第25回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式。
障害者福祉の、新たな歴史を拓いた、ふたりの先駆者。
ヤマト福祉財団、小倉昌男賞は、毎年、厳正な審査のもとで、2名のかたを選考。障害のあるかたの仕事づくりや、雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに功績のあるかたを讃え、今後のご活躍を応援しています。第25回の受賞者は、株式会社カムラック、代表取締役のカムラ ケンさんと、社会福祉法人、いなりやま福祉会、常務理事の酒井イサユキさんです。会場には、おふたりの関係者や、歴代受賞者等、約100名をご招待。晴れの舞台に、やや緊張気味のおふたりを、あたたかい拍手で迎えました。
ふたりの熱意が、多くの人の心を動かしていった。
障害者週間の12月5日、第25回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式を東京都、日本工業倶楽部で開催しました。
主催者挨拶で、山内理事長は、「デジタル時代の需要を見据え、障害のあるかたの新たな活躍の場を開拓されているカムラさん。障害のあるかたのために、60年間、地道に、長野県の福祉事業の礎を構築されて来た酒井さん。おふたりはともに、障害者福祉の新たな時代を拓いた先駆者です。私はそれぞれの事業所を訪ね、お話を伺い、おふたりの、あふれるほどの熱意に心を打たれました」と、受賞者を讃えています。
選考委員のエヌピーオー法人、日本障害者協議会、藤井克徳代表は、「おふたりの共通点は、深いヒューマニズムと、やればわかる、と、失敗を恐れず、挑戦し続ける姿勢。まさに、小倉昌男さんが、常々、口にされていた言葉を、そのまま実践されています」と、選考理由を伝えました。
障害のあるかたたちを、アイティー系の活躍人材に育てる。
カムラさんは、福岡県で障害のあるかたたちが、ソフトウェアや、アプリケーションの検証、プログラミングなどに活躍できる会社を設立。スキルを磨きながら、B型から、A型事業所へ、さらに一般就労もできるロールモデルを作り上げました。
「私がソーシャル ファームのサミットを小倉で開催した際、地元のスタッフは口を揃え、ぜひカムラさんに講演してもらいたい、と言う。その講演に耳を傾けると『就労支援の本質とは、支援でなく、ちゃんと仕事を依頼する、一緒に仕事をしていくことにある』と、説かれたのです。しかも、提供している仕事が、アイティー関連だと聞き、福祉の素人の私は、二度、驚きました」と、推薦者、エヌピーオー法人、コミュニティ シンクタンク、あうるず理事の菊池貞雄さん。
「カムラさんは、メンバーさんが地元アイドルグループのグッズをデザインしていることも情報発信しています。若者など、これまで福祉事業にふれあうことのなかった人々が、福祉と出会う最初の入口がアイドルというのは良いですね。こうして障害のあるかたが、社会に必要とされるアイティーの仕事に携わっていることを、より多くのかたに伝えています。就労支援でも高い実績を上げる同社の取り組みは、福祉以外の、さまざまな業界からも注目されているのです」と、紹介しました。
60年間、障害のあるかたと、親が求める声に応え続けて。
推薦者、長野県の千曲市議会議員、前田きみ子さんからは、お祝いのビデオ メッセージが届いています。
「私と酒井さんは、かつて、稲荷山療育園で障害のある子どもたちのリハビリを一緒におこなった同僚です。当時から酒井さんは、当事者と親御さんに一番近い視点に立ち、子どもたちの未来を考え、尽力して来ました。親御さんたちから『学校を卒業したあとの居場所がない』と聞けば、県内初の共同作業所を設立。『私たちがいなくなったあとの暮らしが心配だ』と言われれば、グループホームも開設していく。それを療育園で働きながら、寝る間も惜しみ、しかも私財を投げ打って実行されたのです」。
その姿に、他の職員や、地域のかたたちも心を揺り動かされ、一緒に行動を開始。まだ障害者と福祉施設への支援体制が整っていなかった長野県千曲市に、新たな実績をひとつずつ積み上げていきました。
「福祉は人なり。地域と共に。その信念を貫き続ける酒井さんの歩みは、80歳になられても決して止まることはありません」。
一緒に挑戦し続ける仲間と、受賞の喜びをかみしめ。
おふたりには山内理事長から、正賞の、あめのみや あつし氏作のブロンズ像、愛 と、賞状、副賞賞金、100万円の目録が贈呈され、受賞者を支え続ける奥様方には花束が送られました。続いて3名の来賓から祝辞をいただき、いよいよ両受賞者の挨拶へ。
