ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

奥脇 学さん

奥脇 学さん

  • 有限会社奥進システム 代表取締役
  • 公益社団法人全国重度障害者雇用事業所協会 常務理事

【略歴】

1968年 大阪市生まれ
1986年 高校卒業後 株式会社日立西部ソフトウェア 入社
1998年 同社 退社 自分の技術力を試し、労働環境を改善するために独立
2000年 有限会社奥進システム設立 同社代表取締役就任
シングルマザーの支援施設や障害者支援施設を回り始める
2002年 大阪府中小企業家同友会 入会
2006年 頸椎損傷による重度身体障がい1名 システム開発希望
大阪市職業リハビリセンターより紹介 採用
大阪府中小企業家同友会障害者部会加入
2007年 同じく頸椎損傷による重度身体障がい者1名
大阪市職業リハビリセンターより紹介 採用
週1回の出勤から週3回とし、事務所もバリアフリー改装
この2名が現在システム開発リーダーとなっている
2009年 ひとり親家庭の母親入社 週40時間 うち週1日在宅勤務開始
同  年 サポートツール・ネットショップ「つうるぼっくす」の運営を開始
2010年 内部障がい(人工透析)者 1名 精神障がい者 1名 採用
2011年 インターネット・サポートブック「うぇぶサポ」の無料提供を開始
2012年 就労継続支援B型施設向けSaaSサービス「うぇるサポ」提供開始
同  年 精神障がい者 1名 週35時間勤務で追加採用
同  年 精神障がい者就労定着支援システム「SPIS」提供開始
2013年 大阪東公共職業安定所より重度障害者多数雇用事業所認定
同  年 「精神障害者の就労継続支援健康評価システム事業」に「SPIS」が採用
2014年 大阪府の「精神・発達障がい者雇用管理普及事業」に「SPIS」が採用
2015年 発達障がい者1名 精神障がい者1名 追加採用
2016年 発達障がい者 2名採用
設立以来 WEBアプリケーションに特化して企業向けシステム開発を受託
延べ 220社に納入 年商 6,400万円 2016年11月現在 社員 10名のうち8名が障がい者 2名は、シングルマザーとなっている

【推薦者】 應武善郎さん
(株式会社ダイキンサンライズ摂津 顧問)

【推薦理由】
1.自社で障害者、シングルマザーなど就職困難者を重点的に雇用
「私たちと、私たちに関わる人たちが、とてもしあわせと思える社会づくりをめざします。」の基本理念のもと、会社設立以来、在宅勤務なども取り入れ、一般には就労が難しいといわれる障害者やシングルマザーを雇用し少人数ながら安定した経営を続けている。現在では、*社員9名のうち障害者7名(肢体不自由2名、内部障害者1名、精神障害者4名)シングルマザー2名を雇用している。*推薦書提出時

2.自社の障害者雇用のノウハウ(SPIS)を一般に公開し障害者の定着に貢献
自社の精神障害者の定着のため障害者本人が日々の体調、業務遂行状況、職場での人間関係などの状況を4段階指標化して記入し、会社の管理者・支援機関・家族がその情報を共有化し、対応するようにして定着を図っており、職場定着率は高い。
そのノウハウをSPIS(エスピス)の名前で大阪府や、全国精神障害者就労支援事業所連合会などの事業として一般に公開し、職場定着に顕著な効果を上げている。
このシステムにより精神障害者雇用未経験の企業でも安心して雇用できるようになった。平成28年8月末現在、50社100人が利用しており、今後もさらにこのシステム利用により我が国の精神障害者の雇用拡大が期待できる。

3.福祉事業所向け利用者管理システム(うぇるサポ)を開発し利用者の安定就労に貢献
福祉事業所の利用者の基本情報や状況を逐次インプットし、事業所の職員がその情報を共有するシステムを開発し福祉事業所に公開している。これにより利用者が何度も同じことを職員に説明しなくてもよくなり、常に利用者にあったサービスを提供でき、利用者の生活の質向上に貢献している。
(平成28年11月現在 2,244名 利用中)

