第22回 ヤマト福祉財団 小倉昌男賞

大矢 暹さん

  • 社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会 理事長

略歴

1947年 京都府相楽郡(現・木津川市)生まれ

1966年 京都府立聾学校高等部紳士服科卒業製本工員となる

1968年 社団法人京都府ろうあ協会入職、「京都ろうあセンター」設立準備、相談事業を起こす

1969年 「京都ろうあセンター」開所

1978年 同センターは社会福祉法人京都市聴覚言語障害者センターに発展し、「ろうあ者更生施設」を併設、ろう者更生施設課長に就任

1982年 重度身体障害者授産施設・いこいの村栗の木寮を建設・開所(京都府綾部市)

1991年 京都市聴覚言語障害センター副所長に就任

1992年 特別養護老人ホーム・いこいの村梅の木寮を開所、施設長に就任

1995年 天田聴覚障害者センター設置・運営

2004年 社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会設立

2006年 特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷施設長に就任

2010年 就労継続支援B型事業所「おのころの家」開設

2011年 洲本市内でパン・焼き菓子製造販売の「おのころ屋」を開所

2012年 閉校となった中川原中学校の校舎を借り受け、「中川原高齢者・障がい者地域ふれあいセンター」として設置経営

2014年 社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会理事長就任

2014年 地域密着型のデイサービスセンター桜ケ丘を開所

2020年 「神戸長田ふくろうの杜」竣工開所

①就労継続支援B型事業所「共同作業所神戸ろうあハウス」の移転、障害者生活介護の新規実施、障害児童放課後等デイサービスの新規実施、生きがい、デイサービス事業4ヵ所展開、介護デイサービス事業の新規実施

2021年 障害者グループホーム「神戸平野ふくろうの樹」開所

<役職>

全国高齢聴覚障害者福祉施設協議会 副会長

一般財団法人全日本ろうあ連盟

  福祉基本政策プロジェクトチーム 委員

  強制不妊手術等対策チーム    委員

【推薦者】

石野富志三郎さん

一般財団法人全日本ろうあ連盟 理事長

【推薦理由】

大矢還氏は生涯を通じ一貫して、きこえない・きこえにくい人(以下きこえない人)の人権を守り、福祉向上や就労支援等に精力的に取り組んでこられた方です。大矢氏の長年の取り組みは、きこえない人が社会から排除されたり、職域が狭められていた時代から、社会の理解を得ながら職域を広げていき、事業化、制度化を進めた結果、現在のようにきこえなくても就労してやりがいのある仕事につけるようになりました。

重度重複聴覚障害者や高齢者などにも目を向け、一人も取り残さない取り組みを進め、地域の中で生きる・働くを目指し、真の意味でのインクルーシブ社会を構築しています。

1) 「人権」の目覚めと、京都の福祉支援、生活支援、職業支援の取り組み

 ろう学校卒業後、大矢氏は製本工として働きつつ、「京都ろうあセンター」 の開設準備に携わり、1969 年の開所当初から、相談員としてきこえない人の生活相談を担当し、きこえない人の暮らしを支えました。さらに「京都心身障害者職業相談室」を設置し、職業安定所への手話協力員設置制度の新設につなげました。当時の行政は手話通訳や、格談員の業務に対しての知識・経験に乏しく、大矢氏は行政と対話しながらきこえない人に必要な支援事業をーから構築していったのです。その仕組みは各地のロールモデルとして全国各地に同様の施設や事業が広がり、法制化された「聴覚障害者情報提供施設」 および事業の基礎を築くことになりました。

 1978 年には社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会の創設と、京都市聴覚言語障害センターの設立という形で実を結び、そのろう者更生施設課長に就任しました。

2)一人も取り残さないために

重度重複聴覚障害者施設と特別養護老人ホームの整備

 1982 年には、京都府綾部市における重度重複聴覚障害者更生施設「いこいの村・栗の木寮」を設置し、全国の重度重複聴覚障害者施設のモデルとなりました。1992 年には高齢のきこえない人が安心と豊かさを実感できる暮らしの場を求めて、きこえない人支援の専門性を備えた全国でも数少ない特別養護老人ホーム「いこいの村・梅の木寮」を京都の仲間とともに建設し、初代施設長に就任しました。

