やっとセンターを開所できたが、奥能登まで移動に4時間も。
聞き手:今日はジェイディーエフの活動内容や、被災地の状況などをお聞きしたいと思います。まずは、センター開設時の状況からご説明いただけますか?
大野健志さん:2024年2月にジェイディーエフが、石川県下の障害者施設や、関係団体、そしてジェイディーエフの加盟団体などと情報交換会を開き、被災状況や、どういったニーズがあるかを調査しました。そこで、なか能登、奥能登の被害が甚大であること、各団体に所属していない、障害のあるかたたちの状況が明確につかめていないことなどがわかったのです。こうした課題やニーズに対応し、かつ継続的な情報交換会を開催できるように、ジェイディーエフは、同年5月に、七尾市に支援拠点を構えました。本当はもっと奥能登に近い穴水町が良かったのですが、やっと開所できたという状況です。
聞き手:東日本大震災、熊本地震のときでも1、2週間でセンターを設立できたと聞いています。震災から開設までに4ヵ月ほど要したのは、何かあったのでしょうか?
大野:奥能登に向かう、いくつかの道路が分断されていましたし、なか能登の多くのホテルが被災し、営業を停止。水道は断水し、トイレも使えない状態で、拠点として借りることができる、使える場所がまったく見つからなかったのです。
聞き手:奥能登へは、半島の下から上に向かって行くしかないですものね。
大野:なかなか拠点を確保できなかった私たちは、1月に、とりあえず富山県高岡市のホテルを拠点に、なか能登まで支援に通うことにしました。
聞き手:高岡市だと、奥能登にも片道4時間以上ありそうですね。
大野:支援時間より移動時間のほうが長い。そんなジレンマがありました。そこで、当時、本センターの事務局長、本田雄志さんが、地元で築いてきたネットワークをもとに、多くの方のご協力を得ながら、やっとなか能登の七尾市内に、町内集会所の一軒家を確保してくれたんです。それでも、奥能登には、まだ1時間半近くかかっています。
被災地支援に参加したくても、福祉は慢性的な人手不足。
聞き手:一般の人はボランティアに参加したくても勝手には動きにくいのですが、今回はどうなのでしょう?
大野:熊本地震では、行政と我々の間に調整役の団体が入りましたが、今回は、各団体に任せるという形になりました。障害者福祉関係は、支援内容が専門的なため、一般ボランティアとの連携が難しいのが実情です。ジェイディーエフでは、全国13の加盟団体から支援スタッフとして参加いただいています。
聞き手:何名体制なのですか?
大野:4から6名です。ここで寝起きするには6人が限界でしょう。当初は水道が使えず、お風呂どころか、トイレもままならず、周辺の施設もまったく利用できなくて、女性にはつらい状況でした。また、地震で損壊した福祉事業所や、利用者さんの自宅の片付けなど、力仕事も多かったので、女性は2名までにしたのです。でも、個別支援などは、女性でなければできないケアもありますから、いまは人数配分を変えています。
聞き手:1回の参加期間は?
大野:ワンクール、約1週間です。私のように複数回参加されたかたもいて、延べ360人が支援活動に従事。令和7年9月で65クール目を超えます。
聞き手:参加者の集まり具合は?
大野:正直なところ厳しいですね。現在、全国、どこの障害者施設も慢性的な人手不足に悩んでいます。被災地の支援に駆けつけたいと思われても、現実問題として、自分のところの利用者さんをケアすることで手一杯。そこを抜けて、ここに約1週間、滞在するのは容易ではありません。事業所が交通費を出すことができず、手弁当で駆けつけられたかたもいます。
被災地の方々の声を聞き、各団体と力を合わせ、応えていく。
聞き手:被災地の福祉事業所や、個人への支援現場に同行させていただき、いかに現場に寄り添って活動されているかがよくわかりました。
大野:最初は手探り状態で、きょうされんの先遣隊が始めた輪島市の事業所支援の引き継ぎから開始。その後、道路が復旧していなくても、なんとか走れるルートを探し出し、事業所や個人宅に必要な物資を届けるなど、少しでも震災前の生活を取り戻せるお手伝いをしていったのです。
聞き手:個別支援を始めたきっかけは?
大野:ジェイディーエフ能登半島地震支援センター開設の様子をエヌエイチケーが取り上げ、それを七尾市の視覚障害者団体の会長さんが見てくださいました。会員の方々に、「こういうセンターが立ち上がったから、困ったことがあったら、お願いしてください」と、伝えてくれたんです。そのおかげで、当事者の声が届くようになりました。その声をもとに、七尾市内の視覚障害のあるかたの自宅の片付けなどを開始したんです。
聞き手:当事者とつながることで、やるべきことが見えて来たのですね。
大野:きょうされんの現地職員と連携しながら、障害者施設のニーズを徐々に明確にしていきました。さらに、被災した障害のあるかたと支援する事業所職員、その両方の声も聞き、できる範囲から、徐々に支援活動を広げていったのです。
聞き手:具体的には、どのような支援活動を進めていったのでしょうか?
