ヤマト福祉財団 小倉昌男賞の贈呈

第9回 受賞された方々


ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

新堂 薫さん 社会福祉法人 武蔵野千川福祉会 理事
多機能型事業所 チャレンジャー施設長

新堂 薫さん

【略歴】
1963年 東京都生まれ
2003年 武蔵野女子大学大学院 人間社会科学部福祉マネジメント専攻 修士課程修了
学生時代より千川作業所に後援会活動、社会教育活動を通じて関わりを持つ
1985年 千川作業所に指導員として就職
1987年 チャレンジャー設立とともに異動
1999年 チャレンジャー施設長就任、現在に至る

共同研究「知的障害者への作業の提供と職業指導に関する研究 〜知的障害者が働くことの意味と福祉の役割〜」(2008年)
きょうされん東京支部教育研修委員会副委員長
全国社会就労センター事業振興委員
武蔵野市障害者就労支援センター「あいる」運営協議委員
第5期東京都障害者施策推進協議会専門委員
社会福祉士

【推薦者】 邑上 守正さん(武蔵野市長)

【推薦理由】
社会福祉法人武蔵野千川福祉会は、1976年の設立以来、「経済活動と福祉活動の同時追求」、「存在感、満足感、達成感と工賃アップの追求」など障害者の就労に対して一貫した視点で地域の障害者への自立支援に大きな実績を残して来ました。
現在は、4つの就労事業所で100名を越す利用者に対して就労事業を展開しています。また、14名が入居するグループホーム、ケアホーム事業や2つのショートステイ施設を運営しています。
新堂 薫氏は、同法人に23年間勤続して障害者の就労に関して研究を深めるとともに、法人理事として、法人での活動に真摯に取り組んで来ました。現在、同法人の就労移行支援施設「チャレンジャー」でサービス管理責任者を務めるかたわら、武蔵野市障害者就労支援センター「あいる」の運営協議会委員として、市の障害者就労支援事業推進に力を注がれています。
振り返りますと1985年(昭和60年)大学卒業後、新堂氏の社会人としての第一歩は、労働条件を整えるだけの経済的後ろ盾もない、まちの小さな無認可作業所だった千川作業所からスタートしました。千川福祉会が、施設利用者、他の就労作業所、特別支援学校等から高い評価を得るだけではなく、全国からその実践を学ぶための視察が絶えない社会福祉法人に成長したのは、「障害のある人が『働くこと・暮らすこと』の実践というゆるぎなき理念を追求し続けた新堂氏あってこそのことです。新堂氏は「『仕事がなくなること』『利用者が休むこと』『利用者がやめて入所施設』にいくこと、これがこの仕事のなかでいちばん辛く、苦しいことだ」と言います。障害のある人をとりまく状況を少しでも良い方向に変えていく新堂氏の実践は、ご本人にとっては自然体で当たり前のことだったのです。本人の力に応じた機能別の就労事業所を武蔵野市内に分化して作り、「安定して安心できるなかで働く力を十二分に発揮することが、結果として高生産・高賃金に繋がることを信じつつ歩んでこられた新堂氏は、一般就労のみがクローズアップされがちな今日、「いわゆる福祉的就労も同じく大切で、もっともっと充実しなければならない」との意見を寄せられ、武蔵野市はその実践に基づくご意見を新しい障害福祉計画に反映して取り組む方針です。
このように、社会福祉法人武蔵野千川福祉会は設立当初から武蔵野市をフィールドに障害者福祉に取り組んでこられました。このたびのヤマト福祉財団小倉昌男賞を新堂薫氏が受賞されれば武蔵野市にとってもたいへん栄誉であります。
永年にわたって障害者の自立と社会参加の支援活動に尽力し、就労を支える暮らしの充実、そして地域における障害者福祉の増進に貢献された新堂薫氏を本賞に推薦する次第です。


ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

山下 ヤス子さん 社会福祉法人 まほろば福祉会 理事長

山下 ヤス子さん

【略歴】
1948年 福岡県田川市生まれ
1964年 筋ジストロフィー症と診断
1966年 宮崎県宮崎市へ移住
1984年 社団法人日本筋ジストロフィー協会 宮崎県支部長
1986年 身体障害者共同作業所「自立センター」設立 同代表
1987年 社団法人日本筋ジストロフィー協会 理事
1987年 社団法人日本筋ジストロフィー協会 九州地方本部長
1990年 社会福祉法人まほろば福祉会設立準備 同設立代表
1991年 社会福祉法人まほろば福祉会認可 常務理事
1991年 身体障害者通所授産施設 やじろべえ 施設長
1995年 身体障害者福祉ホーム ケアホーム BE FREE 施設長
1995年 身体障害者まほろばデイサービスセンター 所長
1997年 身体障害者療護施設 翼 施設長
1997年 宮崎県障害者施策推進協議会 委員
1998年 身体障害者地域在宅促進ホーム Be Fine 代表
2002年 宮崎市障害者施策推進協議会 委員
2005年 社会福祉法人まほろば福祉会 理事長

【推薦者】 福澤 利夫さん(社団法人 日本筋ジストロフィー協会 理事長)

