ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

西谷 久美子さん

西谷 久美子さん

  • 社会福祉法人はる 常務理事
  • はるの相談室(指定特定相談事業)相談専門員
  • 精神保健福祉士

【略歴】

横浜市生まれ
青山学院大学文学部卒業

資生堂本社 外国部勤務(5年間)
品川区役所 児童部勤務(14年間)を経て
1991年 精神障害者共同作業所「けやき工房」勤務
1994年 世田谷区初の精神障害者の就労支援を目的とする「パイ焼き窯」(精神障害者共同作業所)創設・・・当時の精神障害分野は福祉法も無く、また「働く事を通じて障害の改善・回復を図る」という考え方は、精神障害分野では受け入れ難かった。
1997年 パイ焼き茶房を創設(1年間の自主運営を経て、翌年補助金対象の作業所となる)
1999年〜 社会福祉法人設立の準備開始・・・企業人/地域福祉関係者/家族/サポーターズ等の応援団から法人設立の支援を頂き、2年間で法人各を取得する事が出来た。
2001年7月 社会福祉法人はる 誕生 ⇒ 社会就労センターパイ焼き窯の建設着工
2002年 精神障害者就労支援事業所「社会就労センターパイ焼き窯」 開設 事業開始
精神障害領域は法律・制度・社会的理解など、全ての分野で他障害(身体・知的)との格差が大きい。法人格取得をきっかけに、格差を埋める運動を開始する。
・作業所の役割を明確にして、障害当事者が自分に合う作業所を選択できる仕組み作りと、精神分野の各機関の統合組織作りを行う。
・①働きたいと願う当事者を発見する機能(作業所見学ツアー/HASIC)
 ②短期間の就労訓練の場(パイ焼き窯短期訓練事業)
 ③企業/ハローワークと連携する当事者コーディネート機能(しごとねっと)
 ④世田谷区・・・この4機能のネットワーク作りをおこなう。
2003年 グループホーム「はるの邑」開設 (玉川地域初のグループホーム)
2004年 1年半の構想と試行を経て区内精神障害者向けとして初の「世田谷区精神障害者就労支援センター しごとねっと」を開設
2005年 「しごとも」開設・・・ヤマト財団のメール便事業を中心に、利用者全員の最賃保障を実現し今日に至っている。
2006年 「障害者自立支援法」施行の流れの中で、【誰もが安心して暮らせる街づくり】を目的に
玉川地域の全障害者施設(15事業所)と行政・社協に呼びかけを行い、「玉川 障害者地域生活支援機関連絡会」が発足。
2009年 グループホーム「とどろきの杜」開設 (地域近隣の反対を受ける)
2011年 パイ焼き窯分室「はるの樹」開設・・・ゆっくり働く/健康づくりを目的とした事業。
2015年 指定特定相談事業「はるの相談室」開設

【推薦者】 金安博明さん
(社会福祉法人世田谷区社会福祉協議会 地域社協課長)