「こんな素晴らしい賞をいただけたのも、一緒に頑張ってくれているメンバー、スタッフ、そして協力会社のみなさんのお陰です」と、カムラさん。酒井さんも、「階段を一歩ずつ登るように、みんなで努力し続けてきた結果がこの受賞だと思います」とスピーチ。地元などから贈呈式に駆けつけた施設の同僚や、利用者さんたちに感謝の言葉を伝えると、会場からは全員を讃える大きな拍手が。その響き渡る音に、おふたりは改めて喜びをかみしめていました。
前列左から酒井様令夫人、百合子さんと、受賞された酒井イサユキさん。カムラ ケンさんと令夫人、麻里子さん。後列左から、野村サトシ厚生労働省 社会、援護局障害保健福祉部長、山内雅喜、ヤマト福祉財団理事長。長尾 ゆたか、ヤマトホールディングス株式会社代表取締役社長。森下明利、ヤマトグループ企業労働組合連合会、会長。
「こんな立派な会場で、たくさんのかたにお祝いいただけるなんて、感動しています」と、酒井イサユキさんと、カムラ ケンさん。
約100名の参列者が見守る中、贈呈式は、滞りなく進行しました。
受賞者に贈呈された、正賞、あめのみや あつし氏作のブロンズ像、賞状、副賞、賞金100万円の目録。
「カムラさんは、いろいろな企業とコラボし、障害のあるかたの自立を支援する環境づくりも進めています」と、推薦者、エヌピーオー法人、コミュニティ シンクタンク、あうるず理事、菊池貞雄さん。
「ありがとうを言う側から、言われる側に。アイティーを通して、障害のあるかたが自己肯定できる、そんな仕事を提供していきたい」と、カムラ ケンさん。
「いろんな障害のある利用者さん、みんなで力を合わせいただいた、とても名誉ある賞です」と、うれしそうに話す、酒井イサユキさん。
「すべての利用者さん、親御さんが、酒井さんへの感謝の気持ちをいだいています」と、推薦者の千曲市議会議員、前田きみ子さん。
「障害のあるかたが、より良い働き方、暮らしができるように、制度をもっと充実していきたい」と、厚生労働省、社会、援護局障害保健福祉部、野村サトシ部長。
「本賞は、功績を讃えるだけでなく、これからの活躍への期待の大きさの証です」と、エヌピーオー法人日本障害者協議会、藤井克徳代表。
「夏のカンパや、賛助会員以外にも、私たちにできることを。だれかの役に立つことは心の豊かさにつながります」と、ヤマトグループ企業労働組合、連合会、森下明利会長。
「これからも、雇用率のアップとともに、おふたりのように、働きがいも創出できる企業を目指していきます」と、ヤマトホールディングス株式会社、長尾ゆたか、代表取締役社長。
受賞者を訪ねて。
カムラックの輪を全国の施設、企業に広げていきたい。
福岡県福岡市、株式会社カムラック、カムラ ケンさん。11月22日、「求められれば、全国、どこにでもいって、お話をしますよ」。地域や福祉の枠を超えて走り続けるカムラさんを訪ねました。
人材不足に悩むアイティー業界に、障害のあるかたたちを。
かつて東京のソフトウェア会社で部長を務め、提案営業で辣腕を振るっていたカムラさんは、2009年、「奥さんが故郷、福岡で子育てをしたい」との願いに応え、移住します。
「福岡の会社に転職し、アイティー業界が抱える人材不足は、地方ほど深刻であるとわかりました。そこで僕は、一億総活躍と言われる対象者 イコール 高齢者、女性、障害のあるかたに着眼。彼らが社会で必要とされ、イキイキと活躍できるお手伝いができたら素晴らしい、と考えました」。
早速、福祉施設に仕事を発注しようと説明しますが、「うちの利用者さんには無理」と、断られてしまいます。
「私には、福祉施設の職員がアイティーの仕事を理解することや、利用者さんの仕事を支援するための工夫を敬遠しているように見えました。そこで、自社で就労支援事業をやろうと計画書を作成。でも稟議が通らない。それなら、自分で事業所を開設してしまえ、と、カムラックを作ったんです」。
アイティー知識は白紙でいい。半年で活躍できる人材に。
利用者さんを募集すると、最低賃金で約8時間働け、社会保険も完備された事業所ができた、と、たくさんのかたがやって来ました。しかし、プログラムや、コード作成の知識、技術を持つ人は少数です。そこで、企業にマニュアルを提供してもらい、アイティー知識がゼロのかたでも仕事ができるように訓練していきました。さらに、仕事をサポートするスタッフと、福祉的ケアをおこなうスタッフを完全に分業。すべての利用者さんが、存分に力を発揮できる体制を整えていきます。
「利用者さんの練習のため、無料で仕事を受けたこともありました。それも、僕の考えに賛同いただいた企業の経営者のご協力もあり、開所当初から、しっかり、仕事を確保できていたからです。いまでは、地元会社のバック オフィスなどの仕事も任せていただいています」。
