ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

佐治 リエ子さん

佐治 リエ子さん

  • 社会福祉法人 さっぽろひかり福祉会 統括管理者

【略歴】

1936年  岩手県気仙郡住田町生まれ
1957年  札幌女子教員養成所卒業
1957年より18年間 北海道内の公立小・中・高・養護学校に勤務
1982年  長男が統合失調症 発症
1985年  次男が統合失調症 発症
1990年  設立準備会立ち上げ
1991年  夫と死別
1992年  精神障害者小規模作業所 光共同作業所を設立 所長
2003年  社会福祉法人さっぽろひかり福祉会 ひかりパン工房施設長
2008年  社会福祉法人さっぽろひかり福祉会 統括管理者
     現在に至る

【推薦者】 横路 由美子さん
(NPO法人高齢社会をよくする女性の会 理事)

【推薦理由】
 佐治リエ子さんは、ご子息の精神疾患を機に6畳2間の作業所運営から出発し、現在、年間売上5,000万円のパンの製造販売事業に発展させ、多くの精神障がい者の所得保障と雇用の場の創出を実現している。20年間にわたる精神障がい者への自立支援活動は、いまだ根強い偏見社会に確実に風穴を開け、彼らが人としての尊厳をもち地域の中でごく当たり前に働き、暮らすために、佐治さんは、深い愛情と迫力に満ちた活動をしてこられた。
 1992年、札幌市北区に光共同作業所を設立しクッキー作りや請負作業を開始する。更なる発展をめざし、札幌市や札幌市精神障害者家族会連合会等に働きかけ、法人化に向け10年間精力的に活動された。
 エピソードの1つに全国の佐治姓の人たちに自らの実情を伝え協力を依頼した。発想の独創性と同時に家族の障がいの情報公開に立ち向かうことが偏見除去、社会の意識変革の核心であることをこの時すでに実践されていた。
 社会福祉法人さっぼろひかり福祉会は、2003年4月、精神の通所授産施設「ひかり授産施設」(現ひかり工房 就労継続B・移行事業)と「あさかげ生活支援センター」を開設したが、道のりは険しかった。2001年の住民説明会では同年起きた大阪の池田小学校事件が問題となり住民が反対声明文を読み上げる強い拒否に遭遇する。しかし、佐治さんの熱意により町内会長と町内会役員が住民を説得し、拍手で迎えられる結果となる。その後、地域密着型事業は、300名の後援会へと現在発展している。彼女は言う「地域に受け入れられることは社会に受け入れられる安心感。それは薬ではできない回復過程」と。
 ひかり工房は、地域との強い絆により、精神障がい者が安心して働ける場となっている。住民の口コミや販売協力、また地域との連携事業は、関係機関や市民に強い関心を持たれ、2003年度570万円だったパンの売上は、毎年1.5倍増を続け、2009年度は4500万円、2010年度も、月額平均売上440万円と年5000万円を悠に超えるペースである。33名の平均工賃は現在6万円であり、10万円を超える人もいる。北海道の工賃実績では、精神を主たる対象障害としている事業所では、A型・B型事業を含め一番の実績である。  「仕事に集中できれば、彼らの才能は開花する」と。その言葉通り不安定が特徴といわれる彼らだが、出勤率は、94%と際立って安定している。彼らは「安心して働ける、賃金が高くやりがいがある、仲間がいる、仕事に誇りがある」と言う。「顔を隠してはだめ。あなたたちは何も悪いことをしていない」と励まし続ける佐治さんの強い気持ちが徐々に伝わり、気持ちが前向きになり、本来の力を取り戻した彼らの成長は著しい。マスコミの取材、見学者等には、当事者が主体的に対応している。家族会も積極的に協力し、わが子の成長を楽しみにしている。佐治さんは、利用者に何か与えるのではなくて、協働の理念を持ち彼らとともに全員参加経営を目標としている。それは、誰もが役割を担い、自分が事業を動かしているという自信を持ってほしいからだ。「日々人材を育成することが実は、生産力、販売力、商品力に直結する」と佐治さんは話す。
 パン職人を雇用し独自の商品力につなげ商品はあくまでも市場原理の中で十分に自信のあるものになっている。「高い技術レベルで厳選した原材料で質の高いパンを製造・販売することが、彼らの誇りになっている」と話す。また、企業就労に向けた意識改革のために北海道中小企業家同友会との緊密な連携事業により雇用を促進し、また、札幌市立大学との産学協同によるブランド化も積極的に行う。「労働の質を高めることで職業人として更には社会人として成長していく」という。
 佐治さんは、2010年4月から精神障がいの利用者3名を職員として常勤雇用した。将来的に継続してもっと彼らが主役の事業に発展させたいとの願いからである。彼らのために始めた事業が、彼らの成長とともに自らが作り出す事業へと今、益々発展している。

