ヤマト福祉財団 小倉昌男賞の贈呈

第8回 受賞された方々


ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

山田 昭義さん 社会福祉法人AJU自立の家 常務理事

山田 昭義さん

【略歴】
1942年 愛知県生まれ。中央大学法学部卒業。脊椎損傷による四肢まひ。
1968年 「愛知県重度障害者の生活をよくする会」を立ち上げ、初代会長に就任。以来、福祉のまちづくりに取り組み始める。
1979年 AJU車いすセンター設立、同代表。
1984年 わだち作業所開設、同所長。
1991年 社会福祉法人AJU自立の家設立。現在同法人常務理事、全国自立生活センター協議会代表。
1997年 DPI日本会議議長。
2001年 朝日新聞厚生文化事業団理事。AJUとは「愛の実行運動」の略。

【推薦者】 児島 美都子さん(東京福祉大学大学院社会福祉学研究科 教授)

【推薦理由】
 障害当事者として、重度障害者の仕事の場、雇用の場を創造的に創出するとともに労働条件(移動、給与、働く環境)の改善を進め、多くの障害者に働く喜びと生きがいをもたらした人物として高く評価し推薦します。評価点は以下の通りです。

  1. 昭和48年、愛知県重度障害者の生活をよくする会を創設し、段差をスロープに、階段をエレベータに変え、車椅子トイレを増やし、ノンステップバスを走らせるなど、就労のための環境の整備を推進した。
  2. 昭和59年、重度障害者の働く場として「わだちコンピュータハウス」を開設、福祉機器や情報機器を活用し、多様な障害者に働く場を提供するとともに、健常者、地域のヴォランティアの協力を得ながら、障害者が自分の能力を最大限発揮し、社会に通用する仕事ができる職業人として成長できる場とした。
    また、年金と工賃で自立生活ができるよう給与水準を改善し、平成8年度から月平均10万円の工賃を達成した。
  3. 平成2年、社会福祉法人AJU自立の家を設立し、授産施設、福祉ホーム(自立生活の方法を学ぶ場)、デイセンターの3事業を開始した。これらの事業では多くの障害者が健常者とともに就労している点に特徴がある。
  4. 中部国際空港のユニバーサルデザインおよび愛・地球博(愛知万博)のバリアフリーなど2大国家プロジェクトで障害者の視点を活かしたコンサルタントの役割を果たし、両事業の成功に寄与するとともに関係者に「障害者は無能力者ではなく能力者である」との認識を広くアピールした。
  5. 知的障害者の働く場として、70年の歴史を持つ修道院ワインを引き継ぎ、ぶどう栽培とワイン販売というユニークな事業を展開、月5万円の工賃を達成した。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

西澤 心さん 社会福祉法人まいづる福祉会 ワークショップほのぼの屋
施設長

西澤 心さん

【略歴】
1962年 兵庫県生まれ。明治大学文学部卒。精神保健福祉士。
1987年 「まいづる共同作業所」勤務。
1994年 きょうされん京都支部 事務局次長。
1998年 「第2まいづる共同作業所」設立、同施設長。
2000年 障害者福祉連続フォーラム2000 in 舞鶴主催。
2001年 社会福祉法人 まいづる福祉会理事。
2002年 精神障害者授産施設「ワークショップほのぼの屋」開設、同施設長、「CAF? RESTAURANT ほのぼの屋」開店、同支配人。
2006年 「ミニホテル おーべるじゅどぼの」開業。

【推薦者】 田尾 直樹さん(京都府社会福祉協議会 事務局次長)

