第19回 ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

上野 容子さん

上野 容子さん

  • 社会福祉法人豊芯会

【略歴】

1948年 栃木県宇都宮に生まれる。
1971年3月 日本社会事業大学卒業
2010年3月 高崎健康福祉大学健康福祉学研究科保健福祉学専攻博士後期課程満期退学
2014年3月 高崎健康福祉大学にて保健福祉学博士の学位取得
1971年 医療法人白十字会松見病院に精神科ソーシャルワーカー(PSW)として勤務
1977年 医療法人社団慶竹会南大塚診療所(現ホヅミクリニック)に勤務。
1978年 穂積医師が憩いの場「みのりの家」を開設 PSWとして勤務。
1982年 「若草の家」を開設。
1989年 精神障害者共同作業所「ふりいぞ~ん」開設(のちにハートランドひだまり)
1992年 3事業所の運営委員会の団体名が「ハートランド」となり、事務局長を務める。
1993年 作業所「ハートランドひだまり」 所長 精神障害者の方々の働く機会と場づくりを前面に掲げ、
宅配事業と飲食店を開始する。
同 年 これまで一人暮らしに向け支援してきたショートステイ事業を拡充し、グループホーム を開設。
運営主体を「ハートランド若草」とし、同代表を務める。
1995年 豊島区の精神障害者の働く場(雇用)として区立生活産業プラザ内に「喫茶ふれあい」を開店。
区内のあおぞら作業所、フレンドシップと当団体の共同経営形式とする。
1995年10月 社会福祉法人の認可取得。法人名を「豊芯会」とする。 副理事長を務める。
1996年 授産施設「マイファームみのり」開設。
1997年 地域活動支援センター(現・こかげ)開設。
2001年 豊島区の委託事業である「ひとり暮らし高齢者配食サービス事業」について、豊島区と契約を締結。
2008年より障害者自立支援法に基づく事業に移行し、就労移行、就労継続支援A/B型の多機能型事業所開設。A型事業については、フードサービス事業所として配食事業を引き継ぐ。
2012年から相談支援事業を開始。
2013年から自立訓練、2016年から生活介護事業を開始。

<教員として>
精神保健福祉分野の非常勤講師として、
明治学院大学(1999~2001年)、法政大学(2000~2005年)、日本社会事業大学(2000~2002年)、東京家政大学(2000~2001年)、駒澤大学(2000~現在)に勤務。
東京家政大学 精神保健福祉分野の専任教員として2001年4月(助教授)~2018年3月(教授)勤務
2018年4月~東京家政大学 名誉教授

【推薦者】横田 勇さん
社会福祉法人豊島区社会福祉協議会 理事長

【推薦理由】
上野容子氏は、大学卒業後以来47年にわたり、常に障がい者の立場に立った雇用拡大に全身全霊で取り組まれ、様々な働く場等を創設され、障がい者の社会参画のための環境づくりに著しい実績をあげております。
 一例をあげますと精神障がい者の皆さんが弁当をつくり、地域の高齢者や障がい者へ宅配する仕組みを1995年に立ち上げました。
精神障がい者として支援を必要としている人が、支援する側にもなっているという、まさに地域共生社会のお手本を今から23年前に既に立ち上げられたのです。
 地域福祉を推進する同じ立場にある私は、こうした上野容子氏の障がい者のために取り組む姿勢と枚挙にいとまが無い実績に心から敬意を表している次第であります。上野容子氏はこのように素晴らしい障がい者福祉の実践者で、正に小倉昌男賞受賞に値する人物でありますので、ここに心から推薦させていただく次第であります。

【推薦者】菊池 貞雄さん
特定非営利活動法人コミュニティシンクタンクあうるず 代表理事

【推薦理由】
 上野 容子氏は、前身の「みのりの家」を含めると1978年から39年間活動を続けてきた社会福祉法人豊芯会の理事長を2009年から務めている。
 精神障害者の支援制度が皆無だった1978年に障害者の憩える場として「みのりの家」を開設されて以来、「ハートランド」の名称で活動に取り組んでいる。1995年に社会福祉法人の許可を受けてからはさらに事業を拡大し、また2015年には「カフェふれあい」を豊島区新庁舎開庁に併せて運営するなど、東京都豊島区の障害者福祉の中心的な役割を果たしてきた。
 今日に至るまで、豊島区の精神障害者支援に先駆的に取り組まれ、現在は相談、就労や生活支援等と幅広い事業を実施し、精神障害者のみならず、高齢者を含め、多くの就労が困難な方々の地域生活を支えてきた。誰もが住み'償れた地域において、ともに暮らせるよう努力を重ね、信頼される法人として評価を受けてきたことから、今回貴財団の小倉昌男賞に「社会福祉法人豊芯会 理事長 上野容子」を推薦する。

