地元に根付いたふたりの活動を、福祉のモデルとして全国へ。
山内理事長は、主催者挨拶で、「特殊学級の教師だった久保田静子さんは、障害者である教え子たちの将来を案じ、昭和44年に、私財を投じて、わかば学園を設立しました。以来、56年間、時に優しく、時に厳しく、母親のような愛情を注ぎ、多くの利用者さんたちの社会的な自立を支え続けています。奇しくも、小倉昌男、初代理事長は、久保田さんと同い年。きっと、同級生の受賞を喜んでいることでしょう。
こぶち ひさのりさんは、農福連携の第一人者です。福祉も農業もゼロから学び、機械化や、利用者の特性に応じた作業分担などで工夫を続け、生産量を飛躍的に増大させ、高工賃を実現しました。そのノウハウを、本財団が開講する農福経営実践塾で、多くの塾生たちに伝えてくれています」と、紹介しました。
選考委員の日本社会事業大学、学長室、社会福祉研修センター、かもはら,もとみち客員教授は、おふたりが地域と一体となって事業を進めて来た点も高く評価しています。「久保田さんは、長年障害のあるかたに寄り添いながら、仕事や、グループホームを作り、生涯にわたる支援を実践されてきました。その姿は、地域のかたたちを動かすきっかけとなっています。こぶちさんは、地元農家と力を合わせ、農福連携という新たな分野を成功させました。また、障害のあるかた、ひとりひとりの特性を理解し、作業とマッチングさせて、高い給料を支給しています。そんなおふたりは、全国の福祉施設にとって最高のモデルと言えるでしょう」と、選考理由を伝えました。
どんなにつらい状況でも、教え子のため前向きに。
「久保田さんが本賞を受賞でき、やっと、広く、世間が、彼女を評価してくれた、と胸がスッとする思いです」と話すのは、久保田さんの推薦者、エヌピーオー、夢のたね、ゆめさき舎の松本雅也理事長。
「1960年代、久保田さんは、兵庫県で初となる共同作業所を開設します。当時は助成金など何も整っていません。だから、資金繰りに悩み、役場に相談にいっても、別に私たちが頼んだわけじゃない、と冷たくあしらわれることも。それでも挫けることなく、休日どころか、給料すらなくても、教え子のために、ひたすら働き続けてきた久保田さん。そんな彼女の姿に、周りも感動し、一緒になって事業を支えてくれるようになりました。今や、加古川市で彼女の功績は広く知られ、バザーを開くと、一万人くらいが来場するんですよ」と、嬉しそうに話します。
利用者さんを信じているから、迷うことなく挑戦できる。
こぶちさんの推薦者は、千葉大学、園芸学部、食料資源経済学科の吉田ゆきさと教授です。
「以前、ゼミ生を連れて彼の施設を訪れたとき、機械が多いことに驚きました。どれもネットオークションで安く購入した中古品ですよ、と笑っていましたが、福祉施設で、これだけ農業の機械化を進めたところは見たことがありません。彼は、良いと判断したら迷わないし、仕事を増やすことも躊躇しない。それは、何より利用者さんの力を信じているからです。そんな彼を見つけると、利用者さんは、こぶちさん、と呼びかけてくる。それだけ、彼のことが大好きなんですね。後日、ゼミ生たちが感銘を受けて書いたレポートには、福祉施設で珍しい認定農業者。農福連携で農家の後継者問題を解決。子ども食堂など、企業と連携し社会貢献、と、三者三様のテーマになっていました。つまり、彼の活動は、従来の福祉の枠に収まらず、広がり続けている。しっかり環境を整えれば、福祉施設は、農業でこれだけ成功できることを、彼が証明してくれたのです」と、解説しました。
受賞の喜びを、次のステップに。
続いて、山内理事長が、おふたりに、正賞のあめのみや あつし氏作のブロンズ像、愛、と、賞状、副賞賞金100万円の目録を、受賞者を支え続けるかたたちには花束を贈呈。来賓代表の厚生労働省、社会 援護局、障害保健福祉部、野村さとし部長からは、「私たちも障害のあるかたの生きづらさをなくし、長く働き続けられる、そんな地域共生社会の実現に努めます」との祝辞が届きました。
そして、フィナーレである、両受賞者の挨拶へ。「100歳を迎えましたが、これからも障害のある人たちが、みんなと同じように幸せになるよう、努力したいと思います」と、久保田さん。こぶちさんは、「たくさんの人との出会いに恵まれ、ここに立つことができました。これからも、利用者さんのために挑戦を続けます」と、感謝の気持ちを伝えました。
祝賀会では、乾杯の音頭を、ヤマト運輸株式会社、阿波誠一代表取締役社長が、なかじめの挨拶は、ヤマトグループ企業労働組合連合会の森下明利会長に務めていただくことに。さらに、受賞者の関係者から、温かいお祝いのメッセージも贈られ、晴れの日に花を添えてくれました。