人の尊厳を守るために自らが不退転の壁となり、地域社会に発信し続ける長年の活動は、まさに小倉昌男賞の候補者としてふさわしく、ここに佐治リエ子さんを推薦いたします。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

北山 守典さん

北山 守典さん

  • NPO法人 ワークネット 理事・事務局長

【略歴】

1940年  旧満州国 ハルビン生まれ
1944年  戦災を経て和歌山県南部町に一家が転居
1945年10月 南部駅で復員列車に轢かれ、左膝下を失う
1964年  東京パラリンピック 25メートルクロール 金メダル
1972年  南部駅前で理髪店を開業
    以後、本業のほかに子供会の指導をはじめて南部町の嘱託職員となり、主に同和地区の未就学児、高校進学率の向上、家庭支援に取り組む
1988年  和歌山県子供会連絡協議会 副会長
1996年  社会福祉法人 やおき福祉会 入職
1997年  精神障害者生活訓練施設開所「ゆうあいホーム」生活指導員
1999年  自主事業として精神障害者地域就労支援センター開設 所長
2000年  厚生省・労働省 障害者就業・生活総合支援検討委員会 委員
     精神障害者小規模授産施設 すまいる 施設長
2001年  和歌山県地域障害者就労支援ネットワーク 設立
2002年  障害者雇用支援センターから法改正により紀南障害者就業・生活支援センターに名称変更
2003年  全国就業・生活支援センターネットワーク会議 理事
2005年  みなべ鹿島就労型グループホーム 施設長
2006年  NPO法人全国精神障害者就労支援事業所連合会 理事
2007年  和歌山県就労支援印実践セミナー 企画委員
2009年  やおき福祉会「すまいる」指定障害者福祉サービス事業所 退職
     NPO法人ワークネット設立 理事・事務局長
     NPO法人南高梅の会 みなべ工場 就労継続支援A型事業所開設 所長 利用者15名
     現在に至る

【推薦者】 田川 精二さん
(NPO法人大阪精神障害者就労支援ネットワーク 理事長)

【推薦理由】
 和歌山県下の紀南地方、海岸線の広がる田辺を中心的な事業エリアとする社会福祉法人やおき福祉会を拠点として、精神障害者の就労支援を実践してきたのが北山守典さん(現NPO法人ワークネット事務局長)です。
 北山さんは平成8年にやおき福祉会に参加し、当時としては大変珍しい精神障害者を主な対象とした就労支援センターを立ち上げました。そして、その運営の中心的な役割を担い、以来、12年間で400名もの精神障害者の就労を実現してきました。当時の支援制度がほとんど未整備の状況下で、しかも1次産業中心で企業の少ない地域において、文字通り「支援があれば働ける」を実践してこられました。現在では、地域の隅々にかつてのやおき福祉会で訓練を積んだメンバーたち(所謂サービス利用者を北山さんはそう呼びます)が働いている様を見ることができます。そこには、先達者と呼ぶにふさわしい工夫と挑戦があります。北山さんは社会資源の乏しい遠隔地からの受け入れ希望者をはじめとして、さまざまな困難を抱えるメンバーの就労訓練を生活レベルで底支えするために、「グループホーム」を提供し、集団生活のマナーやバランスのとれた食事の大切さを自然に学べるよう指導してきました。また、就労を果たしたメンバーが、楽しく相互にサポートしながら職業生活を継続できるよう、自主運営による「ワーカーズクラブ」を発足させ現在も旺盛な活動を展開しています。そして、国の制度として整備される遥か以前からペアやグループでの訓練と就労の手法を開発し、大きな成果(現在、32事業所で実施)をあげてきました。従来、精神障害者の弱点といわれてきた職場定着を、「おたがいに支えあって仕事をする」ことで克服するスタイルを確立させ、全国の就労支援の現場に大きな影響を与えました。近年整備されてきた精神障害者の「グループ就労」関連の諸制度は北山さんの実践をモデルにしたものと評価されています。
 以上のような、就労支援に関する北山流のビジョンと技術は以下のシンプルなことばに表現されています。

