だれもが、としを重ねると、障害者となる可能性がある。
秋田県大館市は、ちゅうけんハチ公生誕の地として有名で、名物には、天然記念物の比内どり、きりたんぽ、天然鮎、はたけのキャビアといわれる,とんぶり、伝統食品の,いぶりがっこがあります。
比内町へは、大館能代空港から車で約30分。しばらく続いていた雨が上がり、田んぼでは、田植えの真っ最中です。のどかな田園風景のなかを車を走らせていくと、比内町のシンボルである、おにぎりがたの小山、達子森が見えてきます。大館市役所、比内総合支所の近く、国道から小高い丘を上がると、そこに一般社団法人、敬友の、就労継続支援B型事業所、比内ヒルズ、ふもとの家があります。事業所の横には、いぶりがっこを生産する、いぶり小屋、黒ニンニクを蒸して熟成するハウス、その奥には畑が続いています。
我々を歓迎してくれたのは、同法人理事の麓 幸子さんと、ご主人で、事業所の管理者、サービス管理責任者の田中伸夫さん。麓さんは、「日経ウーマン」という、働く女性向け月刊誌の編集長として、田中さんはフリーのテレビディレクターとして、東京で、ご夫婦それぞれ活躍されていました。そんなおふたりが、奥様が生まれ育った大館市にユーターンし、障害者福祉に携わるようになったのは、なぜなのでしょうか。
「私たちは、それぞれの仕事を通して、シングルマザーや、高齢者、障害のあるかたなどを取り巻く厳しい現実を目の当たりにしてきました。そこで気づいたのは、障害のあるかたが尊厳を持ち、自立して生活できる社会は、社会的に弱い立場にあるかたたちが、心安らかに暮らせる社会でもあるのだ、ということです。そしてもうひとつ、だれもが年齢を重ねれば、障害者になる可能性がある。だからこそ、ノーマライゼーションが大切だと考えました」。
最初に始めたのは、認知症のかたへの介護サービス。
比内町には、麓さんの父親が残してくれた、いくばくかの土地と家がありました。
「それを活用し、自分たちの手で、比内町に福祉の新たな灯りをともし、地域起こしの情報発信者になっていこう」。
キャリアチェンジを決意したおふたりが、最初に始めたのは、認知症対応型、通所介護サービスです。きっかけは、田中さんがテレビ番組で認知症を取材した際、当事者も家族も、いかに大変な思いをしているかを痛感したからでした。
「まだ東京にいるころでしたが、こちらに住む、志を同じくする仲間と共同で、2008年に、よりあいたっこ森、を開設しました」。
田中さんは、東京で社会福祉士、介護福祉士の資格を取得。2013年に比内町へ移住するまでに、言語聴覚士の資格も取得しています。さらに、小さな畑を使って、認知症のお年寄りのリハビリのために、農作業をおこなえるようにもしました。しかし、障害者福祉施設の開設には、まだ至りません。
「B型事業所も開設したかったのですが、作るからには、きちんと仕事を用意して、高い工賃を支払えるだけの売上を出せる事業プランにしなければ、と決めていたのです」。
いぶりがっこの六次化を事業の柱に、B型事業所を開設。
そんなある日、収穫したダイコンを前に、これを使って、秋田県の伝統食品、いぶりがっこを作れないだろうか、と思い立ちます。いぶりがっこは、燻製干しのたくあん。製造方法は、収穫したダイコンを小屋のなかに吊るし、2昼夜、いぶり続けるというもの。早速、農協に紹介してもらった生産者を訪ねた田中さんは、強い感銘を受けます。
「雪が降り積もった冬の早朝、いぶり小屋が白いもやに包まれていく風景は、実に幻想的でした。この景色を、利用者さんと一緒に見ながら仕事をできたら素晴らしい。ダイコンの編み込み、燻製、漬け込み、袋詰めなど、いぶりがっこなら、利用者さんにいろいろな仕事を提供できます。すべて、自分たちで加工し、販売に中間業者を入れなければ、余計なマージンを取られない。良い商品さえ作れば、利用者さんの生活を安定させるだけの給料を支払うことができる、と考えました」。
作り方はなんとか理解できましたが、肝心なのは、漬け込みのレシピです。しかし、秘伝の技は簡単には教えてもらえません。それでも、厳しい冬場の作業を無償で手伝い続けること3年目。熱意が伝わり、「地域の伝統技を絶やさないためにも」と、作り方を伝授いただくことになりました。
こうして2020年、いぶりがっこの製造、販売という、六次化事業を柱にした、比内ヒルズ、ふもとの家が、一般社団法人、敬友の事業として誕生します。
「でも、いざ始めてみると、いぶりがっこの製造はかなりの重労働でした。なかでも、漬け上がったダイコンを輪切りにする作業は、利用者さんと職員が力を合わせても、予定通りに終わらなくて」。
生産量は、予測よりまったく少なく、初年度の売上は、わずか21万円ほど。このままでは、とても高い工賃を払えない、なんとか改善したい、と田中さんはジーアイの取得に動き、いぶりがっこの組合にも加入しました。そこで組合のみなさんは、手作業ではなく、機械でダイコンをカットし、大量生産していることを知ります。
「思い切った機械化が必要だと痛感しましたが、それには資金が必要です。そこで、私が認定農業者になり、利用できる制度をフルに活用して、対応していこうと決断しました」。
機械が入ると作業効率は格段に上がり、生産量は一気に増加。袋詰めに人員をあてることもできるようになり、それまでは100グラム入りしか作っていませんでしたが、手軽に購入できる50 グラムサイズも用意して道の駅などに置いてもらうことにしました。これが観光客に受け、コロナ禍明けもあり、2023年度の売上は、一気に20倍を超える、年間約540万円に。
手応えを得たおふたりは、端境期に新しい仕事を、と黒ニンニクの製造販売にも着手。利用者さんが通年で働ける仕事を確保するとともに、新商品で、売上をより伸ばしています。
助成でトラクターを導入。みんなで野菜を作るぞ。
六次化事業を軌道に乗せたおふたりの次の目標は、自分たちの手で、材料のダイコン、ニンニクをすべて栽培し、農業を事業のもうひとつの柱にしていくことです。利用者さんが自主的に作った、比内ヒルズ通信には、「野菜作るぞ」と、農作業への意欲あふれる声が掲載されていました。
「しかし、比内町は、よねしろがわが流れ、山々に四方を囲まれた盆地にあり、寒暖差が激しく、冬は雪がたくさん積もります。利用者さんが無理なく農作業をおこなえるようにするため、除雪、肥料、種蒔き、マルチの敷設、荷物の運搬などを、機械の力でサポートできるトラクターと、アタッチメントを購入したい、とヤマト福祉財団さんの助成に申請したのです」。
助成通知が届くと、利用者さんも、職員も、手を取り合い、大喜びしたそうです。5月2日には、待望のトラクターが到着しました。
「それを見た近隣の農家が、『立派なトラクターだね』と話しかけて来ました。そこで、より、畑を広げたい、と相談すると、『荒れてしまっているが、お宅の畑の隣の土地を使ってみるか』と、言っていただけたんです。これで、うちの畑は計1ヘクタールになりました。利用者さんもやる気満々なんですよ」。
脚注:ジーアイとは、地理的表示保護制度。その地域ならではの産品を、地域の知的財産として保護する制度。