 大矢氏は、高鈴者福祉と障害者福祉を統合して『入所者が主人公』をテーマとし、ろう介護職員を積極的に採用。不就学等のろう高齢者がことばを獲得するための援助をし、コミュニケーションのある老後を過ごせる施設運営を行いました。

 とりわけ、特別養護老人ホームの利用者の暮らしに必要な三本柱として、「働く」「学ぶ」「自治会活動・遊ぶ」を位置づけ、利用者が「介護を受ける」だけでなく、利用者の経験を暮らしの中で生かし、手工芸品等の販売で工賃を得るなど「主人公」として暮らす環境を整えたのです。

 梅の木寮で取り組んだ「働く」「学ぶ」活動を各地域活動支援センターでも進め、地域社会で健やかに暮らせる土台を築きました。

3)一人ひとりの人生にスポットをあてる、兵庫での取り組み

 その後、兵庫に「ひょうご高齢聴覚障害者施設建設委員会」 が設立された際、それまでの実績、成果を買われ、兵庫に移住し、社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会の理事長として、建設運動に開わります。

 2006年、高齢のきこえない人を対象に専門機能を備えた、特別養護老人ホーム「淡路ふくろうの郷」 が開所し、施設長となりました。ここでも多くのろう介護職員が雇用されています。

 京都の経験を生かして地域に、廃校の学校を利用した「中川原高齢者・障がい者地域ふれあいセンター」をオープン。就労継続支援B型事業所「おのころの家」 では野菜を生産、出張所「おのころ屋」ではベーカリーを経営しています。そして、『兵庫県における聴覚障害者の実態と生活ニーズ調査』結果から、阪神淡路大震災から18 年経ってもなお「くらしの不安と深刻な孤立」 、「困窮したくらしと生活を支える社会的なサービスの乏しさ」が浮き彫りとなり、これらの課題を解決するために『ひとりぼっちゼロ』プロジェクトを立ち上げ、牽引しました。

 その結果、「神戸長田ふくろうの杜」は、就労継続支援B 型作業所、一般介護予防事業、生活介護事業、地域密着型通所介護、相談支援事業、コミュニティスペース、放課後等デイサービス等の場を担うセンターとして2020 11 月に開所しました。さらに、障害者グループホーム「神戸平野ふくろうの樹」を2021 5 月に開所し、大矢氏の活動は今もなお、広がっています。

 大矢氏は、その他研究事業にも力も入れ、特に戦時中の尼崎の軍需工場において、きこえない人が多数優秀な工員として従事した史実を調査発表し、きこえない人の職業史に一石を投じたり、聞こえないが故に語られることのなかった高齢ろう者の人生体験を次世代に継承するため、高齢のきこえない人が手話で語る映像を残し、文章に起こして世の中に発信する等、多彩な活動を続けています。

 大矢氏のこれらの長きに渡る取り組みは、入所者や利用者をはじめ、日本中のきこえない人に生きる自信と喜びをもたらしています。

以上のことから、大矢暹氏を第22回ヤマト福祉財団小倉昌男賞に推薦致します。

式典中に再生された社会福祉法人 ひょうご聴覚障害者福祉事業協会の紹介ビデオです。

川上 聖子さん (栃木県大田原市)

  • 社会福祉法人エルム福祉会 理事 hikari no café 蜂巣小珈琲店 施設長

【略歴】  

     栃木県立大田原女子高等学校普通科卒業

1985年 國學院栃木短期大學初等教育科卒業

1985年 栃木県立那須養護学校(現那須特別支援学校)講師

1986年 自営にて学習塾経営

1991年 知的障がい者地域生活ホーム 世話人

2000年 社会福祉法人工ルム福祉会障がい者グループホーム待降寮(たいこうりょう)世話人として勤務

2004年 栃木県福祉ホーム・グループホーム世話人連絡会 会長に従事

2004年 社会福祉法人エルム福祉会 障がい者グループホーム待降寮 地域生活マネージャー(事業所管理者およびサービス管理責任者)

2005年 社会福祉法人工ルム福祉会理事就任

2005年 hikari no café本店 業務指導従事

2012年 地域密着型介護保険サービス事業所 たじまの社 施設長

2014年 大田原市教育委員会委員

2014年 大田原市ありがとうの会 会長

2016年 多機能型障がい福祉サービス事業所 hikari no café蜂巣小珈琲店施設長(就労継続支援A型、就労継続支援B型、就労移行支援)