【推薦理由】
西谷さんは、精神障害者の福祉作業所へ就職して実態を知り、精神障害者に必要なことは、働くことが一番のリハビリであり、自信を取り戻すことになると自覚しました。精神に障害のある人の働き方にもいろいろありますが、半分くらいの方は人生経験が豊かで働く力がありながら発揮できないのは、環境が整っていないからで、それを解消するには、環境を整えることで働く実感が持て、高収入を得る事が一番大切であると思ったそうです。
しかし、“自分に何が出来るか”と自問自答することと周りへ“精神障害者が働くことの応援がしたい”と呼びかけ2年が程経過したころには、多くの賛同者が声をかけてくれたそうです。ここからが西谷さんの本領発揮です。無認可の小さな作業所「パイ焼き窯」を立ち上げ、賛同者の一人であるプロのパティシエの力をかり、お菓子づくりから開始しました。その作業所は直ぐに満杯になり、働きたい精神に障害のある人が本当に沢山いることを実感し、第二パイ焼き窯を立ち上げたのが、現在の「パイ焼き茶房」です。
私が世田谷区社協で仕事している中で、世田谷区の精神障害者の就労を応援する作業所は数か所でしたが、パイ焼き窯の開所当初から発展していくことは評判でした。私が、パイ焼き窯のある玉川地域へ異動になり益々西谷さんの活動が、実感できました。特に大きかったことは、ネットワークの立ち上げでした。精神障害者の作業所は、無認可で小さい規模しかなく、行政への改革の働きかけのためネットワークの立ち上げに取り組みました。そして医療や行政も巻き込み、自事業所を超えた精神障害者の支援に従事する職員の支援力アップにも取り組んできました。また、自立支援法下での事業運営開始が決定されたことを契機として、ネットワークの大切さを知っているからこそ、障害種別を超えたネットワークの立ち上げに尽力されました。このネットワークは、現在、玉川地域の自立支援協議会の礎となっており、福祉だけに留まらず介護関係の事業所との繋がりもできています。福祉も地域で支援していくことが求められおり、今までの多くの人との繋がりやキャリアを元に今後の活躍が期待されます。
21年前に、無認可の事業所を立ち上げ、精神障害者にとって働くことは病状の悪化に繋がると言われながらも20名からスタートした作業所が、たった10年で社会福祉法人となり、現在では170名を超える登録者となりました。現在は、当事者はもとより家族や地域からもニーズを聞き、今後の法人の方向性や将来の福祉全般の向上を見据えた活躍に期待できる西谷久美子さんを推薦します。

【推薦者】 三鴨岐子さん
(有限会社まるみ名刺プリントセンター代表取締役 東京中小企業家同友会 理事 障害者委員長)

【推薦理由】
私が西谷さんを知ったのは、東京中小企業家同友会障害者委員会に於いてでした。
入会したばかりの私に委員会の古い会員さんが、西谷さんを紹介してくれました。
その方のお話によると、「世田谷区のパイ焼き窯という障害者施設の西谷という責任者が、ユニークな取り組みをしていた。障害者がしっかり働き、就職実現できるように企業と連携を図っている。
また、年間数千万円の販売活動や喫茶店経営をして、障害者が生き生き働いている。福祉どっぷりの考え方と違う。同友会に入会してもらい交流したいと考え、訪問したところ、すぐに入会し一緒に活動を開始した。」という内容でした。
 全国組織である中小企業家同友会では30年に渡り、同友会理念に「共生社会実現」を掲げ、障害者雇用は企業にとってプラスであり企業のパフォーマンスを上げるひとつの重要な方法であると考え雇用を研究、推進する委員会を設置し具現化に取り組んでいます。
しかし、精神障害者の雇用については、同友会全体に知識が少なくなかなか取り組めずにいたのが現実でした。障害特性についての学習会や見学なども行ってきましたが、いざ雇用となるとなかなか進められませんでした。
そこで、西谷さんに参加頂くことで、対応に困った時には連絡でき、直ぐに適切な対応方法や先を考慮したアドバイスが頂けるネットワークができたことで、少しずつ精神障害者の雇用に取り組みが出来ており、実習の受け入れや雇用数も増してきました。
私は同友会の勉強会で何度も発表されていた西谷さんの障害者に対する考え方や人柄にもとても共感しました。西谷さんの発表からは、福祉の基本から学ぶことができ、「障害者施設とはどのような役割を担っているか。障害者の本当の願いに対して、社会や経営者や支援者がどうあるべきか、何ができるか。障害者の人としての暮らしを実現するために、福祉と企業とのコラボレーションはどのような形として求められるか。」など、新しい価値観が感じ取れるものでした。公務員を辞し、私財を投じて始めた無認可事業所は、いまや170名もの障害者の雇用を生み出し、一人一人の生きる喜びになっています。また住居や生活面の支えなど、更なる事業展開も計画されています。
この度、西谷さんの今後の益々の活躍の原動力になって欲しいと願い、ヤマト福祉財団小倉昌男賞へ推薦させて頂きます。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