大野:通院や、事業所の送迎、公費解体前の片付けです。施設の職員は、利用者さんへの対応に追われていますし、自身も被災者であり、疲労やストレスがどんどんたまっていく。それに押しつぶされないように、サポートも必要です。たとえば、午前中は、利用者さんと厨房で一緒に調理作業をし、午後は、生活介護で利用者さんの話を聞くなど、私たちにできることをしています。
遠慮せずに要望を言える。そんな信頼関係を築きたい。
聞き手:現場の声は情報交換会で?
大野:私が一番多く奥能登入りをしていますので、個人宅や、福祉事業所に物資や水などを届ける際に、マメにお声がけしているんです。さらに、被災地の福祉関係団体や、役場などのキーマンの方々とも積極的にお会いするようにしています。「『やわやわと』を持って来ました(,脚注,)。最近気になること、困っていることはありますか?」と。向こうから、「用事があるから来てほしい」と言われてからではなく、こちらからどんどん出向いていく、それが大事なんです。
聞き手:待っているだけでは進展しないですね。
大野:被災者の方々にお話を伺ううち、どこか遠慮されているのではないか、と感じるようになりました。みなさんには、我々、支援団体の厳しい状況も見えているから、つい我慢して声を飲み込んでしまう。でも、声に出していただかないと改善はできない。
聞き手:被災者も、本当は、声に出して助けを求めたいんですよね。
大野:まず信頼関係を築くことが必要です。たとえジェイディーエフだけで応えられない要望でも、他団体(ゆめかぜ基金、難民を助ける会、エーエーアールジャパン等)と協同し、資金を出すもの、物を購入するもの、現地で動き回るものと役割分担すれば、実現できることも増えていきます。現在、事業所支援は、なか能登1ヵ所、奥能登6ヵ所の計7ヵ所。個別支援して来たかたは、延べ100名ほどです。
避難所生活のケアなど、さまざまな課題が浮き彫りに。
聞き手:支援活動を続けられて来て、これがつらかったということは?
大野:昨年9月の豪雨災害ですね。やっと避難所から自宅やグループホームに帰ることができたと喜んでいたかたたちが、また避難所に戻ることに。「もう心が折れてしまった」と、がっくりとうなだれる姿に、なんと声をかけて良いかわからず、自分たちの無力さを痛感しました。
聞き手:障害のあるかたにとって、避難所生活はかなり厳しいですよね。
大野:新聞報道にもありましたが、避難所で大きな声を出す、障害のあるかたがうるさい、と住民から苦情が出て、「避難所を離れるしかなかった、車中はくせざるを得なかった」ということもありました。近くに福祉避難所があれば良いのでしょうが、開設できてもスタッフが揃わない。「外部の応援に運営を任せることができて、本当に助かった」との報告も受けています。大切なのは、現地施設と外部との連携をどう進めるかです。
聞き手:東日本大震災で障害のあるかたたちが避難所に、はいれず、転々とされたケースがあり、ご本人もご家族も大変な思いをされました。この問題もまだ未解決のままなのですね。
大野:今回、元日に地震が発生し、障害のある人の多くが、ご家族と一緒に被災されました。そのため、施設の職員ではなく、ご家族に負担が重くのしかかってしまったのです。
聞き手:被災したタイミングで障害のあるかたを支える人がだれになるかは変わってくる、と。現場に入って見えて来た問題は、他にもありますか?
大野:施設の職員は、トイレの対応が大変だった、と口をそろえて話しています。仮設トイレに袋を設置して、使い終わったら捨てる、これを1日に何度も繰り返さなければならず、本当につらかった、と。また、断水により排泄物が流せない状況が長く続きました。ご家族と一緒に住んでいるかたはまだ良いのですが、一人暮らしされていたかたの住まいのトイレは山盛りになっていて、職員が片付けにまわったそうです。今回の震災で改めて露呈した課題がいくつもあります。その一つひとつの課題を解決するための提言も私たちの使命です。
だれ一人取り残さないように、支援活動を続けていきたい。
聞き手:最後に、ヤマトグループの社員へのメッセージをお願いします。
大野:ヤマトグループの社員のみなさん、ヤマト福祉財団さんには本当に感謝しているんです。阪神淡路大震災から始まり、東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震と、ジェイディーエフの支援活動を、いろいろな形で応援いただいています。各被災地では、未だに多くの問題を抱えており、ジェイディーエフは、今後も活動を継続していかなければなりません。障害のある人と、その家族、支援する職員、事業所が、だれ一人取り残されることがないように、私たちは支援していきますので、今後も引き続き、応援をよろしくお願いいたします。