地域に根ざして、困り事に向きあう。
のどかな海にかかる大橋を渡ると、ほっとする風情に包まれます。宇和島港の沖合に浮かぶ、くしまは、人口、約700人ほどの小島。四国本土と、10年前に橋でつながりました。
島の思い出ピアノという一風変わった名前の食堂が、島の一角にはあります。橋がかかったがゆえに、学校や診療所は島外のものと統合され、閉鎖されました。その廃校となった小学校の音楽室をそのまま生かし、地域の人々の食と交流を支える、ユニバーサル レストランとして5年前に開店しました。
「私たちが取り組んでいる、地域共生社会づくり事業のひとつです」と語るのは、アイホープの統括部長、清水洋平さん。
彼らが新たに挑んだのが、隣の家庭科室を利用した干物の製造販売事業です。製造に欠かせない食品乾燥機や、真空包装機、冷凍庫などの整備費の一部に、当財団の助成金が活用されました。
アイホープのルーツは、病院を有する姉妹法人が、退院患者の就労先づくりを40年ほど前に始めたことに遡ります。現在は、市内各所で、農園事業や、清掃洗濯、売店業務などを通じて、障害者の就労をサポートするのみならず、高齢者支援など、地域の幅広い課題の解決にも取り組んでいます。「農園事業も大きくなって、米は10トンをつくる規模になったのですが、規模が拡大したからといって、働ける利用者さんが同じように増えるわけではありません。なにか、これまでとは違う職域、事業モデルも立ち上げたほうがよいのではないか、という話が持ち上がりました」。
いろいろな案が検討されましたが、廃校の家庭科室を生かす方策が模索されました。
島の高齢者に向けた配食見守り弁当事業のキッチンとして、すでに家庭科室を利用していたからです。そして、くしまの目の前は宇和島の海。リアス式海岸の先に広がる好漁場で、タイの養殖は日本一の出荷量です。
農福のつぎに目指すは、すい福連携。
「じゃあ、魚をやろう、と。活きのいい鮮魚が中心のこの辺りで、加工をやっている人は少ないんですが、あえて干物を選びました。日持ちがしますし、専用のトラックを仕立てなくても物流に乗せやすい。販路を島外へ広げやすい、と考えました」。
干物の製造事業は、2024年、ついに本格的なスタートを切りました。宇和島やくしまのことを知ってもらえればと、くしまひもの工房と、土地の名をブランドに冠しました。現在は加工専属の利用者が1名、レストランとの兼務で1名の利用者さんが働いています。
加工場を覗くと利用者さんが、それは立派なマダイをさばいていました。長さ、重さの違う包丁を巧みに使い分け、器用に調理していきます。時に冗談も飛び交い、技術指導の支援員さんとも和気あいあいです。「彼は魚を触った経験がないということでしたが、料理が好きだというので、新卒採用となりました」と清水さん。
レストラン兼務の利用者さんは、洗濯事業からの異動。今では接客にも慣れて、細やかな心遣いも見せる頼もしさ。「彼女は芸術のセンスも高くて、メニュー黒板や、レストランの公式ティー シャツのデザインも手がけています」。
加工部門の売上は、昨年度に、約140万円を達成。干物を始める以前は、8.9万円ほどだった平均月額給料も、約12.5万円にアップしました。
星明かりを辿るように、ひとつひとつ。
とはいえ当初、水産業は、誰もまったくの未経験。すべてが暗中模索だったそうです。「仕入れ先は宇和島の漁業関係者に教えてもらいました。市内の業務用鮮魚店です。事情を話すと、『障害のあるかたの就労につながるなら協力するよ』と。本来なら遠くて難しいところ、くしままで届けてくれます」。
また、助成がなければ機器を整備できず、そもそも事業を立ち上げられなかったかも、と清水さん。商品の衛生面から天日干しは採用できない、と考えたからです。自分たちの規模に合う機種を、厨房機器業者などに教わり、障害者でも使いやすいものを選びました。
乾燥機は、魚をセットし、量や魚種に合ったボタンの一押しで、翌日には設定通り仕上がります。番号を振ったマニュアルも作って、誰でも迷わず作業できるよう工夫しました。「最初は、魚の種類によって、塩味がばらついたりもしましたが、1年通して魚を仕入れて、魚種ごと、季節ごとの味付けのコントロールができるようになりました」。
この7月には、イー シー サイトもオープン。よそのお店が利用しているのを見て、ヤマト運輸の、らくうるカートのサービスに辿りついたそう。工房を訪れ、設定のサポートをした、愛媛法人、営業支店の光成さんも、「福祉財団の助成を活用して始められた、と聞いてうれしくなりました」。
まずはネット販売を活用して、販路の拡大をしていくのが目標、と清水さん。ですが、いずれは市中心部にも、水産加工品や、育てた農産品の販売拠点を設けたいと、早くも、先のビジョンを描き始めています。