【推薦理由】

はじめに
山下ヤス子さんと一瞬でも触れ合った人、出逢った人、みんなが感じるもの、それは、何の陰りもない、自信と勇気に満ち溢れた「笑顔」です。彼女の笑顔を見たくて人は集まってきます。そして「元気」と「生きる希望」をもらいます。
山下さん自らも筋ジスという難病を患いながら、どんな逆境にも耐える力と人を包み込む優しさ、仕事には決して妥協しない強い信念をもっています。その信念は、「施設で保護されても決して人間としての幸せは生まれない」「仕事を通じて成長し、賃金を得て自立することが大事」そして「地方の宮崎から障がい者福祉を変える」という考えのもと、還暦を迎えた今もなお、障がいのある仲間達の先頭に立ち、社会参加と自己実現を図る手立てを物心両面から昼夜を惜しまず取り組んでおられます。
宮崎の地で障がい者福祉の先駆的取り組みを行っている山下ヤス子さんの存在を、ぜひ多くの方に知って頂きたく、かつ、小倉昌男賞の受賞にふさわしい候補者として推薦させていただきます。
生きる証
福岡県生まれの60歳。
幼いとき、ちょっとした段でも転ぶようになり、おかしいと思った両親は、病院へ連れて行きました。しかし、原因が分からず、病院を転々としてようやく分かった病気が「筋ジストロフィー」でした。
筋ジスという病気は、筋力が低下し、腕や足が自分の意志で動かすことができず、当時は20歳前後が寿命という根本的治療が開発されてない病気です。
病気を知れば、誰であれ、絶望と不安で自分を見失うことが多いのですが、彼女の到達した心境は、
「短命ならそれでいい。自分らしく、生きよう。」で、
このことが、山下ヤス子さんの生きる源となっています。
「自分らしく、生きる」とは・・・以下の記述がその「証」ではないかと思います。
自分の障がいを熟知の上で結婚し、それを機に、無一文で福岡から宮崎に移り住み、印刷の写植・営業等の仕事をしながら生計を立て、子ども2人の育児、家事を両立させ20代の時を過ごしました。
働く場と夢と希望と。
そのことが本当の幸せであると確信しているからです。
仕事は印刷業。「命尽きるまでに働いて、そのお金で母にエプロンをプレゼントしたい。」
15歳の筋ジス患者の切なる相談を受け、「人の幸せは、働くことから得られるものだから、障がい者に何としても働く場を」と常々に考えていた山下ヤス子さんは、1日も早くその夢を実現させてあげたいと、これまでためてきたお金を資金に作業所をはじめました。
働くことは人の役にたち、社会から必要とされ、人としての存在意義を認められるということであり、指先の残る機能で印字に打ち込む仲間たちと共に印刷の仕事に没頭しました。
「工賃を受け取ったときのみんなの笑顔は、今でも忘れられません」と言われます。
また、当時は宮崎県内での筋ジストロフィー協会の活動は停滞していましたが、自ら九州地方本部長に就任し、仲間達とともに九州や全国各地を走り回り宮崎県支部の活性化を図りました。そして、年に1度は、筋ジスをはじめ重度の障がい者とともに海外を含む2〜3泊の旅行も実施するなど、障がい者に夢と希望を持たせ、そのことが生きる力を増進させ筋ジスの寿命を延ばすことにもつながっていると思われます。
そのような障がいのある仲間達とその家族をまき込んだひたむきで地道な活動をつづけ、それに感銘を受けた行政担当者、民間の人たちが協力し法人化を目指すことになりました。
平成3年5月、多くの方々の理解と協力で法人設立、同年7月通所授産施設(定員20名)を開設されました。
授産施設での取り組み
目標は「日本一高い工賃!」「一般企業に負けない品質管理!」
印刷の売り上げを上げるために、昼夜問わず、利用者職員一丸となって仕事に取り組みました。
印刷物の内容は、自費出版、書籍、カラー印刷など多種にわたり受注しました。その努力がみのり、平成4年には月額80,000円の工賃を支給できる位の売上を達成しました。また、高度な技術を習得した利用者2名が一般就職しました。
このことは、障がい当事者である本人が培ってきた経験と障がいがあるからこそ健常者以上に努力しないといけないという厳しさを併せもつ「本当の優しさ」から生まれた結果です。
一般就労
現在、山下ヤス子さんは社会福祉法人まほろば福祉会の理事長として、授産施設のほか多機能型の就労支援事業、居宅介護事業、相談支援事業、身体障害者療護施設などの経営にたずさわりながら、何よりも障がい者も一般就労に心を砕いておられるのですが、特に宮崎のような地方では大変厳しい状況にあります。そのような中、山下さんは全介助を要する重度障がい者を自らの法人の職員として雇用する(7名平均 114,000円)など常に地域で先頭に立った活動を続けておられます。
地域福祉
居住の場が不足しています。社会的入院をしている方や家族と生活していて一人暮らしをしたい、あるいは同居生活できる場があれば結婚したいなど障がい者の切なる声を実現してあげたいと思った山下さんは、障がい者の独身寮や全国で初めての世帯用地域在宅促進ホームを設置するなど多面的な取り組みもしておられます。