【推薦理由】
 西澤心氏は、1987年現在のまいづる作業所、ワークショップほのぼの屋の前身である、まいづる共同作業所(小規模作業所)の指導員として就職されました。それ以来、持ち前の創造性やアイデアを存分に発揮され、利用者の自立や地域での安心した生活の確保にむけ作業所内外で精力的に取り組んで来られました。
 小規模作業所時代から、「障がいのある人たちの生活は所得の確保なしにはあり得ない。」と竹ボーキ、ウエス作業、木工製品作り等のユニークなオリジナル製品作りに工夫をされてきました。その傍ら法人格取得のための資金作りやきょうされん京都支部の役員なども担当し、地域住民や障害者団体との協力・協同の活動にもそのバイタリティを発揮してこられました。1998年4月に二つ目の施設としてスタートした「第2まいづる作業所」は、府下でも珍しい古本屋を授産事業としてとりいれ、府下初の店舗型作業所の開所、西澤氏は古本屋の店長=施設長でした。
 まいづる福祉会は本年創設30周年の節目を迎えられます。まいづる福祉会の歩みは、京都北部から、まさに燎原の火の広がりの如く南部に広がってきた京都の作業所づくりの運動の中軸の役割を担ってきた歩みだったと思います。きょうされん京都支部にながきにわたり会長を送り出されてこられたこと、そして日本でもいち早く精神障害のある方々の復権と社会参加に手がけられた実践は、筆舌に尽くしがたい輝かしい歴史だと思っております。その歴史の土台の上にさらに新しい障がい者の自立支援の砦を築いてこられたお一人が西澤氏でしょう。
 2002年「ワークショップほのぼの屋」=CAF? RESTAURANT ほのぼの屋= のオープンは驚愕でした。それは、本格的なフレンチレストランを障がいのある人たちの職場として提供する意外性とそれ以降の事業内容への驚きでした。年間1万人以上の来客、売上5,000万円以上/年、80組のブライダル、そして利用者に10万円の給料をコンスタント支給していること等です。何よりもこの事業を通じて利用者が自らを取り戻している事実に感動します。「初めて自分を認めてくれる職場と出会った」と振り返る利用者。西澤氏は、言います。「給料が上がれば利用者の生きる意欲と生活の質が確実に変わる」と。
 障害者自立支援法で利用料が生じた分給料で補おうと、まいづる福祉会ではさらに新しい取り組みを始められています。直接農家買い付けの「米屋」の開店、レストランほのぼの屋の隣に小規模ディナー付き宿泊施設(小規模ホテル)をオープンされました。
 これらのめざましい活躍ぶりについては、本会の広報紙「京都の福祉」07年4月号においても取り上げて、西澤氏にご登場願ったところです。
 利用者の自立を支える中心要素である所得の確保に法人関係者の知恵と創意を出し合って新しい挑戦を続けるまいづる福祉会、その活動は京都だけではなく全国の関係者の範となる貴重な実践だと思います。そのけん引車として活躍する西澤心氏をヤマト福祉財団小倉昌男賞の受賞されるにふさわしい候補者として心から推薦いたします。


ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

丸山 一郎さん 埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉学科 教授

丸山 一郎さん

【略歴】
1942年 長野県生まれ。慶応義塾大学工学部管理工学科卒業・サンフランシスコ大学リハビリテーション管理コース終了
1964年 日本赤十字社語学奉仕団員
1966年 社会福祉法人太陽の家
1970年 東京都民生局 東京都心身障害者福祉センター リハビリテーションカウンセラー
1972年 (社)東京コロニー 福祉工場所長など
1980年1月 厚生省社会局身体障害者専門官
1980年〜1982年 内閣総理大臣官房 国際障害者年担当室兼務
1990年 (社福)全国社会福祉協議会 障害福祉部長
1992年〜2000年 「アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議(RNN)」事務局長
1996年 (財)日本障害者リハビリテーション協会国際部長
1999年 埼玉県立大学 保健医療福祉学部 教授。現在、日本障害者協議会 副代表、ワーカビリティ・アジア事務局長

【推薦者】 佐藤 進さん(埼玉県立大学 学長)

