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瀬戸理事長の受賞者訪問02.

第10回ヤマト福祉財団小倉昌男賞受賞者、中崎ひとみさん。社会福祉法人 共生シンフォニー 常務理事。

人の力は大小いろいろ。互いに支え合う、石垣のように強い組織を。

ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、受賞後も、目覚ましい活躍を続ける受賞者から、福祉施設支援の新たなヒントを。厳しい残暑が続く8月27日、瀬戸理事長は滋賀県大津市へ。訪問したのは、琵琶湖の近くで、クッキーの製造販売をおこなう中崎ひとみさんの施設です。

社会福祉法人共生シンフォニー、がんばカンパニー。滋賀県大津市大将軍2-31-5.

事業内容、焼き菓子製造業。就労継続支援 A 型、48名。http://gambatta.net.

中崎ひとみさんは、2009年度第10回、ヤマト福祉財団、小倉昌男賞、受賞者です。当時、福祉施設がクッキーづくりで年商1億円超、とメディアも取り上げ、全国の福祉関係者がそのノウハウを学びたいと訪れました。そんな中崎さんも最初は、菓子づくりの素人。重い障害の子どもを抱え、奮闘する、シングルマザーのひとりでした。障害者団体の事務職、高齢者介護のヘルパー、無認可作業所のボランティア、職員などの経験を経て、2000年に立ち上げたのが、がんばカンパニーです。

現在、事業所で働く利用者さんは48名。クッキー製造の様子を見学したあと、瀬戸理事長は、中崎さんの、山あり、谷ありの道のり、どん底に落ちてから這い上がった原動力はなにか、また今後の展望も伺いました。

地道な活動を積み重ね、地域のかたに障害者施設の存在を認めてもらう。

瀬戸理事長(以下、理事長):なかなか活気に満ちた職場でした。売り上げ2億円を超えていたときもあったそうですね。

中崎ひとみさん(以下、中崎):今は、1億3000万円くらいです。6年前、1億円ちょっとに落ちましたが、持ち直しています。

理事長:それでも凄い売り上げです。1986年に、無認可の作業所にボランティアで参加されていたと聞きましたが、そのときからクッキーを作っていたのですか。

中崎:当時はまだです。お菓子やコーヒー、お茶を仕入れて販売していました。そのときに働いていた知的障害のあるかたが、毎日、「今日も1日頑張った」と日記に書いていたのを見て、今日も一日がんばった本舗という事業所名にしたのです。当時は、そんな名前は珍しかったので、ちょっと面白いかなと。

理事長:商いでノーマライゼーション というキャッチフレーズはそのときから。

中崎:そうですね。しかし、障害者が働くことはもちろん、障害者施設が、地域の一員として認められるまでは時間がかかりました。

理事長:地域のかたの理解を得るために、福祉施設はみんな苦労されていますね。

中崎:地域の行事にボランティアとして参加し、民生委員のかたのお手伝いなども、積極的におこないました。障害を抱えていても、地域に公表していないかたもいらっしゃるので、そういうかたの子どもの相談にも乗りました。また、「生活保護を受けているかたで、仕事が続かない人がいる、雇ってくれないか」との相談も。こうした地道な活動を続け、地域の信頼を少しずつ得ていくことができたのです。

理事長:それから売り上げが伸びていった。

中崎:いえ。まだ、まったく売れません。やっぱり商売を知らないようでは、ダメですね。

理事長:商品開発や販売戦略ということ。

中崎:それ以前の問題です。とにかく、商売とはなにかを勉強し、きちんと取り引きしていただける体制を整えていきました。その成果が少しずつ実りはじめ、信用が上がり、利益率も向上。職員も雇えるし、みんなの動きも気持ちもよくなり、どんどん調子に乗ってきて、売り上げは、1000万円から、3800万円くらいにグッと伸びました。そこで、より上を目指そうと、最初のクッキー工房を建て、クッキー製造を開始。利用者さん、ひとりひとりと雇用契約も結びました。でも突然、状況が一変したのです。

給料遅配で苦しんだとき、身にしみた、利用者さんのやさしさ。

理事長:なにがあったのですか。

中崎:バブル崩壊と、先を見越して計画的な経営をしてこなかったツケがまわってきました。たくさん給料をもらえると、みんながうちに はいりたがり、それを拒めず、人件費が膨れ上がったのです。誰もがクッキーを作ったり、売ったりできるわけではなく、なにもできない人もいる。それでも、給料を払わないといけないので、人件費で資金ショートがはじまりました。

理事長:まだ自立支援法ができていないころに、雇用契約を結んでいたのですか。

中崎:そうです。

理事長:それじゃあ、人件費倒れする可能性はありますね。

中崎:給料が遅配しはじめ、職員のほとんどが、アルバイトで生活を支えることに。利用者さんは、障害者年金が はいるので、私たちよりもお金のある人もいますから、健常者でも、子どもさんなど、抱えている人を先に支払うようにもしました。「今月はいくらあればいける」、「5万円あったら10日は大丈夫」、「じゃあ5万円ずつ」とか、障害のあるなしに関わらず、みんなと話をしてやり繰りをしていました。

