大学は固定観念を打ち砕いてくれる場所。フィールドワークで触れる、本物の魅力に夢中
市井の人々のリアルに触れる
「自分の中で当たり前と思っていたものが、思いっきり崩される。それが本当に面白いな、と」。去年、参加した秋田でのフィールドワークを振り返り、そう熱っぽく語ってくれたのは、ナラバ ハルキさん。実家を離れ、筑波大学で民俗学を学んでいます。
実習で選んだテーマは、柿漬けと呼ばれる漬け物。地域の特産品として、商品化されていく過程を、関わった人たちにインタビューして追いかけました。郷土食のレシピひとつとっても、姑から嫁へと単線的に受け継がれるのではなく、職場などを通じた、複雑な情報のやりとりを経て形になっていくさまは、予想を裏切る展開で、「実際に話を聞いてみないと分からない」と驚かされたそうです。
ナラバさんは眼を患い、現在は中心視野が8度ほど。本を読むにしても、はっきり捉えることができるのは、「だいたい10円玉か、大きくて500円玉くらい」。文字を読むのにも、時間を要します。近隣は電灯が少ないところも多く、「夜盲がある自分は、夜の移動に不安を覚えることもあります」。買い物には、一緒に付いてきてくれる友人や先輩もいます。料理のコツや、生活の知恵などを互いに交換して、不便ながらも、楽しく、自炊生活を満喫しています。
民俗学という名の招待状
ナラバさんが民俗学に関心を持ったのは、中学高校での部活でした。しょぞくする歴史研究部の引退が迫った、高校2年のとき、部活動で、初めて、県大会に参加して、発表しようということになりました。選んだのは、戦時中の航空兵器工場と、そこに従事していた、台湾少年工の歴史です。
発表のための調査では、当時を知る人たちに直接、インタビューもおこないました。その時、「感情を込めて経験を語る姿を見て、さまざまな人たちの生活のありようを捉えていきたい。大学では、本物に触れる学問がしたい」と感じたそうです。
それと重なるように当時、出会ったのが、ユニバーサル ミュージアムという考え方でした。自身も目に障害を持つ、国立民族学博物館の 広瀬 コウジロウ氏が普及に努めているもので、触覚を、博物館展示に、積極的に生かそうという試みでした。
「それまでは自分を含めて、視覚障害者は、支援を受けるだけの側だと思っていたんですが、むしろ、視覚障害者がふだん用いている触覚を使って、社会に向けて発信することができるという構図が、僕にとっては衝撃的でした」。
誰かのために、それは誰もが
教育学の発展に寄与することを柱にしてきた筑波大学では、障害学生のサポートについても、取り組みが進んでいます。ピア チューター制度もそのひとつ。大学の養成講座を受講した学生が有償ボランティアとなり、学習支援をおこなう仕組みです。
ナラバさんは、「見やすいフォントや、大きさに調整できるよう、紙媒体の論文をテキスト データにしてもらっています」。 その一方で、ナラバさん自身も、聴覚障害学生のピア チューター活動に参加。「授業に同席し、先生の話されていることを要約して、パソコンの画面に打ち出す、といったことをしています」。今年からは、視覚障害学生支援チームのリーダーも担当し、支援環境を充実させるためのマネジメントにも関わっています。
「僕の場合、視覚障害に対する支援を、大学に はいって、ほぼ初めて受けました。そこで一番、感じたことは、ユニバーサルな環境を作っていくには、自分たちが頑張って、働きかけをしなくてはならない部分がある、ということ」と、率先して活動する理由を明かしてくれました。
新たな自分を見出して
勉強も大忙し、ピア チューターも大忙しのナラバさん。大学に進学してからの変貌ぶりには、ご家族も驚かれているそう。プライベートでは、ケルト音楽サークルと、ゴールボールという、障害者スポーツにも積極的に参加。
「そんなにアクティブになるとは思っていなかった」と、お母様に言われたとか。ナラバさん曰く、「母が一番びっくりしたのは、僕が白杖を持ち始めたこと」。高校までは、周囲の人たちと違うのは嫌だと感じ、白杖を手にすることはありませんでした。それが大学に はいり、先輩たちが巧みに使っている姿を見て、考え方が変わったそうです。
「なんとなく、かっこいいなと思えたんですね。進学という節目で、新しい自分を作っていくのには、ちょうどいい機会かなと。自分の障害に対する理解が、急激に進んだんですね」。
目下の目標は、ゴールボールの日本選手権大会への出場です。誘ってくれた先輩や、仲間たちへの感謝の気持ちを、結果で表したいと語ります。そして、卒論にもいよいよ取り組む時期。「論文を読んだり、フィールドワークを重ねて、知識や経験を積み、自分をもっと鍛えていきたいですね」。
博物館の学芸員資格と、教員免許の取得カリキュラムもこなしているナラバさん。まだ、具体的な進路を定めてはいませんが、「何かしら人に貢献できる、自分が得たことを発信できる職業に就きたい」。青写真はもう描けています。