林 博文さん

林 博文さん

  • 特定非営利活動法人ピアファーム 理事長

【略歴】

1955年 福井県生まれ
1978年 日本福祉大学福祉学部卒業
1978年 社会福祉法人希望園 入職
重度重複障害者の療育、生活介護に従事、
その後、就労支援事業を担いながら、
グループホーム事業に携わる
1993年 社会福祉法人希望園 退職
1993年 社会福祉法人コミュニティネットワークふくい 入職
同年4月 福祉工場 エフエフ福井  管理部長
1997年 通所授産施設 クリエートプラザ金津 所長
1999年 福祉工場 エフエフ金津  工場長
養護学校高等部新卒者の進路保障としての就労先としての分場、事業所設立や事業部門の準備、雇用などの業務を担う。
2002年 農業法人有限会社シーネット坂井設立に参画
社会福祉法人の福祉工場で稲作を中心に事業展開では制度上の限界もあり、新会社で農業部門を担う農業法人を設立する。
2005年 農業法人有限会社シーネット坂井 専務取締役
2008年 社会福祉法人コミュニティネットワークふくいより独立分社して特定営利活動法人ピアファームを設立
 目的
 ・農業に特化した就労継続B型事業
 ・高い給与をめざした事業経営を展開すること
2009年 「ピアファーム夢の果実農産物直売所」を事務所と併設
2011年 「ピアファーム夢の果実農産物直売所呉服町店」を開設
2011年 あわら市より認定農業者として承認
(北陸農政局管内では、非営利団体としては初の認定農業者となる)
2014年  8月 スーパーマーケット「産直市場ピアファーム」オープン
(福井県坂井市三国町えちぜん鉄道駅前)
同年10月 就労継続B型事業所「産直市場ピアファーム」開設
2015年7月 観光ぶどう園「あわらベルジェ」オープン

【推薦者】 山田優さん
(社会福祉法人ほっと福祉記念会 福島県被災地における障害福祉サービス基盤整備事業  アドバイザー派遣事業事務局・統括コーディネーター)

【推薦理由】
田村一二氏が著した「茗荷村見聞記」の現代版実践が福井にある。
その名前は、NPO法人ピアファーム。名前の由来を創業者の林博文氏は、ピア(peer)仲間・同僚が集うファーム(farm)農場とし、障がいのある人たちメンバーと共にスタッフが活き活きと農業生産に励み、地域住民や、ボランティアたちと協働して、安全でおいしい作物を作り届けていくと言う。
 林氏は、平成20年4月に勤務していた社会福祉法人より10名の障がい者とスタッフ3名で独立分社し、農業に特化した就労継続B型事業を開始した。
その設置背景には、当時障がいのある人たちの卒業後の進路先が限られていた自宅待機者をなくすという目的も含まれていた。ここまでの経緯は、全国でもよくみられるが、ピァファームの実践は大きく違っている。
障がい者福祉という枠組みの中での農業ではなく、農業の一環の中に障がい者福祉として取り組むとしており、高い収益性を得ることを目標とし、あわら市の障がい者優先調達推進法の対象からあえて除外して頂くなど、その覚悟は半端ではない。
つまり、してもらう福祉ではなく、地域を活性化していく一翼を担う攻めの福祉、アグリビジネスに徹した姿勢を貫いている。
林氏の地元、あわら市と坂井市にまたがる国営パイロットファーム坂井北部丘陵地には、特産のナシ果樹園が50年を経て後継者不足となり、耕作放棄地が増えている。ブドウは農林水産省統計、都道府県ランキングで福井の生産量は全国でも下から3番目。地産地消へのチャンスが大きいこと。ハウス栽培によって雨天の仕事が確保でき、野菜よりも販売単価が高い。こうした地域性を活かし、農業に特化した就労継続B型事業所による、給与アップを目指している。
農業は全国的にも後継者不足で衰退産業と言われている。しかしそこに着目し、障がいのある人の働く場の不足をセットにした農業福祉の取り組みは、大きい意味で、新たな価値や文化の創造だと話す林氏に共感する。
さらに、就労支援に見られる、スタッフは指導・支援する側、メンバーは受ける側という関係ではなく、メンバーもスタッフも良き農業の担い手であり、お互い出来ることを担いあうという姿勢は、まさに共に汗を流す(田村一二・流汗同労)であり、指導する・されるという対立関係ではなく、共にこの農場に集う働き人という実践を全国の規範として紹介したい。

