私たちの商品をぜひお歳暮に」と、商売っけと、洒落っけある一言も。
「福祉こそ儲かる経営を」との、小倉昌男の考えをそのまま実践するおふたりを応援して、会場は温かい拍手に包まれました。