現在、利用者さんは、プログラム開発、データ入力や、テスター、ホームページ作成など、さまざまな仕事に従事。職場を訪ねると、ひとりで複数台のピーシーを操作し、テキパキと作業する姿は、颯爽として見えます。なかには、地元アイドルグループのポスターや、シーディージャケットなどのデザインを担当するかたや、月給20万円を超える人も出て来ました。
一般就労もワンステップで。このロールモデルを全国に。
障害のあるかたにどんな仕事をしてもらえば。カムラックは、そんな企業の悩みも解決しています。
「カムラックがその企業の仕事を請け負い、事業所の中で利用者さんの習熟をサポートします。仕事ができるようになった利用者さんは、そのキャリアを持って企業へ就労します。就労したその日から、すぐ活躍していけるのです」。
このロールモデルを、カムラさんは全国の施設や企業に発信しています。
「僕は、福祉施設に、うちのようになれ、とは言いません。今後は地域企業がやるべきだと思っています。僕がまだできていないことも可能にできる企業がきっとあるはずですよ」。
大阪や愛媛など、着実にカムラックの輪は広がり始めています。
今後は海外の仕事も獲得したい、と話すカムラさん。複数のピーシーを使いこなす利用者さんの姿を見ると、その言葉も納得です。
就労継続支援A型事業所、Come Luck ラボ西新。
就労継続支援A型事業所、Come Luck ラボ県庁前。
アイドルのポスターや、シーディージャケットなど、デザインを担当。
カムラック大分と、モニターでつないで、仕事のフォローを実施。
就労継続支援B型事業所、ホップ ステップ カムラック。
受賞者を訪ねて。
目は不自由でも、やるべきことは、はっきりと見えていた。
長野県千曲市の社会福祉法人、いなりやま福祉会、酒井 イサユキさん。11月6日、「利用者さんに一番近い所にいたい」と、障害のあるかたと二人三脚で、60年間歩み続ける酒井さんを訪ねました。
長野県初の無認可作業所を、4人の利用者さんと開設。
「おはよう、いってらっしゃい」。
酒井さんの朝は、よっつのグループホームを巡り、出勤する利用者さんへの声がけから始まります。スタスタと我々の前を歩く姿は、目の見えないハンディなど感じさせません。
酒井さんは、昭和40年に盲学校を卒業後、稲荷山療育園でリハビリ療法士として勤務。障害のあるかたを取り巻く、厳しい実情を知ります。
「当時は、障害が重く、歩くことが難しくても、車いすはなく、改造したリアカーに子どもを乗せて、町まで運んだこともありました。障害者が町に出かけるなんて、と言われましたが、そんなことはないはず。この子たちが大人になった時、どんな生活をするのだろう。そう想像したら、いま動き出さなければ、と。そこで療育園で働きながら、4人の利用者さん、親御さんと一緒に、長野県初の無認可作業所を立ち上げたのです」。
わずか数十円の給料が、現在、一律3万5000円に。
まずは、仕事をして給料を得なければ、と、酒井さんが最初に始めたのは、洗濯バサミの組立、販売です。
「でも、まったく売れず、給料はわずか数十円。これではいけない、といろいろな会社を訪ねて、仕事を開拓していきました。ひとつうまくいくと、それが人伝えに広がり、次の仕事へとつながる、そんな感じで、一歩ずつ売上げを伸ばしていったのです」。
現在は、みっつの施設で農業、箱折り、部品製造、ウエスや袋物縫製、千曲染、オリジナルのせんべい作りなど、多彩な仕事を用意。職員みんなで話し合い、力を合わせて、どんな障害がある人にも、それぞれに合った働き方や、支援方法を工夫しています。ネット販売や、ふるさと納税の返礼品などもおこない、いまでは、月額平均給料、約35000円を超え、利用者数も約100名に増えています。
「たくさん仕事をできる人も、できない人もいますが、額に汗して懸命に頑張っているのは同じです。だから、全員一律の給料にしようと決め、そのやり方をずっと続けています」。
親元から自立するためにも、複数のグループホームを。
次に酒井さんが動いたのは、親亡きあとも自立して暮らしていくためのグループホームづくりでした。
「困っている人が目の前にいるならやるしかない、と、借金をして、グループホームを開設していきました」。
最初のグループホームを作ったころ、当時の長野県には十分な支援体制は整っていませんでした。酒井さんは、親御さんと一緒に、市の福祉課に通い、いま、なにが必要かを訴え、市長にも、当事者の声を届け、改善を求めました。
さらに、酒井さんは、行き届いた支援を実現するには、職員の働く待遇改善も必須だ、と説きます。「利益は、まず利用者さんに、次に職員のために使っていかなければなりません」。
まさに、障害者福祉のあるべき姿、礎を、その手で積み重ねて来たのが酒井さんの60年間の歩みです。
