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第26回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、贈呈式。

年齢や方法は違っても、利用者さんの幸せを願う、ふたりの想いは、同じく熱い。

障害のあるかたの仕事づくりや、雇用の拡大、労働環境の向上、高い給料の支給などに功績のあるかたを称え、今後のさらなる活躍を応援したい。ヤマト福祉財団、小倉昌男賞には、そんな想いが込められています。第26回の贈呈式は、障害者週間の、12月4日に開催しました。厳正な審査のもとで選考された2名の受賞者は、特定非営利活動法人、わかば福祉会、理事長の久保田 静子さんと、社会福祉法人、ゆずりは 会、理事であり、菜の花、管理者のこぶち ひさのりさん。年齢が倍も違うかたの同時受賞は、本賞では初めてです。そんなおふたりと一緒に喜びをわかち合いたい、と、会場となった、東京都、日本工業倶楽部には、両名の関係者や、歴代受賞者、約120名が集いました。

地元に根付いたふたりの活動を、福祉のモデルとして全国へ。

山内理事長は、主催者挨拶で、「特殊学級の教師だった久保田静子さんは、障害者である教え子たちの将来を案じ、昭和44年に、私財を投じて、わかば学園を設立しました。以来、56年間、時に優しく、時に厳しく、母親のような愛情を注ぎ、多くの利用者さんたちの社会的な自立を支え続けています。奇しくも、小倉昌男、初代理事長は、久保田さんと同い年。きっと、同級生の受賞を喜んでいることでしょう。

こぶち ひさのりさんは、農福連携の第一人者です。福祉も農業もゼロから学び、機械化や、利用者の特性に応じた作業分担などで工夫を続け、生産量を飛躍的に増大させ、高工賃を実現しました。そのノウハウを、本財団が開講する農福経営実践塾で、多くの塾生たちに伝えてくれています」と、紹介しました。

選考委員の日本社会事業大学、学長室、社会福祉研修センター、かもはら,もとみち客員教授は、おふたりが地域と一体となって事業を進めて来た点も高く評価しています。「久保田さんは、長年障害のあるかたに寄り添いながら、仕事や、グループホームを作り、生涯にわたる支援を実践されてました。その姿は、地域のかたたちを動かすきっかけとなっています。こぶちさんは、地元農家と力を合わせ、農福連携という新たな分野を成功させました。また、障害のあるかた、ひとりひとりの特性を理解し、作業とマッチングさせて、高い給料を支給しています。そんなおふたりは、全国の福祉施設にとって最高のモデルと言えるでしょう」と、選考理由を伝えました。

どんなにつらい状況でも、教え子のため前向きに。

「久保田さんが本賞を受賞でき、やっと、広く、世間が、彼女を評価してくれた、と胸がスッとする思いです」と話すのは、久保田さんの推薦者、エヌピーオー、夢のたね、ゆめさき舎の松本雅也理事長。

「1960年代、久保田さんは、兵庫県で初となる共同作業所を開設します。当時は助成金など何も整っていません。だから、資金繰りに悩み、役場に相談にっても、別に私たちが頼んだわけじゃない、と冷たくあしらわれることも。それでも挫けることなく、休日どころか、給料すらなくても、教え子のために、ひたすら働き続けてた久保田さん。そんな彼女の姿に、周りも感動し、一緒になって事業を支えてくれるようになりました。今や、加古川市で彼女の功績は広く知られ、バザーを開くと、一万人くらいが来場するんですよ」と、嬉しそうに話します。