第19回 ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

村上 和子さん

村上 和子さん

  • 社会福祉法人シンフォニー 理事長

1952年 兵庫県神戸市生まれ。
1974年 大分大学教育学部卒業後、公立学校に8年間勤務。
1990年 長男の養護学校入学を機に母親たちと「施設建設」検討開始。
1991年 住民理解を図るべく店舗型作業所開設へ方針転換すると親たちが去る。
1991年11月 ネバーランド森町店open。6畳の小物店で3人の障がい者が働く。
1992年 3月 大在店開設。隣駅付近にもテナント入居で新たに3人。
1992年12月 ケーキショップ開店。評判の菓子店から生ケーキを仕入販売。
1993年 9月 包装センター開所。葬祭返礼品を有償ボランティアと大量生産。
1996年12月 大在店閉店(隣家への窃盗犯による放火で全焼)
1997年 1月 大在店再開(数百もの市民や団体からの支えで)
1997年 1月 「五番館」(戸建て借家で宿泊練習開始:独自事業)
1998年 4月 喫茶コンパル店開設。公共施設内で働くモデルに
1998年 6月 社会福祉法人シンフォニー設立
1999年 4月 コンチェルト(授産)・ファンタジア(デイ)開設
1999年12月 知的障害者ホームヘルプサービスを県下初開始
2000年 6月 身体障害者及び児童のヘルパー事業開始
2000年10月 児童デイサービス「まーち🎵」開始(大分県初の母子分離型)
2001年 4月 (知)自立生活促進事業(「五番館」が公的事業に)
2001年 7月 短期入所事業(者・児)開始
2001年10月 地域療育等支援事業「コーラス」開始
2002年 5月 ネバーランド大津町店(社会福祉会館内)開設
2003年 3月 コンチェルトはさま分場(授産)開設
2004年 4月 同 もりまち分場開設
2004年11月 ファンタジアⅡ(デイサービス)開設
2005年 4月 福祉ホーム「ファミール中尾」開設
2005年 9月 グループホーム「ファミール下郡」を街中賃貸マンション内に
2005年11月 ネバーランドわさだ店開設(市役所支所内で市民の憩いの場に)
2006年10月 障害者自立支援法施行に伴い新事業体系へ全面移行
2007年 4月 就労継続支援A型事業「コンチェルト」開始
2008年 4月 ネバーランド県庁店(食堂利用の県職員と来庁者の理解を促進)
2009年 4月 ネバーランド大洲店(県立体育館でスポーツ関係者の理解を)
2010年 4月 ネバーランド爽風館店(学校給食を通じて高校生にも理解を)
2011年 4月 ネバーランド芸文短大店(学生食堂で大学生にも理解を)
2011年10月 同行援護事業開始
2012年 5月 放課後児童デイ「どようデイぽるか♪」開始
2012年 4月 ネバーランド看護科学大学店。医療・看護系学生の理解進む
2013年 4月 グループホーム「ファミール中尾Ⅱ」開始
2013年 5月 大分市初の市営住宅でのホーム「ファミールしきど」開設
2014年 4月 就労移行支援「コンチェルトしもごおり」で一般就労促進へ
2014年 5月 ネバーランド府内店開設により念願の警察署員の理解が進む
2015年 5月 地元高齢生産者の野菜販売所「ふれあい野菜広場」開店
2017年 3月 グループホーム・短期入所「ファミール森町」はEV付きで安心
2018年 9月 市地域生活支援拠点事業に伴う365日安心の緊急時支援事業開始
2018年 9月 就労定着支援(就職者)・自立生活支援(単身者)への支援開始

【推薦者】 塩﨑 政士さん
社会福祉法人大分県社会福祉協議会 大分県身体障害者福祉センター  参事

【推薦理由】
<はじめに>

 村上和子さんとの出会いは、30数年前に突然、私の職場を訪れてこられたことに遡る。初対面の私に唐突に「いっしょにバンドをやりませんか!」と、ひまわりのような明るい笑顔で誘われた。車いす生活をしつつも、決してうまいとはいえないギターを抱きしめて離さない私の噂を聞きつけ、障がい者バンド「ネバーランド」に引き入れてくれたのである。



<風通し良く「改善」を追求する職場風土>

 村上さんは「地域で暮らす」ことを第一にしてきたことから、ほとんどは地域に根ざした施設・職場である。その全てに共通する「素晴らしい職場風土」がある。そこには、旧態依然とした古い体質を残したかっての施設にありがちな、人を見下した倣慢な態度は微塵もなく、丁寧で穏やかな言葉遣いを用いて利用者を尊重する、どこか慈愛に満ちたいたわりの空気感が漂う。そんな中で行われる就労支援は日々、進歩し、不良品が少なく丁寧な仕上がりが評価され、高級な贈答用の菓子箱の受注も得ている。複雑な箱折り技術を用いてこれに応えるなど、工賃向上を目指した付加価値の追求はもちろん、喫茶事業などの接客業においても、絶えず従業員が働きやすいよう改善され続け、日々、様々な工夫を凝らしてきている。

く公共交通移動の可能性と「生活の質」の向上>

 さらに、村上さんは、知的障害者の公共交通移動について多大な貢献をしてきた。2009年、全国に住む45組の知的障害者とその支援者とともに「バス・鉄道による交通移動乗車実験」を行い、「専用の送迎車での移動は『居住用建物』と『活動用建物』の二点間を車輪のついたとてつもなく長い渡り廊下を行き来しているのと何ら変わりない」と指摘し、知的障害者が住み活動する世界は今よりずっと大きく広がることを明らかにした。村上さんは2012年にも大分県の支援を得て通所自立支援マニュアルを作成し、知的障がい者の自立方策を広めることに大に貢献している。

<シンフォニーとコンダクター>

 障害を持つ私自身が癒やされ、魅せられ続けた村上コンダクターが奏でるシンフォニーを、この時代、この空間だけのものとしてはならない…。日々、障害者福祉の実現を夢見て働く時代を担う多くの人々にいつか村上さんと同じ、いやそれ以上の調を奏でるタクトを引き継いでいただきたい…。
 その想いで、この度、小倉昌男賞の栄えある評価をいただきたく強く推薦する次第です。