「私は、目以外にも病気がありましてね。それは、新しいことをやりたくてしょうがなくなる病気なんですよ」。そう笑って話す酒井さんの挑戦に、終わりはないようです。
朝8時から、グループホームを回る酒井さん。事業所に通所する利用者さんへの声かけから1日のスタート。
就労継続支援B型事業所、いなりやま共同作業所。箱折り、ウエス製造など、オリジナルのサクサクせんべいを製造。
生活介護事業所、はなたば。
グループホーム、たんぽぽの家。
就労継続支援B型事業所、満天の星。部品製造、箱折り、千曲染の袋物製造。
カムラさんの受賞の言葉。
いつも応援してくれている、すべてのかたに、鶴の恩返しを。
ライブ配信を見ている仲間の感想を聞くのが楽しみ。
こんな立派な会場で、たくさんのかたに祝福いただき、喜びとともに、期待の大きさも感じています。本日の贈呈式のライブ配信を、福岡のスタッフやメンバーも見てくれているはずなので、帰ってから感想を聞くのがとても楽しみです。
カムラックのロゴには、社名に込めた、カムオン ラッキー の願いを込めた、星。
そして、応援いただいているすべてのかたに、いつか必ずお返ししたいという思いを、鶴の恩返しの鶴で表現し、デザインしています。
カムラックでは、アイティー初心者も、B型事業所で働きながら、基本スキルを身につけ、能力が上がれば、よりハイレベルな仕事で力を発揮できる、A型事業所にシフト。さらに、一般就労も可能にする、段階的支援をおこなっています。また、カムラックキッズでは、未来を担う子どもたちへのアイティー基礎訓練もおこなえる体制を整えているところです。
このロールモデルを全国の施設や企業と共有することで、障害のあるかたがやりがいのある仕事と、より高い給料を手にできるようになったら。それが本賞をいただいた恩返しに、きっとなりますね。
株式会社カムラック、代表取締役、カムラ ケンさん。
1995年、日本大学、農獣医学部卒。三菱建設株式会社、入社。2000年よりアイティー関連企業に転職。2013年、アイティーに特化した、就労継続支援A型事業所、株式会社カムラック、設立。2015年、就労継続支援A型事業所、Come Luck ラボ、株式会社 else if 設立。2016年、特定相談支援事業、株式会社スーパー カムラック、設立。2020年、就労継続支援B型、就労移行支援事業所、ホップ ステップ カムラック、開設。2021年、株式会社カムラック フューチャー、デイサービス、かむらっきーず開設。2022年、第12回、日本で一番大切にしたい会社大賞、審査員会、特別賞受賞。2023年、就労継続支援A型、B型事業所、Come Luck ラボ西新を開設。
酒井さんの受賞の言葉。
夢は叶えてこそ、意味がある。この精神を次の世代にも。
福祉はボランティアじゃない。職員の待遇改善も忘れずに。
ヤマト福祉財団さんの運営は、ヤマトグループの労働組合のみなさんのカンパなどから成り立っていると知り、うれしくなりました。じつは、私は稲荷山療育園の職員時代に、より良い福祉サービスは、職員の生活を守ってこそ実現できる、と、この世界では珍しい労働組合を結成。執行,委員長を務めていたこともあったんですよ。
私は、新しいことに挑戦したい、やると決めたら達成しないと気が済まない、そんな性分です。現在も、新しい事業所の開設を推進中です。ただ、資金が足りないため、また、銀行のお世話になることに。幹部のなかには、お金が貯まってからにしては、と躊躇する者もいました。
でも、「借金をどんどん返していこう、と頑張っていれば、逆にお金は貯まっていくものだよ」と、説得しました。いまでは、その幹部がだれより率先して頑張ってくれています。
これから、いなりやま福祉会を担う彼らに、私が教えてあげられることは、そう多くありません。ただ、利用者さんのために自分たちになにができるか。夢は見るものではなく、叶えるものという姿勢は、継承してもらいたいと願っています。
社会福祉法人、いなりやま福祉会、常務理事、酒井 イサユキさん。
1965年、長野県立、長野盲学校卒。社会福祉法人、信濃整肢療護園、分園、稲荷山療育園、就職。2003年まで勤務。1980年、任意団体、いなりやま福祉会発足。1981年、長野県初の共同作業所、いなりやま共同作業所、開設。2003年、社会福祉法人、いなりやま福祉会、設立、理事長就任。2004年、知的障害者通所授産施設、満天の星、開設。2005年、グループホーム こんぺいとう、開設。以降、2009年、たんぽぽの家。2015年、ふっくら。2022年、いなほ、開設。2007年、いなりやま共同作業所を多機能型事業所に移行。2011年、満天の星を、就労継続支援B型に移行。2017年、生活介護事業所、はなたば、開設。2019年、社会福祉法人、いなりやま福祉会、理事長、退任、2021年に常務理事、就任。