自分がヤマト福祉財団とかかわらせてもらったのは、27年も前のことです。財団の設立者、小倉理事長がまだご健在のころです。大阪において、1997年7月23日に開催された、パワーアップセミナーで、開所、まもないころのハイワークひびきの製菓作業の報告をさせてもらったことです。以来、フォーラムの講師をさせていただき、関わりを深めさせていただきました。
2006年に、大阪府、社会福祉協議会の推薦をいただいて、第7回、小倉昌男賞を受賞させていただきました。小倉、初代理事長はご逝去され、山崎篤理事長の時でした。山崎理事長からは、この受賞を終点にしないで、出発点として頑張ってください、と言われたことは、しっかりと覚えています。
理事長が有富理事長に変わられた時、有富理事長から、夢へのかけ橋 実践塾で亀井塾をやってみませんか、とお誘いを受けました。特別に優れた能力があるわけでもない自分でしたが、いろいろな事業所のかた達との交流は、自分自身にとって、必ず良いことの始まりと思い、お請けしました。その結果、はらから福祉会の理事長、武田元さん、武蔵野千川福祉会の理事長、菅野先生、新堂薫さん(故人)達との出会いの中で、多くの学びをいただきました。
亀井塾は、2期、4年間、頑張ることができました。塾生として参加していただいた職員さんは熱心なかたが多く、真面目に、障害のある人の労働と向き合っていました。自分の力不足のために、十分なことのできなかったことが悔やまれます。
少人数のパワーアップセミナーから、大きな会場でのフォーラムへと移り変わっていきましたが、まだまだこの事業の持つ意義の重大さは秘めています。私たちの仕事、障害のある人の働きを通して収入を上げることの大切さを、毎日の実践の中で、しっかりと位置付けなければなりません。
私たちは、終点の無いレールの上を走っています。人の命には限りがありますが、しかし、事業には終点はありません。後継者の手によって、立派に引き継がれていくことが理想です。後継者を間違えて、滅びていく組織も少なくありません。ヤマト福祉財団は、ヤマトの関わるすべての人たちの手によって、いつまでも継がれていくことと思います。
人の幸せを願うことが、福祉の原点です。
自分は、今年で87才を迎えます。幸いにして、後継を担っていただける方々に恵まれ、安心して退任できることを喜びとしています。私にご厚情を賜りました、多数の方々に、心から感謝しています。