退職から1年じゃくで待望の出店。
羽が生えているかのように、棚に並べた、温かいお弁当が、端から消えていきます。電停、市役所前を降りてすぐ、キッチンみらいずのランチタイムはいつも盛況です。
並びの市役所のほか、裁判所や、教育センター、県立図書館などがひしめく官庁街に店を構えたのは、2015年のこと。現在は、お弁当の製造販売に軸足を移しましたが、理事長の山下俊介さんが、2人の利用者と、量り売りの総菜店をオープンさせたのが始まりです。
「11年間、特別支援教育をしてきたのですが、就職でつまずく卒業生を多く見てきました。教員をしながら、福祉事業所を紹介してきたんですけど、なかなかつながらない。じゃあ、もう、自分で立ち上げるか、と」。
先生のいるところだったら行きます、と言う教え子の言葉に決断し、山下さんは退職。就労支援を目的とするエヌピーオー法人の立ち上げと、職場づくりに奔走します。飲食業にすると決めたのはふたりのうちのひとりが、「もしやるなら、飲食の仕事をしたい、と言ったので、飲食に絞ってみました」(笑い)。
経営は、市主催の創業支援セミナーなどに学び、飲食業については、山下さんが学生時代にアルバイトでお世話になった飲食店オーナーに相談してまわりました。
初日の売上こそ1万円に届きませんでしたが、周辺の競合店とかぶらないように、と選んだ量り売りスタイルは、ヘルシーさと、選べる楽しさが喜ばれ、売上も次第に安定。調理に励む利用者も20名近くにまで増えました。
ピンチで露呈した生産力の限界。
キッチンみらいずは、2021年の夏、当財団の助成を活用して、店舗の全面改装に踏み切りました。開店から4年を数えるころから鮮明となりつつあった、とある問題の解決のためです。
「ビュッフェ形式は、お客様の滞在時間が思ったより長く、お客様が外まで並び始めたんです。あきらめて帰られる姿もあって、取りこぼしも勿体ないし、お弁当という形も考えなくちゃいけないかな、と」。
チラシで知った楠元塾に飛び込み、弁当事業のノウハウを学び始めました。そんなおりです。鹿児島にもコロナ患者が現れたのは。
量り売りはすぐさま中止し、急遽、弁当販売に本腰を入れてシフト。すると調理場の狭さ、動線の悪さなど、従来の店舗設計がネックとなり、製造個数の限界が見えてきたのです。
作業効率やエイチエーシーシーピーの考えを採り入れて、衛生環境、管理の視点を改装では徹底し、レイアウトから変更。出入口も、お客様用と、スタッフ用とを分けて、お客様とスタッフの動線を別にしました。また、桜島噴煙の降灰対策に軒先テントを設置。コロナ対策のひとつとして、店舗外に向けてショーケースを設け、入店しなくても購入できるようにしました。厨房は、調理台をステンレス製に一新し、包丁まな板殺菌庫や、食洗機、自動水栓を導入しました。
結果として、お客様の認知度もぐっと上がり、利用者のモチベーションも向上したそう。市役所での出張販売のほか、注文配達にも力を入れています。
会議、会合向けの特別なお弁当や、オードブルは、利益率も、日替わり弁当より高く、給料の平均月額(定員)も改装前年と比べ、2025年度は1万円近くアップし、約3万3,000円となる見通しです。
当たり前の生活を支えたい。
売上を、「上げようと思えば、伸びしろはまだあると思います」と語る山下さんですが、一方で、利用者のやりがいと、充実感とのバランスの取り方が難しいとも考えています。
「見学に来られたかたはびっくりするんです。職員の指示なしで、利用者さんが勝手に考えて、勝手に作業するので(笑い)。開店当初はイメージもしていなかったので、その自主性はうれしい誤算でした。日替わり弁当や総菜の献立も、利用者さんが考えています。職員はちょっと助言する程度です」。その代わり、原価率より、作りたいメニューが優勢になりがちなのは玉にきず。調理は作業毎の分業制ではなく、仕込み、調理、盛りつけまで、担当者が一貫しておこなうスタイルです。効率よりも、「一人で自宅でも作れるようになってほしい」と考えたからです。
飲食がいい、と言った利用者のかたはその後、職員として採用しました。採用基準の課題を2年近くかけて、すべてクリアしたそうです。
「彼は、利用者の憧れのマトになりました。すると、自分もああなりたい、って真似をする人も出てくる。利用者同士の刺激は大きいです。障害の等級はあまり関係がない。無理だと思われていた人が、めちゃめちゃ仕事していたりとかありますので」と目を細めます。「利用者さんが、地域の中で、生きててよかった。充実している、と思える生活を送ってほしい」というのが山下さんの願い。
利用者の給料アップと働きがい。このふたつを満たす解を模索するキッチンみらいず。彼らが一筆ずつ描いていく将来像に期待です。