利用者さんを信じているから、迷うことなく挑戦できる。

こぶちさんの推薦者は、千葉大学、園芸学部、食料資源経済学科の吉田ゆきさと教授です。

「以前、ゼミ生を連れて彼の施設を訪れたとき、機械が多いことに驚きました。どれもネットオークションで安く購入した中古品ですよ、と笑っていましたが、福祉施設で、これだけ農業の機械化を進めたところは見たことがありません。彼は、良いと判断したら迷わないし、仕事を増やすことも躊躇しない。それは、何より利用者さんの力を信じているからです。そんな彼を見つけると、利用者さんは、こぶちさん、と呼びかけてる。それだけ、彼のことが大好きなんですね。後日、ゼミ生たちが感銘を受けて書いたレポートには福祉施設で珍しい認定農業者。農福連携で農家の後継者問題を解決。子ども食堂など、企業と連携し社会貢献と、三者三様のテーマになっていました。つまり、彼の活動は、従来の福祉の枠に収まらず、広がり続けている。しっかり環境を整えれば、福祉施設は、農業でこれだけ成功できることを、彼が証明してくれたのです」と、解説しました。

受賞の喜びを、次のステップに。

続いて、山内理事長が、おふたりに、正賞のあめのみや あつし氏作のブロンズ像、愛、と、賞状、副賞賞金100万円の目録を、受賞者を支え続けるかたたちには花束を贈呈。来賓代表の厚生労働省、社会 援護局、障害保健福祉部、野村さとし部長からは、「私たちも障害のあるかたの生きづらさをなくし、長く働き続けられる、そんな地域共生社会の実現に努めます」との祝辞が届きました。

そして、フィナーレである、両受賞者の挨拶へ。「100歳を迎えましたが、これからも障害のある人たちが、みんなと同じように幸せになるよう、努力したいと思います」と、久保田さん。こぶちさんは、「たくさんの人との出会いに恵まれ、ここに立つことができました。これからも、利用者さんのために挑戦を続けます」と、感謝の気持ちを伝えました。

祝賀会では、乾杯の音頭を、ヤマト運輸株式会社、阿波誠一代表取締役社長が、なかじめの挨拶は、ヤマトグループ企業労働組合連合会の森下明利会長に務めていただくことに。さらに、受賞者の関係者から、温かいお祝いのメッセージも贈られ、晴れの日に花を添えてくれました。

前列左から、こぶち様令夫人、美智子さんと、受賞されたこぶち ひさのりさん、受賞された久保田静子さんと、久保田さんを長年支える、同僚の渡邉千加子さん。

「小倉昌男賞に込められた想いを胸に、これからも頑張ります」と、左の久保田静子さんと、こぶち ひさのりさん。

緊張した受賞者の心をほぐすように、参加者から温かい拍手が。

受賞者に贈呈された、正賞、あめのみや あつし氏作のブロンズ像。賞状。副賞、賞金100万円の目録。

「本当にみなさんのお陰です。どんなにお礼を申し上げても、言い尽くせません」と、久保田静子さん。

「半世紀以上も障害のあるかたたちに寄り添い続けられ、いまなお、現役であることが素晴らしい」と、選考委員会を代表して、かもはらもとみち氏。

「久保田さんは、たくさんの子どもたちの先生であり、母親的な存在です」と、推薦者エヌピーオー夢のたね、ゆめさき舎、理事長の松本雅也さん。

「近隣農家さんは、さりげなく、私たちの仕事ぶりを見守ってくれています。それがとてもありがたいです」と、こぶち ひさのりさん。

「農業で高工賃を実現できる、と全国の福祉施設に勇気を与えてくれています」と、推薦者の、千葉大学、園芸学部、食料資源経済学科の吉田ゆきさと教授。

受賞者を訪ねて。

利用者さんも、地元のかたも、先生と慕う、100歳の現役理事長。

兵庫県加古川市、特定非営利活動法人、わかば福祉会。久保田静子さん。

11月25日、100歳になられたいまも、毎日、わかば学園で、利用者さんたちの仕事を指導されている久保田さんにお話を伺いました。

大好きな子供たちのために、いま私がやらなければ。

1969年、加古川市の小学校で、特殊学級の担任を務めていた久保田さんは、教職を辞して、わかば学園の開設に踏み切ります。

「明るい人気者だった子が、中学卒業後、まったく外に出なくなりました。青白い顔をして、一日中、ぼんやりテレビを眺めている。話を聞くと、就職はできないし、どこにも行くとこなんて、ないんや、とつぶやくんです。この子たちの居場所をなくしてしまったら絶対あかんと思いました」。

