ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

清田 廣さん

清田 廣さん

  • 社団法人大阪聴力障害者協会 副会長

【略歴】

1943年 大阪府守口市生まれ
1950年 脳膜炎によるストレプトマイシン注射の副作用により失聴
1965年 社団法人大阪ろうあ協会青年部 委員
1970年 歯科技工所設立(聴力障害者と健聴者の友人の3名で)
1971年 社団法人大阪ろうあ協会 理事就任
1974年 社団法人大阪ろうあ協会 常任理事、
    財団法人全日本聾唖連盟 評議員就任
1982年 社団法人大阪聴力障害者協会(大阪ろうあ協会改称)副会長就任
1988年 社団法人大阪聴力障害者協会 会長就任
    社会福祉法人大阪障害者団体連合会 副理事長就任
    大阪ろうあ会館事務局長就任
    重度身体障害者授産施設「なかまの里」をつくる会 会長就任
    大阪府福祉のまちづくり推進委員会 委員就任
    大阪府障害者施策推進協議会 委員就任
1994年 社会福祉法人大阪聴力障害者福祉事業協会 理事
    同 事業協会後援会 副会長就任
1998年 厚生省身体障害者介護等サービス体制整備検討会 委員就任
2005年 ろうあ高齢者特別養護老人ホーム「あすくの里」・重複聴覚障害者通所施設「あいらぶ工房」施設建設委員会 委員長就任
2009年 社団法人大阪聴力障害者協会 副会長就任
    大阪ろうあ会館運営委員会 委員長に就任
    守口市自立支援協議会 委員就任
2011年 社会福祉法人大阪聴覚障害者福祉会(大阪聴力障害者福祉事業協会改称)理事就任 現在に至る

【推薦者】 石野 富志三郎さん
(財団法人全日本ろうあ連盟 理事長)

【推薦理由】
 清田氏は、障害者が社会的に差別されている現実に数多くぶつかり、法の下に平等であるべきと聴覚障害者自身の手でその環境を改善するべく、社会福祉向上のための運動に取り組みはじめました。昭和40年に大阪のろうあ協会青年部の設立に尽力して以来、手話通訳者の養成、教育機関への派遣の実現による就学・就職状況の改善、重度重複聴覚障害者の施設開設など、大阪の聴力障害者の課題解決に全て関わりました。そして、近年はろう高齢者のための介護の仕組み作りにも取り組んできました。
 清田氏は、「聴覚障害者にとって幸せな老後を送ってほしい」との思いから、通常の介護保険業者では聴覚障害者とコミュニケーションがとれず十分なサービスが提供できないため、平成9年から3年の試行期間を経て当事者の組織による指定事業所の立ち上げを行い、平成12年介護保険制度施行と同時に全国に先駆けて居宅介護支援事業(ケアマネージャー)、訪問介護事業(ヘルパー)の指定を受けました。平成15年度の支援費制度移行後は、自ら介護サービス提供事業者として指定を受け、65歳以下の重複聴覚障害者への居宅介護事業を開始、平成18年からは障害者自立支援法の事業者に移行しその活動を継続しています。そして、ろう高齢者の在宅支援について当事者参加による「より良いサービス提供」に組織的に取り組む仕組みをつくりました。
 また、清田氏は、聴覚障害者自らが介護福祉士やホームヘルパー資格を取得し聴覚障害者へサービスを行えるように資格試験の受験時に手話通訳者が配置されるよう働きかけたり、受験のための支援もおこない資格取得の道筋も作りました。平成10年、(財)大阪府地域福祉推進財団主催の養成講座に、手話通訳をつけてろう者4名が受講したのが最初です。引き続き当事者や手話のできるヘルパーの必要性を大阪府に訴え続けた結果、大阪府が平成12年に(社福)大阪障害者団体連合会〔現(社福)大阪障害者自立支援協会〕に聴覚障害者向けの養成講座を委託し開催しました。これにより、職のなかった聴覚障害者(多くは主婦等)に資格を取得させ就労の場を提供し、介護保険サービス受給者が恩恵をうけるだけでなく、職域の拡大による聴覚障害者の生活の安定にも寄与しました。
 その結果、現在、活動中の聴覚障害者向けホームヘルパーは45名(聴覚障害者27名・手話のできる健聴者18名)、介護福祉士は6名(ろう2名、健聴者4名)となりました。現在までに資格所持した聴覚障害者のホームヘルパーは100名を超え、聴覚障害者の介護福祉士5名を数えます。ケアマネージャーもろう者1名、手話のできる健聴者6名が60名のろう高齢者を対象に活動しています。利用状況としては65歳以上聴覚障害者の介護ヘルパー利用が63名、聴覚障害と精神・知的・肢体不自由・盲等の重複障害を持つ者のヘルパー利用は13名となっています。
 これらの実績に加え、聴覚障害者のホームヘルパーが高齢化してきたことから手話のできる講師もしくは手話通訳で情報保障をした聴覚障害者向けホームヘルパー養成講座を来年5月から7月末まで(社)大阪聴力障害者協会が大阪府より委託を受け定員20名で開講する予定です。これにより、聴覚障害者の介護ヘルパーが継続的に養成されていくことが期待されています。この大阪の活動に刺激を受け東京をはじめ全国でも養成が広がっています。
 「人として当たり前に生きたい」という気持ちから聴覚障害者の問題を掘り起こし、問題解決のためには力を惜しまず、「障害者自らが努力すれば、市民の理解必ず広がる」との揺ぎない信念の元に、聴覚障害者の自立と社会参加に向け献身的に取り組む姿勢と40年以上にわたる実績は、この賞に相応しい人物であります。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