給与アップは具体的に示すと、H26年度メンバー月平均賃金は、ピァファーム(就労継続B型事業所)定員20名40,474円、産直市場ピアファーム(就労継続B型事業所)定員20名50,183円と群を抜く。将来的に月平均6万円の支給をしていきたいとする、農業に特化した就労継続B型事業所による夢は実現に一歩近づこうとしている。
さらに着目したいのは、ナシ栽培の実績が評価され、地域農産物産地の継承として、高齢化で後継者不足で廃業するナシ園19,198㎡の再生が託され、放置農園による病害虫の広がりを防ぐことで、地元から産地ナシ栽培の継承が出来ると評価されていることである。
ナシ園栽培は12品目28,250㎡。ブドウ栽培は22品目5,625㎡。7月から12月までと販売・労働分散が計画的に工夫されている。
H26年度には、隣町のスーパーマーケットに出荷していた縁から、買い物難民の多いエリアでの採算継続は厳しいと閉鎖を検討していたスーパーの社長、建物の大家さん、スーパーに来られるお客様たちから「この店を潰さないで営業して欲しい」と切望され、NPO法人によるスーパー経営への不安も、地域や社会が求める付託に最大限応えていくことが役割と受け止めて事業に着手した。地域のお年寄りから喜ばれ、地域の110の農家・団体からの農産物提供による人と人を結ぶ懸け橋として地域貢献を果たすこととなった。
NPO法人としては福井県内で初の「認定農業者」資格を取得し、事業拡大の可能性を模索しながら、障害のある人のさらなる所得向上を目指している。 
遊休地の活用や荒廃地の再生、直売所での地元農家の農作物販売、スーパー経営等々は、「地域に還元できる活動を展開したい」を具現化した取り組みであり、全国の障害のある人たちの就労支援の在り方として、大いに参考にしてほしいと考える。
小倉昌男賞の候補としてふさわしく、以上の理由にて推薦をいたします。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞特別賞

花田 春兆さん

花田 春兆さん

  • 俳優
  • 特定非営利活動法人 日本障害者協議会 顧問
  • 公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会 評議員
  • 特定非営利活動法人 風の子会会長、ほか

【略歴】

1925年 (大正15)10.22大阪生まれ。本名 花田政国
◆出世時からの脳性まひによる歩行・起立障害、言語障害がある。
1934年 東京市立光明学校入学。
◆学校の先生のすすめで俳句を始め俳号「春兆」を受ける
1947年 身体障害者による同人誌「しののめ」創刊
1957年 俳誌「萬緑」に入会し中村草田男に師事
1965年 結婚
◆一男一女を授かる
1980年 国際障害者年日本推進協議会(現在の日本障害者協議会)副代表(現在は顧問)
1981年 内閣総理大臣賞受賞
1982年 総理府(現在の内閣府)障害者対策推進本部(後に障害者施策推進本部)参与
1995年 朝日社会福祉賞受賞
2000年 特別養護老人ホーム入所(パソコンを始め、クラブ活動の陶芸で陶俳画を創造)