  1. 訓練なくして就労ならず
  2. 職員はメンバーと事業所が育てる
  3. ペアやグループでの就労で、力の弱い子も支えられる

 障害者自立支援法が施行され、精神障害と就労支援に焦点が当てられたことも影響して、北山さんのもとには全国から見学・研修依頼が殺到しています。ここ数年は毎月のように全国の講演に飛び回る状況です。講演の対象者も行政や福祉関係の支援者にとどまらず、平成21年第105回日本精神神経学会学術総会ではシンポジウム「精神障害者の就労支援」で講演。医療専門分野の方々に向けて、就労に向けた訓練には治療的効果があることを訴え、大きな反響を得ました。そうした北山さんの発信するメッセージに共感し、患者さんの就労意欲に積極的にこたえようとする精神科医師も全国に少しずつ、しかし着実に増えてきました。最近では、NPO法人ワークネットを新たに立ち上げ、平成21年12月には最高級ブランドの南高梅発祥の老舗(有)紀州高田果園と提携して梅干し製造を行う就労継続A型事業所「南高梅の会」を開設。ワークネットのコーディネートによってすでに十数名が就労し、しかも平均12〜13万円の月収を得ています。北山さんが今、もっとも情熱を注いでいるのがこうした作業所就労と一般就労の中間で、力を持ちながらも競争的な環境では働くことが難しいメンバーの「社会的な就労」です。この挑戦は、障害者が一方的にサポートを受ける存在ではなく、地域の活性化をもたらす、エンジンの役割を担うことを目標にしています。地域の中核事業であり自然のリズムで働ける農事に着目し、障害者が主体となって地域全体のパワーを布を織るごとく結び付けていく、北山さんの将来ビジョンが姿を現しつつあります。

 以上、精神障害者の就労支援における北山さんの実績と将来ビジョンは「ヤマト福祉財団小倉昌男賞」の候補者にふさわしく、推薦いたします。

【推薦者】 關 宏之さん
(広島国際大学医療福祉学部 教授)

【推薦理由】
 障害のある人達の支援に当たっているものとして、「働くことはよりよく生きること」であり「働くことから生きるエネルギーが供給される」という事実は自明の理である。しかしながら、平成10年(1998年)頃までの厚生省・労働省サイドには、障害のある人たちの社会参加を推進するために生活を支え、働く場を整えるために相互に補完しあうという意識や施策はなく、さらには、精神障害のある人の「働くこと」に関して、医学界からは極めて否定的な結論として、「働くことによって精神障害はさらに悪化する」という定説が席巻していた。
 国連が定めた「障害者に関する世界行動計画(1982)」や「国連・障害者の十年(1983〜1992)」において、障害のある人たちの社会参加と平等が唱えられ、わが国では、それを批准していたが、就労を通じた障害者の社会参加に関しては、脈絡もなく、明らかにわが国の後進性を示していた。
 しかし、平成13年(2001)を期して厚生省と労働省を再編統合の動きがあり、厚生労働省が誕生することになり、平成12年より、検討委員会を設けて就業生活におけるさまざまな課題に対応する地域拠点として、9カ所の「あっせん型障害者雇用支援センター」のモデル事業が実施されることになった。身体障害や知的障害の就業生活を支援する法人はあったが、精神障害のある人たちに対する支援機関は少なく、卓越した理念や実践経験が豊富な「社会福祉法人やおき福祉会」の北山氏が検討委員会の委員、および、「あっせん型障害者雇用支援センター」の推進母体として参画された。いまや、全国280カ所になろうとしている「障害者就業・生活支援センター」が始まったころのことである。
 北山氏の精神障害のある人たちへの就業・生活支援にかける「当たり前」理論や実践は、北山氏の飾らないお人柄とともに多くの人々から頼りにされた。例えば、精神障害のある人たちの就労の可能性を唱えては自分が所属する組織から疎まれたり、あるいは、精神障害のある人たちへの就業・生活支援を行ってきたもののそれに自信がもてなかったり、真っ正直すぎて「そんなことができるか!」などと郷撤されて倒れそうになったり、ともかく、障害のある人たちに就労を通じて社会参加や平等を実現しようとするとりわけ若い人たちを、「やったら いいんよ」と鼓舞し続け、精神障害のある人たち・医師・支援者・行政・雇用主などなどの求めに応じて東奔西走されてきた。それは、精神障害のある人たちが「働くこと」によって確実に疾病から解放されるようになったからでもあるが、精神障害者に限らず、身体障害や知的障害のある人たちの就業・生活支援にかかわってこられ、あれこれに参画しながら、平成20年には、指定障害者福祉サービス事業所であるやおき福祉会「すまいる」を退職された。
 それは、頑張って企業で働いてきた人たちが、自分たちのペースで働ける場を作り、あるいは、再び力を蓄えて企業でも働けるように支援するという目標を達成するためで、平成21年にはA型事業所「南高梅の会」を立ち上げ、その所長として持ち前の力を発揮されている。そこで販売される「絹梅」というブランド名の美味な南高梅は、北山氏やそこで働いている十数名の利用者の方々のプライドの証でもあり、また、将来に託す夢が詰まった製品のようにもみえる。北山氏は、これが自分の人生の総仕上げだ、といわれる。
 北山氏は、権威におもねる人ではないが、障害のある人たちの就労を実現させて、「働くことは生きること」を貫徹されようとする。その姿は、障害のある人たちたけではなく、多くの人々が共感するところである。精神障害のある人たちや後輩達からは「おやっさん」と呼ばれ、師匠であり、思想の根拠であり、寄港地でもある。

 以上 北山氏のお人柄や実績、そして、支援者としての立ち位置は、「ヤマト福祉財団小倉昌男賞」の候補者としてふさわしく、推薦させていただきます。