いま、やらなければ、後が続かない、と動き出した久保田さんを特殊学級の先生や、障害者児童の親の会、そして、地元の慈善団体などが応援します。力を合わせ、農作業小屋の床を張り替え、トイレとキッチンをなんとか設置。わずか5畳の作業所に、5人の園生が集い、一歩を踏み出しました。

みなさんの助けがあったから、どんな苦難も乗り越えられた。

仕事はクッキー作りから始めましたが、売上に結びつかず、利用者さんの給料はほとんどありません。久保田さんは、毎日懸命に、地元の喫茶店や生協などに売り込みを続けました。

無償、無休で働き続ける姿に、地域のかたも心を動かされ、「工場を閉めるから、うちの活版印刷の機械を使ったらいい」と言うかたが現れます。こうして始めた印刷業で、名刺、挨拶状、年賀状の仕事を受注。作業所は次第に軌道に乗っていきます。

それでも久保田さんは手を休めず、親御さんと協力し、駄菓子、雑貨などの製造販売も開始。やがて二千円、五千円と給料を支払えるようになり、利用者さんは、仕事の喜びを覚えていきます。

ところが、1979年、作業所が立ち退きを命じられることに。「みんなと離れたくない」と泣く子どもたち。久保田さんの私有地に事業所を建てることにしましたが、資金がまったく足りません。すると、近隣の大工さんたちが、古くなった住宅などの木材や窓枠、瓦などをかき集め、無償で事業所を建ててくれたのです。

「私は、いつもいろんなかたに助けられてました。だから、苦労した、なんて思ったことは一度もありませんよ」。

いまも昔も、厳しいけど、優しい久保田さんは、永遠の先生。

事業所には、たくさんの利用者さんがはいってました。

久保田さんは、みんなが楽しく、いろんな仕事ができるように、と心を砕き、走り回って、地域のかたの協力を得ながら、農園、菓子工房、喫茶店と仕事場を広げていきます。さらに、自立して暮らせる生活の場を、とグループホームも設立しました。

まさに障害のあるかたの生涯にわたって寄り添い、支援する、久保田さんの活動は、半世紀を超えた今も変わることなく続いています。

毎朝、事業所に顔を出すと、「先生、おはよう」とみんな、元気に声をかけてきます。開設当初から通い続けるかたは、「いまも昔も変わりなく、厳しいけど優しい先生」と話してくれました。

「みんなここに来てから顔つきが変わってきたんですよ。ひとりひとりと大切な思い出があるし、いい一生やったなあ、と思っています」。

何をおっしゃいますか、久保田先生教え子たちとの物語は、まだまだ続いていきますよ。

「朝、事業所の窓を開けると、気持ち良い風がはいってて、今日も、みんなで頑張りましょう、と元気になるんです」と、久保田さん。

受賞者を訪ねて。

地元農家に認めていただくこと。それが農福連携の第一歩。

群馬県前橋市、社会福祉法人、ゆずりは 会。菜の花。こぶち ひさのりさん。

11月6日、ホテル、農協と職歴を経て、まったく未知の福祉の世界に飛び込んだこぶちさんが管理者を務める、菜の花を訪ねました。

農業と福祉のプロへ。いちからとことん叩き込まれた。

「アビリンピックのボランティアで出会った、障害のあるかたの、まっすぐな心にかれ、ゆずりは会の扉を叩きました」と、こぶちさん。採用面接は、農業と福祉に精通した、前理事長でした。そこで、「障害のあるかたと農業の親和性は高く、工賃アップにもつながる。君には、農業と福祉のプロになってほしい、と言われ、正直かなり戸惑いました」。