2019年 hikari no café大田原市庁舎店開店 施設長兼務hikari no caféゼネラルマネージャーに就任

2019年 hikari no café蜂巣小珈琲店 旧家庭科室を sweets工房(就労継続支援B型生産活動場所)に改装

2019年 「栃木で輝く女性20人」に選出される

<hikari no café蜂巣小珈琲店における業績>

・「第28回栃木マロニエ建築優良賞」 受賞(201611 )

・廃校利用のモデルケース:地域への貢献としてギャラリー運営、体育館、校庭を地域住民へ提供し、障がい者が関わることで理解を促進している

・大田原市のふるさと納税の返礼品として選出:hikari no caféブランドの自家焙煎コーヒー豆、クッキー、ケーキなどの売上実績が認められた

・高級食パン・焼き菓子で地産地消:県産の小麦のみを使用した高級食パンを販売。地元の有名百貨店にも出店

【推薦者】

新江 侃さん

NPO法人キャリアコーチ とちぎ県北子ども若者ひきこもり相談センター長

【推薦理由】

 候補者の父親(楡井氏) は、教員時代から、障がい者教育に力を入れ、教え子たちの卒業後の支援のため、198454歳で教頭を辞し、退職金を投じて大田原市で初めて障がい者のための「エルム共同作業所」を立ち上げた(現(社福)エルム福祉会の前身)。

 その当時から、自立した生活をさせるためには、働いて稼ぐ訓練が必要、年金と合わせて10万円あれば何とか生活できると考え、平均工賃 3万円以上を目標に支緩にあたった。稼いだお金で、ハワイ旅行に行くなど働く喜びも教え、一般就労できる障がい者も増えた。

 川上氏はその父親の意思を受け継ぎ、障がい者の住まいの場としてのグループホームを立ち上げ、地域生活マネージャーや高齢者事業の施設長を歴任し、2013年に廃校になった蜂巣小学校(私の母校)を見事にリノベーションして2016 4月に hikari no café蜂巣小珈琲店をオープン。2019年度には大田原市庁舎内に 3店舗目を開店させ、市の職員や市民の方々に親しまれている。

現在、 hikari no café全店のゼネラルマネージャーとして活躍。その活躍は目を見張るものである。私の所属する自治会組織「わらぼっち・多賀jをはじめ、地元農家等、地域の方々を巻き込んでたくさんの協力者を作り、障がい者への理解を拡げている。また、利用者も増え、生産量アップ・工賃アップに尽力している。何より、そこで働く障がい者が自信を持ち、生き生きと{働ける職場づくり、職員の支援の在り方においての川上施設長指導力および経営手腕は見事である。

 一般就労への支援にもカを入れ、2019年・2020年と毎年2名の障がい者が巣立っている。2020年のコロナ禍においても、新型コロナウィルス感染症対策を講じ、 1日も休業せずに障がい者の雇用と居場所を確保した。来客が激減する中でもできることを職員とともにアイデアを出し合い、マスク制作を始めたり、7月にレジ袋有料化こ際して、新間でエコバッグを制作。10月は食品ロスゼ口と地域の生活困窮者の方のために「もったいない♡ありがとう運動」を始め、フードバンクや共同募金会にその売り上げを寄附。ランチのテイクアウトやオンラインストア開設を行った。

 ヤマト福祉財団からの助成金で改修し広くなったパン工房からの新商品「高級食パン“恵"」や、クリスマス向けに「ゆず香るシュトレン」を販売開始。その取り組みが功を奏して2021 3月には(株)東武宇都宮百貨店の「春のパンフェスタ」に初出店した。 

 現在東武宇都宮百貨店大田原店において、常時スコーンやコーヒー豆、ドリップパックコーヒーを販売している。コロナ禍の苦境にあっても、前向きにあきらめず、障がい者のために突き進む姿勢は素晴らしいと思う。障がい者支援に情熱を注いで活躍する川上氏には様々なところから講師依頼があり、講演も行っている。

以上のことから、川上聖子さんを第22回ヤマト福祉財団小倉昌男賞に推薦致します。

式典中に再生された社会福祉法人 エルム福祉会の紹介ビデオです。