柴田 智宏さん

柴田 智宏さん

  • 社会福祉法人 蒜山慶光園 ワークスひるぜん 理事・所長

【略歴】

1974年 鳥取県倉吉市富海生まれ
1993年 学校法人 松柏学院 倉吉北高等学校卒業
1993年 社会福祉法人 敬仁会 入職
1996年 通所授産施設 敬仁会館にて椎茸作業を立ち上げる
2002年 通所授産施設 ワークホームあしたばにて製麺作業を立ち上げる
2004年 社会福祉法人 敬仁会 退職
   岡山県真庭市蒜山地域の保養施設空き物件にて製麺所を立ち上げる
2005年 社会福祉法人 蒜山慶光園 ワークスひるぜん 副施設長就任
    ヤマト福祉財団パワーアップセミナー参加
2006年 社会福祉法人 蒜山慶光園 ワークスひるぜん 施設長就任
2008年 社会福祉法人 蒜山慶光園 理事・就労支援部長就任
2009年 新築製麺工場設立
2010年 社会福祉法人 蒜山慶光園 デイセンターひるぜん 施設長就任
    現在に至る

【推薦者】 坂手 修三さん
(NPO法人かがやきプロジェクト 理事)

【推薦理由】
 「生き甲斐とは何か?」「充実した人生とは?」明確に答えるには、あまりにも深い問いかけです。障がいを持つ人も同じく幸せを享受したいと願い、それを何をもって達成するかという方法も様々です。ただその答えの一つとして「自立」があり、その中でも「経済的自立」が具体的且つ確実なものである事はおそらく間違いのないところであるように思っています。
 柴田智宏氏は、岡山県真庭市の社会福祉法人蒜山慶光園・ワークスひるぜんにおいて、「地域自立を実現する為には経済的自立が不可欠である」という理念で活動されており、更に「経済的自立環境を構築するには、まず組織のシステムの在り方を変えるしかない」と位置付けられ、新しいシステムの導入・定着の為に法人内はもとより他事業所との折衝、話し合いに奔走され、それを具現化されてきました。柴田氏は、「モノを作って売る事」を積極的に進められた後、現在では組織の枠を超え、地域自立に直結する「システムの普及」へ力を注がれています。
 その「システム」とは障がい者の可能性に限りを作ってしまう「慢性的な事業運営」や「職員の勝手な満足や組織的な理由」によって生まれる閉塞感を排除するため、労働専門職員と支援専門職員を分離して職員の役割を明確化したことです。
 これまでにあった福祉的な「支援に手がかかるから、販売が出来ない」などの言い訳を排除して、労働専門職員に、一般企業の経営感覚を持たせ、生産管理者、営業マンとして一般市場で負けない生産販売を徹底させました。
 また、「労働職員=商売人」として存分に立ち振る舞えるシステムとしー般企業同様に利益を無限に追い求めることを義務化させ、経営会議を設け、販売戦略、商品開発会議を設け定着させました。また、一般企業同様の計画的な設備導入を行い、そのリスクを認識させています。そして労働職員の経営的な言動を受け入れられる職場の雰囲気作りを進めました。
・「事業所単位での規模では本当に障がい者が、社会進出したとは言えず、社会全体から見る障がい者の生み出す実績は、もっと大きな規模でなければならない。」
・「誰かが、事業所の枠を超え、地域支援の在り方を変え、新しいシステムの導入に奔走して、流通業界、社会全体に対して大きな信頼を獲得して社会における障がい者の関わりを増やさなければならない。」
・「ある程度の成果を上げた事業所は、その周辺地域や近隣事業所と連携して事業を拡大すべきであり、一般企業と同様に社会的責任を果たし責任範囲の拡大に意欲を持つことが必要である」と内外に提唱され周辺事業所や、地域を巻き込んだ共同受注事業システムを考案し普及されています。その特徴は、障がい者に限らず、就労難民(例えば高齢者や母子家庭等)といわれる人等の様々な組み合わせで事業を展開して、個人の仕事場として利用してもらえる体制作りも目指しました。柴田氏は、圧倒的な熱意と表現力で行動され、「システムさえ機能すれば、必ず事業所の実績は拡大し、障がい者の賃金は上がる」という確信のもと、具体性のある提案を用意して安心感と信頼性を勝ち取り、次々と成果を上げられました。他の事業所が納得してシステムを採用している理由のひとつには、その事業所の規模や職員の能力、組織内の悩みや担当者の悩みまでを聞いた上でシステムの中にスムーズに組み込んでいるからです。システムの提供と合わせて、真心と柔らかさ、そして何より「柴田氏の覚悟」を伝えることで広がりを生んでいるのではないかと感じています。現在、真庭市行政から高い評価を得て、今や県や全国からも注目が高まってきています。
 各事業所によって置かれている状況が違う為、具体的な「モノ」を軸にした事業では、導入可能か否かに差が出てますが、しくみや考え方など「システム」である場合は、どの事業所でも比較的幅広く取り組めるものであると考えられます。柴田智宏氏こそ小倉昌男賞の候補としてふさわしく、推薦いたします。