すべてに初心者だったこぶちさんは、日々、土と汗にまみれながら、農業のイロハをいちから叩き込まれます。

やがて、新事業所菜の花が開所し、事業所の運営が軌道に乗り始めたタイミングで、こぶちさんが管理者に。でも、どうやって農業で収益を伸ばすのか、どうすれば利用者さんが活躍できるのか、まったくわかりません。

職員の気持ちをひとつにまとめ、利用者さんを適材適所に。

「何とかしなければ、とヤマト福祉財団の実践塾に申し込んだのです。そこで熊田塾長に農業にはたくさんの仕事がある。利用者さん、ひとりひとりをしっかり見つめれば、その人に合った作業がきっと見つかりますと教えていただきました」。

早速、農作業を細かく分解し、利用者さんの特性能力に合わせた仕事の振り分けを開始します。

「大切にしたのは、利用者さんとコンセンサスを取り、各人のやる気、能力を引き上げていくことでした」。

しかし、職員のなかにはいままでの内職などの仕事をやめ、農業一本に絞ってやっていけるのかと不安になるもいたと思います。

「夏野菜の売上が少ないときは冬野菜でカバーする年間の栽培計画をたて、ピーディーシーエーを回し、みんなで考え、実践したんです。成果が現れると、職員の目標に向かうベクトルもひとつになりましたよ」。

農地と平均月額給料を4倍にしたノウハウを全国へ。

そんな姿を見た周囲の農家から、うちの土地を使ってくれないか、と声がかかります。そこで、法人の方針でもある機械化を全面的に推進することにしました。

「農業機械は、特化したものばかりなので、必要な作業に適したもの、利用者さんに使えるものを選ぶことが大事です。たとえば、ホウレンソウの種蒔は半日かかっていましたが、機械化で約1時間に。金銭的には助成申請したり、中古品を安く購入するなど、いまも工夫し、続けています」。

入塾した当時、農地は4ヘクタール、売上は350万円、平均月額給料は約2万6,000円でした。それが現在、農地は16ヘクタールに拡大し、売上は3,900万円、平均月額給料も9万8,000円を超えるまでになりました。

「その人の仕事量だけでなく、どう努力したかの過程も大切に評価しています」と、こぶちさん。給料とともに、利用者さんの意欲もアップ。働く姿を見れば、どれだけいまの仕事が楽しく、やりがいを感じているかは一目瞭然です。法人として認定農業者にもなることができ、菜の花として、ノウフク アワード2022のグランプリにも選ばれ、ユニバーサルな農業モデルとして、全国から注目されています。

「地元の農家に認めていただくことが、農福連携の第一歩です」と、話すこぶちさんは、自ら培ったノウハウを、農福経営実践塾の塾長として、惜しむことなく塾生たちに伝えています。

アビリンピックとは…障害のあるかたが、日頃培った技能を競い合う、障害者技能競技大会。地方、全国、そして国際大会と展開します。

「記録を取り続けて栽培計画を立てれば、収穫量品質を高め、作業の無駄をなくすこともできます」とこぶちさん。

受賞の言葉:周りのかたたちと同じ幸せを、彼らが味わえる日まで。

特定非営利活動法人、わかば福祉会、理事長、久保田静子さん。

明石女子師範学校卒業後、1943年、別府町立、国民学校に赴任。1961年、加古川市立、別府小学校、特殊学級を担任、障害児との関わりが始まる。1969年、わかば学園開園、5から6名の利用者さんと、クッキー製造販売、印刷業、駄菓子、文具などの販売を行う。1979年、私有地を提供し、わかば学園を現在地、加古川市尾上町養田に移転。利用者は20名以上になり、農業や菓子工房などを展開。2008年、エヌピーオー法人、わかば福祉会を設立し、翌年、指定障害者福祉サービス事業、就労継続支援ビー型に移行。2009年から、グループホームを設立し、現在、2ヵ所に。2016年、兵庫県高齢者特別賞受賞。2019年に公民館に喫茶店をオープン。創立50周年記念式典を開催。