4.多くの外部団体で障害者の就労や雇用拡大に貢献
下記のごとく多くの団体で障害者の就労や雇用拡大のための活動を行っている。
(1)大阪LD親の会 副代表
発達障害児のためのサポートツールの開発、発達障害児の理解のための啓発、就労促進に副代表として貢献している。
(2)特定非営利法人大阪障害者雇用支援ネットワーク 理事
障害者の就労、雇用拡大のための啓発活動を行っている。特に企業に対し、地域での支援機関とのネットワーク形成、合理的配慮の状況などタイムリーなテーマを決めた企業の見学会など、ネットワークの中心となって活動をしている。
(3)公益社団法人全国重度障害者雇用事業所協会 常務理事
大阪支部長として、会員企業の経営状況、雇用状況、処遇、障害者に対する合理的配慮の事例発表、行政の施策など会員のニーズにあったテーマを企画して、グループ討議なども交え年6回の支部会議を開催し、会員企業の経営に貢献している。会合には大阪府内のみならず、兵庫県、京都府からも参加し、全国の都道府県支部活動のモデルとなる運営を行ってきた。平成28年6月からは常務理事近畿ブロック長としてさらに幅広い活動を行っている。

ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

竹内 昌彦さん

竹内 昌彦さん

  • 社会福祉法人岡山ライトハウス 理事長
  • 社会福祉法人岡山県視覚障害者協会 理事
  • 岡山県立岡山盲学校 同窓会会長

【略歴】

1945年 2月 父親の赴任先中国天津で生まれる
1951年 4月 小学校1年入学
1953年 2月 網膜剥離により失明
1954年 4月 岡山県立岡山盲学校小学部3年編入。以後,同校中学部
高等部へ進学
1964年11月 パラリンピック東京大会 盲人卓球 優勝
1966年 3月 岡山県立岡山盲学校高等部専攻科卒業
あん摩マッサージ指圧師免許,鍼師免許,灸師免許取得
1966年 4月 東京教育大学盲学校教員養成課程入学
1968年 3月 東京教育大学盲学校教員養成課程卒業
1968年 4月 岡山県立岡山盲学校教諭
1999年 4月 同校高等部教頭
2005年 3月 退職

著書
「病理学概論」(教科書)
「見えないから見えたもの」(自分史)
「船長の粋な話」(エッセー) ほか

【推薦者】 谷口 真吾さん
(飛鳥グループ共同組合 専務理事)

【推薦理由】
1、過去25年間で全国2,200回に上る障害者の人権理解に関する講演活動

2、講師謝金や自伝書に寄せられた募金などを元に、視覚障害者のための職業訓練学校を2011年にモンゴル、また2015年キルギスにも設立した。
モンゴルの学校については、2016年6月正式にモンゴル国営2年過程の専門学校として認定された。現在、70名の生徒が学んでいる。
また現在、モンゴルの地に視覚障害幼児の為の盲教育幼児学校を設立する為、日本から指導者の派遣事業を開始した。今年9月に1人派遣する予定です。

3、点字ブロックが世界で初めて敷設された岡山市郊外の交差点脇に、『点字ブロック世界発祥の碑』を建立。
その後も点字ブロックを守る会の代表として、点字ブロックの歌やシール等を作成し、点字ブロックへの理解を深める 活動を全国に向けて展開している。

4、竹内氏の活動に感銘を受けた岡山市内の一般市民が中心となり、著書『見えないから見えたもの』を映画化することによって“未来の子供たちにもこの感動を受け継いでいきたい” “全国の小中学校の授業で使ってもらうことによって、少しでもいじめや、自殺問題をなくしたい” との想いがきっかけとなり、構想から5年間かけて映画を製作し、全国に向けての普及活動を行っている。

5、幾度となく訪問した発展途上国に僅かな治療費もないため、視覚障害のまま放置されている子供たちが大勢いることに気付いた。その治療費を送ることで、彼らの視力を回復させる活動を開始した。
既に、モンゴルで3名、キルギスで20名の子供の視力を改善させることができた。
(2016年11月7日現在)

きっかけ
1、県立岡山盲学校の教師時代に行った、障害者理解を深めるための講演活動で得た講師料を、自分のものにしてはいけないと思い、蓄えながら何かよい使い道はないかと考えていた。
2、JICA(ジャイカ)は「沖縄プロジェクト」と称して、発展途上国の視覚障害者を沖縄に集め、マッサージを 教えてそれぞれの国に帰し、彼らの自立とマッサージの普及を目指す事業を行っていた。その講師として参加し、受講生と接する中で、彼らが母国に帰っても、折角のマッサージ技術を活かす場所がないことを知り、学校建設の必要性を感じた。