【著作など】
句集「端午」「天日無冠」「喜憂刻々」 
句文「折れたクレヨン・私の身障歳時記」
「殿上の杖-明石検校の生涯」「鬼気の人-俳人富田木歩の生涯」「福祉・複眼・福の神 花田春兆対談集」「一九八一年の黒船-JDと障害者運動の四半世紀」
交響詩曲 障害者・文化史絵巻(DVD)「ゑびす曼陀羅-日本の障害者文化史」  ほか多数。

【連載】
「パラボラアンテナ」『すべての人の社会』誌、「蟹の足音」『リハビリテーション』誌 ほか。

【テレビ出演】
2009年5月3日NHK教育「こころの時代」に登場「天邪鬼よ、出て遊べ」ほか。

【推薦者】田中優子さん
(法政大学総長)

【推薦理由】
花田春兆氏は『殿上の杖―明石検校の生涯』『幽鬼の精―上田秋成の作品と生涯』『日本の障害者・今は昔』などで、歴史上の障害者が、いかに日本文化に大きな功績を残してきたか、明らかにしてきました。昨今の歴史研究も多様な人々と生活を捉えてきましたが、障害者が日本文化の創造に深く関わっていたことを明らかにできたのは、花田氏だけです。
実際、江戸時代までの社会では、障害者たちは自らを組織化し、職業を占有することで自立した生活を営みつつ、独自の文化を創造してきました。花田氏はその姿を描くことで、現代の障害者たちが誇りをもって生きていく環境づくりに大きな貢献をしたと考えています。
私自身は、花田氏と旅をしながら対談を実施し、それは『福祉・複眼・福の神―花田春兆対談集』におさめられました。その際に感じたのは、花田さんの言葉の濃密さです。
俳句の言葉はもちろんですが、会話をしているときの言葉はなおいっそう、凝縮され、ユーモラスで、その笑顔とともに周囲を笑いに巻き込み、良い人間関係を作っていました。言葉は量ではない。
知性と感性によって無駄のない彫刻のように創造され、時宜を得て発せられることで、素晴らしいものになるのだと実感しました。
人は誰でも完璧ではあり得ないという意味で何らかの障害をもっているわけですが、だからこそ、知性と感性を磨くことでむしろ社会に力を与え、差別を乗り越える契機を作り、個性と多様性の大切さを互いに認識できるのだ、ということを、私は花田春兆さんから深く学びました。
その業績が社会に寄与したこと、そしてその才能と人柄が社会をより良い方向に向かうことへ多大に貢献したこと、この二つの点で花田春兆氏を小倉昌男特別賞に強く推薦します。

【推薦者】炭谷 茂さん
(公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会会長 社会福祉法人恩賜財団済生会理事長)

【推薦理由】
 花田春兆さんは、今年10月22日に90歳を迎えられます。出生時より脳性まひにより歩行・起立不能、言語障害という重い障害を抱えられていました。9歳から俳句を始められ、中村草田男に師事、「春兆」の俳号のもと優れた作品を次々に世に出されてきました。その作品は、俳人協会全国大会賞など各種の賞を受賞されたことに表れているように高く評価されています。
 さらに詩、短歌、エッセー、評論など幅広い文芸分野でも第1人者として活躍されてきました。これらの文芸活動は、障害者に大きな希望と励みをもたらしています。
 また、重度の障害者の立場から国際障害者年日本推進協議会副代表、総理府障害者対策推進本部参与等として様々な障害者問題に取り組み、日本の障害者対策の向上に貢献されてこられました。
経験に裏付けられた花田さんの発言は、大変重く受け取られ、大きな影響力がありました。
 私が会長を務める日本障害者リハビリテーション協会でも平成7年から今日まで評議員として熱意あふれるご指導をいただいています。
 これまでも内閣総理大臣賞を始め沢山の受賞を受けられ、すでに社会的に高く評価されているところですが、花田春兆さんの生涯にわたる活動は、障害者の社会参加促進や地位向上を願われた小倉昌男さんの御遺志に完全に沿うものであり、障害者に希望を与えるものと考え、小倉昌男賞特別賞に推薦いたします。