ライブ配信を見ている仲間の感想を聞くのが楽しみ。

こんな素晴らしい賞をいただけるなんてもったいない。こうして私が長年やってこられたのは、利用者の親御さん、地域のたくさんの方々の熱意、応援があったからこそです。

また、これまで50回以上、バザーを開いて来ましたが、その度に、多くのかたに集まっていただきました。すべてのみなさんに、受賞のご報告と、感謝の言葉をお伝えしたいと思います。

そして、校長を務めてくれていた、亡くなった主人にもありがとう、と伝えたいです。うちの玄関には、たくさんの実をつけるシークワーサーがありますけど、この木は、主人の木と思って植えたものなんです。今朝も、「東京へ授賞式にってますよ」と報告してから、家を出ました。

これまでを振り返るといろんなことがありましたが、すべてが楽しい思い出です。たくさんの教え子に囲まれ、多くのかたに応援をいただけてきたお陰ですね。

開所したころから、世の中は大きく変わりましたが、目指すものは変わりません。私は、うちに来る人達、みんなが本当にかわいくて、障害の有無に関係なく、みんなが幸せになれるように、私はもっと勉強せんといけません。この歳になると、覚えるのも大変ですが、少しでもお役に立ちたいと思います。

受賞の言葉:ひとりひとりがきちんと役割を果たしてこそ、農業は成り立つ。

社会福祉法人、ゆずりは会、理事。菜の花、管理者。こぶち ひさのりさん。

1997年、東北学院大学、経済学部、経済学科、卒業。株式会社、群馬ロイヤルホテル、入社、1998年、退職し、粕川村、農業協同組合に入職。金融および共済業務に従事。2009年、前橋市、農業協同組合へ統廃合。2010年、退職し、群馬県高崎産業技術専門校、インテリア木工課に入学。2011年、卒業。2011年、社会福祉法人、ゆずりは会、入職。2016年、社会福祉法人、ゆずりは会、菜の花、管理者。2017年、社会福祉法人、ゆずりは会、理事に就任。2022年、ノウフク アワード、2022、グランプリ、受賞。現在、一般社団法人、農福連携自然栽培パーティー、関東ブロックリーダー、農福連携特例子会社連絡会オブザーバー、大隅半島ノウフク コンソーシアム アドバイザー、ノウフク コンソーシアム東日本、副会長を務める。

私を支え、協力してくれる、すべての仲間と妻に感謝。

本賞をいただき、改めて噛み締めているのは、私と一緒に頑張ってくれている職員や、利用者さん、そして、私を自由に働かせてくれている妻への、強い感謝の気持ちです。

そして、ブロンズ像を手にし、その責任の重みもずっしりと感じました。まだ若輩者でありますので、本賞に負けないように、これからも努力し続けていきます。

農業にはいろんな仕事がありますが、そのなかから、利用者さん、ひとりひとりが自分にできる作業を担当し、力を合わせることで、農業はやっと成り立ちます。機械を扱う仕事は、花形みたいに見えますが、ブロッコリーの枝をひとつずつ落とす地道な仕事も、農業には重要です。そんな作業をコツコツと積み上げてこそ、ブロッコリーをひとつ200円で売ることができます。

それがわかると、利用者さんも、自分の仕事に誇りとやりがいを持ち、さらに次の仕事を、と頑張っていけます。やっぱりみんなで一緒にやることが一番大切ですね。

こうしたことを、10年前に熊田塾長から教えていただきましたが、自ら実践し、体験して、初めてその真意を理解できました。塾長という立場になり、今度は、私が、いろんな体験を通して、上手く塾生たちに伝えていきたいと考えています。

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