取り組みのあらまし
1、平成の時代になって、人権教育の一環として、障害者理解を深めるための研修会が、学校や公民館などで行われるようになり、全盲で盲学校の教師であった竹内先生は、たびたび講師として派遣されるようになった。この活動はボランティア的なものであったが、それでもいくらかの謝金をいただくことがあり、これを自分だけのものにすることはできないと思い、蓄えていった。それが何年もかかって100万円に達したとき「これで何かみんなの役に立つことはできないか」と考えるようになった。

2、上記の沖縄プロジェクトに参加し、発展途上国の視覚障害者が仕事もできず、家族や社会の厄介者になっていることを知り、彼らが自立する手段として、日本のようにマッサージを教える盲学校のようなものが必要であると思った。そして、どこかに1つ、その学校を造ろうと決心した。

3、どこに学校を造ったらよいかを考えているとき、モンゴルから日本に来て、熊本盲学校であん摩・鍼・灸を 学び、日本の免許を取得して母国に帰り、後輩たちにマッサージを教えているガンゾリグという青年がいることを知った。彼はモンゴル国の盲人協会の一員であり、協会の支援を得て、ある学校の空き教室を借りて指導を行っていた。そこで、ここに学校をプレゼントすればすぐに役立って喜ばれると思い、具体的な働きかけを開始した。

4、アジアの視覚障害者にマッサージを広める目的でアミン(AMIN ASIA MEDIAL Masage INSTRUCTORS NETWORK)という組織が作られたが、竹内先生もその一員としてモンゴルを訪問し、視覚障害者への指導、マッサージセミナーでの実演、関係者との話し合いなどを行い、マッサージの有効性についての理解を求めた。

5、 何度もモンゴル盲人協会と話し合った結果、協会が所有するビルの1階部分を改造して学校にすることとなり、2010年に830万円を送り、同年12月に完成した。
そして、2011年3月9日にモンゴル政府の関係者を迎えて開校式を行うことができた。
この専門学校は開校式より5年経過した平成28年6月、正式にモンゴル国営の2年過程の専門学校として認定された。その結果、職業に就くことのできなかった多くの視覚障害者が、安定した生活を手に入れることができるようになった。

7、発展途上国の視覚障害者支援第二弾として、元JICAシニア海外ボランティア(キルギス派遣)キルギスの視覚障がい者支援の「キヤル基金」からの依頼によりキルギスの盲人協会「Empower Blind People」が計画している新しい事務所の購入支援を行った。これまで協会の古い工場の一室でリハビリテーションの活動していたようですが、冬は寒く、厳しい環境。新しい場所でのスタートを望んでいた。そして首都ビシュケク市の中心地に近い交通の便の良い、アパートに1階の68平米の物件を探し、その購入代と改装価格、113,000ドル。日本円にして1,430万円の寄付を行った。
この施設では、主に中途失明者に単独歩行、点字、パソコン、英語、家事等の一般生活訓練を行い、彼らの生活向上に努めている。

これまでに得られた成果
モンゴルの人口は250万人ほどなので、学校の定員は10人でいいと言われ、小規模校となったが、国土が広いので通えない生徒のために寄宿舎を設置した。これを知った視覚障害者たちが全国から何日もかけて集まってきて、最初から30人の生徒を入学させての出発となった。これまでにマッサージを学んだ者の中には、路傍で物乞いをしていたのに、マッサージを覚えて人に喜ばれるようになり、経済力が付いて家族を持ち、家を建た者もいるという。学校の中には、英語やコンピュータを教える部屋もあり、生徒たちがいろんな方面で活躍できるようになればと思う。モンゴル政府は卒業生に試験を行い、成績のよい者には、国立の病院などで働く場を与えようとしている。この試験がやがて免許試験に発展し、日本のような制度ができることを願っている。
学校は、建物を造ればそれで終わりというものではない。更に必要な援助として、学校の運営資金、貧しい生徒のための奨学金、教材や教具など、その内容は多岐に渡っているために現在も、この学校に対しての支援を継続している。

上記についてのニュースは、ここ数年の間に日本全国に相次いで紹介され、改めてご案内するまでもありません。
竹内昌彦氏に対する何よりのねぎらいであることはもちろん、世界の視覚障害者が人生の目標とすべき人物像をはっきりと掲げられるようになるためにも、是非同氏をご評価いただきたくご推薦申し上げます。