理事長:人の家計簿までひっくり返して、みんなで乗り切って、今がある、と。

中崎:だから、家計も、家庭環境も、みんな丸見えです。利用者さんのかたから、「僕らより、あの職員さんのほうが大変だから先にあげて」と言ってくれたこともありました。中には、「自分のジュースを買ってきたから、中崎さんにも」と、こちらが傷つかないように、気を配って渡してくれる利用者さんも。みんな、親戚みたいな感じで、支え合って生きてきた感じです。

それぞれに適した仕事の創出と、頑張りに応じた給料の支給へ。

理事長:そんなどん底から、よくもう一度、這い上がってこられましたね。なにか考えかたの変化や、仕組みづくりなどをおこなったのですか。

中崎:大きくは、みっつです。当時は、障害者の権利などを訴えながら、販売をしていました。あれこれ文句を言ったあとで、クッキーを買ってくださいと頼んでも、だれも買ってはくれませんよね。今日も一日がんばった本舗を分割して、クッキーを製造販売する がんばカンパニーと、障害者の運動をおこなう まちかどプロジェクトのグループに分けました。これで取り引き先と話をする際に矛盾がなくなり、商売がかなり楽になりました。1999年のことです。

ふたつ目は、先ほどもお話した人件費です。クッキー作りや販売をできない人でも、やれることはある、その人に適した得意な仕事に就けるように、カフェ、農業、給食、宅配弁当など、事業所を増やしていったのです。これで、それぞれの事業所で、売り上げと、その人の頑張りに合った給料を、支払えるようになりました。

機械化やパティシエの雇用など、菓子製造販売で成功する先駆けに。

理事長:もうひとつは。

中崎:人のつながりです。以前から、いろいろな企業との交流の場に顔を出しては、なにか仕事をと訴え続けてきました。それを食品業界以外の社長さんが思い出してくれて、そのかたの友人から OEM の声がかかりました。

理事長:人とのつながりを活かせることは、できる経営者の条件だと思います。 OEM は、負担が少なくて売り上げも安定できてよいのですが、要望に応えるだけの技術と、生産力がなければならないし、納期も厳しいですね。

中崎:反対する職員もいましたが、一種類を大量に作るなら私たちにもできる、パティシエもいれて、みんなで挑戦してみようと踏み出しました。

理事長:仕事量はどれくらい。

中崎:最初は、週に約1トンが目標でしたが、評価が高く、受注が増えて約10トンに。さすがにこれは無理だと、下請け企業に回しました。でも、そこの品質がよくなかったこともあり、やっぱり自分たちでやろうと。製造ラインを工夫し、機械も導入し、体制を整えて、売り上げ1億円を超えるようにまでなりました。

理事長:専門家であるパティシエを雇い、技術や商品力を高め、機械化やライン化で生産性を上げる。中崎さんがやってきたことは、いまでは、食品製造で成功を収めるためのスタンダードになっていますね。今後の目標などはありますか。

中崎:演劇で社会に自分たちのことをアピールする場、知的や発達障害の子どもたちに勉強を教える場、高齢者のデイケアセンター、障害者だけでなく、高齢者や引きこもり、シングルマザーなども雇用し、支え合える場も作ってきました。でも、滋賀県には、重度心身障害者施設が足りないと気づいたのです。重度の子どもたちは、学校を卒業後、行き場がない。これをなんとかしたいと考えています。

理事長:また挑戦をはじめるわけですね。

中崎:重心はやったことがないので挑戦です。どんなに障害が重くても、高齢になっても、食べ物と住むところを支援できる体制を整えることができたら、あとは、若い人に託そうと思っています。ただ、これは、自分ひとりではなく、みんなに助けてもらってできること。「自分が自分が」だと、組織は決壊してしまいます。例えば、大きな石の隙間を、小さい石が巧みに組み合わさっている野面積み(脚注)のような集団です。

理事長:城の石垣は、大きい石や、小さい石を巧みに組み合わせて、より強くなる。

中崎:はい。1枚のコンクリートよりも強さを増す。人の力は大小いろいろでも、みんな、必要な存在ですね。

理事長:あとは活躍の場をうまく作ってあげることです。次の挑戦も頑張ってください。

中崎:はい、ありがとうございます。

脚注:野面積み(のづらづみ):石の形を加工せず、自然の石をそのまま積み上げ石垣を築く方法。

どうすれば、ひとりでも多くの利用者さんがクッキーづくりに携わり、高品質で効率的な製造をおこなえるか。クッキーづくりの内容を見直し、型を抜く人、粉をふる人など、各人ができる、得意な仕事を、工程分けで創り出しました。

がんばカンパニーでは、オリジナルクッキーと、 OEM 商品の2本柱で、売り上げ1億円以上に。

「障害のあるかたが働くことに偏見を持つ人や、福祉施設もあるけど、働くことは、生き甲斐になる大切なことです」と瀬戸理事長。

「クッキーは、お母さんとして、子どものおやつに焼いていた程度。ほとんど独学でした」と中崎さん。

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