【推薦理由】
 本学保健医療福祉学部教授丸山一郎氏は、平成9年に開学準備室委員として埼玉県に招聘され、同大学社会福祉学科の創建のために奔走し、開学後は社会福祉学科長として草創期の大学運営に尽力された。本学は建学理念として「連携と統合」を謳い医療、福祉の関連諸科学が緊密に協力することでニーズをもつ人々の権利の擁護と豊かな生活を実現する方法論を確立することをめざし、そうした営為に参加する人材の育成を教育目標として掲げている。この教育思想は、丸山教授がライフワークとしてきた「障害者のリハビリテーション」の思想と実践を具現化するものであり、本学建学に関する氏の甚大な影響力なくしては産み出しえなかった理念である。
 氏が、リハビリテーションへの関心を深めた契機は、1964年東京オリンピックの開催時に初めて開かれたパラリンピックに通訳ボランティアとして参加したことに遡ると聞く。欧米からの参加者が障害はあっても堂々たるアスリートであったことに比し、我が国からの参加者は施設入所者がまさに借り集められるようにして参加したにすぎず、あまりの彼我の落差に愕然としたという。こうして、氏は在学中から障害のある人々の職場づくりを目指し「太陽の家」の創設に参加する。その後米国留学を果たしリハビリテーションと社会福祉の学びを開始することとなった。社会福祉の本格的学習の出発がアメリカであったことは、後年の氏の幅広い視野と斬新な発想による仕事ぶりの基礎となったと思われる。
 帰国後の氏は、リハビリテーションワーカーとしての道を歩み始めるが、わけても障害をもつ人々の就労支援こそが最も重要な課題の一つと認識するようになり、障害者の就労支援の現場で長く活躍することとなった。氏にとって、障害者のリハビリテーションとは障害をもつ人々が当然の権利として「働く」ことを通じて社会参加しつつ、人間として誇りをとり戻すことであった。そこには、障害の種類や程度という壁が存在してはならなかった。
 こうした実践的な仕事の傍ら、我が国の障害者諸施策の中でもっとも遅れていた就労あるいは雇用対策について積極的に理論的提言を行い、その実現のために盛んに活動された。あわせて、得意の英語力を活かして国際的な交流を重ねながら、学ぶべき諸外国の情報を常に提供しあるいはそれらに基づいた政策的な提言にも取り組まれた。
 こうしたスタンスは、その後、厚生省(現在の厚生労働省)に障害福祉専門官として招かれた後も変わることがなく、一貫して障害をもつ人々の立場に立ちながら現状改革のために奔走する姿はまさに「型破りな役人」であったといわれる。こうした氏の尽力によって実現した施策も少なくない。今日、障害者雇用の一定の前進を見ることができるのは氏の専門官として活躍に負うところも大きいといわれている。このように専門官としてさらに活躍の場を広げた氏は、一層旺盛な国際交流を推進し、特に途上国の援助に力を尽くすことを惜しまなかった。1981年の国際障害者年のその後の「障害者の10年」の取り組みの中に国際交流や途上国支援が明確に位置づいているのも氏の活躍に負うところが多い。1993年に開始された「アジア太平洋障害者の10年」は、事実上、氏の提唱によるものであった。また、JICAの障害者リハビリテーション研修コースのリーダーとして長きにわたって途上国の人材育成も参画貢献した。こうして得られたアジアをはじめ諸外国の氏の多くの知己とそのネットワークは、今や我が国の障害福祉分野にとって共有の財産といえるほどに貴重なものである。
 しかしながら、氏のこうした努力にもかかわらず依然として我が国の障害者雇用施策の後進性は改善されずに置かれている面が少なくない。氏は、こうした問題点を日本政府がILO勧告に違反しているとあえて提訴する道を選び、今夏、その書面を提出するに至った。この活動は、氏がその半生をかけて取り組んできた障害者のリハビリテーションとその核心の一つである雇用問題に関しての集大成ともいうべきものと思われる。

こうしたすさまじいまでの活躍の一方で、丸山一郎氏は本学教授として、今日に至るまで学生教育にも全く同様の情熱を傾けられ、その薫陶を受けた卒業生が埼玉県内外の障害福祉の実践の場で活躍しつつある。何よりも、氏にとっては後輩となる障害者福祉の働き手ならんとする学生たちへの深い愛情が、若者の成長を励ましているのである。
以上のような理由をもって、貴財団が丸山一郎氏に「特別賞」を授賞されますことを心より期待するものであります。