2023年09月01日 (金)

東京都立産業貿易センター浜松町館

主催者あいさつ 明日への元気を持ち帰ってください

(公財)ヤマト福祉財団 理事長

山内 雅喜

障がいのある方の現状や実践的な支援のあり方を一緒に考え、情明日への元気を持ち帰っていただきたいです。ご自身の日々の活動に生かしていただける情報を、少しでも共有できたらと思っています。

 

障害者権利条約が各所で取り上げられ、インクルーシブな社会ということも話題になっています。コロナも明けて、状況もいろいろ変わりました。インクルーシブに働くことをどのように実現していくのか、今日、講演される方々の話も聞きながら、考えていけたらと考えております。

 

ヤマト福祉財団は、1993年に宅急便を生み出した小倉昌男が、障害のある方もない方も、みんなが共に幸せに暮らせる社会、それこそインクルーシブな社会を実現すべく設立しました。今年、30年を迎えます。私達も、いろいろな形での障がいのある方の自立支援を行い、時代に合わせた形で活動していけたらと思いますし、みなさまと情報を共有しながら一緒に進んでいきたいと考えています。

 

講演 障害者権利条約とソーシャルインクルージョン 〜総括所見を学び・伝え・生かす〜

(NPO)日本障害者協議会 代表

藤井克徳氏

障害者権利条約の陰には障がいを持った人々の痛々しい歴史がありました。忌まわしい過去と言ってもよいでしょう。優生政策が、世界中を覆ってしまった。それに対する猛省の上にあるのがこの条約なのです。

 

この権利条約は、50箇条からなります。具体的に見ていくと、盛んに繰り返されている、"私たち抜きに私たちのことを決めないで" もあります。

日本政府は去年8月に初めて、ジュネーブの欧州国連本部に呼ばれて審査を受けました。外務省、厚生労働省、法務省、文科省等々、28人の役人が出向きました。1ヶ月後の9月に総括所見が日本政府へ出されました。いわば通知簿です。

 

総括所見には、日本の障がい者政策は温情主義的なアプローチだ、との指摘があります。温情主義を原文から翻訳すると父権主義。家父長制度の名残みたいなものです。

これに対して人権モデルは、「障がいは社会との関係で起きる」。当事者を真ん中に置くという考え方です。これが日本にはできあがっていないという指摘を受けました。「当事者を置き去りにした父権主義的な対応となっている」と書かれています。これは、今の日本社会全体へのイエローカードです。

 

そして、分離政策、分離処遇はだめ。インクルージョン化が必要だ、としています。B型事業はだめだとも言っています。しかし国連は実情も分かっていて、今の競争中心の労働市場に重い障がい者が入ったらどうなるのか、容易に想定がつきます。準備がいる。それで当面、今のB型事業に労働権を適用する、と言っている。労働権で、B型事業であっても、労災保険、労働安全衛生法のような規定は当てはめられる。目指すべき方向を示しながら、現実的な解決策も国連は忘れていません。

 

インクルーシブな社会づくりは政策だけではない。障がいのある人たちへの支援力を高めることが必要です。個々人が力をつけること、ついた力を全うに見てくれる社会づくり。この2つを合わせて実践です。

私たちの実践は片一方の足を事業所内へ、片一方の足を地域社会におくこと。これが、権利条約がいうソーシャルインクルージョンの、私たちに課せられている課題だと思います。

特別講演 なんの隔たりもない社会を「共に働く」就労支援の意味を問い、共に考える ~ソーシャルファームの取り組み経過から~

東京家政大学 名誉教授  (社福)豊芯会 顧問

上野容子氏

1970年代、私は精神科病院のソーシャルワーカーとして、働いていました。当時は「治療=入院」であり、病状が安定しても簡単に退院できません。その理由は、ご家族にも疎んじられた患者さんが、地域での生活を自ら諦めてしまっていたからです。その現実を知って、精神に障がいのある方の仕事、雇用する企業などの拡大に努め、さらに患者さん達の就労指導者を育成するために大学で教鞭を執るようになりました。

 

ソーシャルインクルージョンとは「だれもが共に暮らし、共に活動し、共に働くことができる社会」。しかし、いまだに精神障がいのある方は生産性と利益優先の労働から排除されています。

今は、雇用率を満たせないと、会社の名前まで公表されるので、企業は数字を上げることにやっきになってしまう雇用率優先問題があります。障がい者の方が就職したときに、果たしてその方の障がい特性を理解して仕事とマッチングできたところで働けているのか。

本人が勤めてみたけど、自分のスキルを生かせていないので転職したい、と思ってもそれがかなわないという状況もあります。

 

スタッフは職業指導員、生活指導員と呼ばれていて、一般就労を目指して必要な指導を行う役割を担っています。かつては、何をすべきかをみんなで考えて仕事を作り上げてききましたが、今の制度だと、指導を受ける、指導をするだけの関係になりがちかと思います。

一般就労がてっぺんにあり、その一般就労が難しい人が就労移行支援事業所で一般就労を目指す。それが難しければA型事業所へ。それも無理ならB型へということで、就労形態がいつの間にか階層化されています。本当はそこに上下の関係はないはずです。

 

新たな働き方を支援すべく思い悩む中で、ヨーロッパから広がってきたソーシャルファームに出会いました。当時は障がい者や、労働市場で不利な立場にある方たちのために創設されたものでした。現在、行政もソーシャルファーム認証制度を整えるなど、応援してくれています。ファームと言っても業態は食品製造やカフェ運営など自由です。大切なのは当事者たちの能力・希望とマッチングできる多様性を持つこと。そして当事者が、主体的に経営や事業に一緒に取り組み、成立させていくことです。

消費者、生産者という向き合った関係ではなくて両者が1つの生産物を供給していくことに対して、両者が知恵を出し合ってその事業を発展させていく。これがソーシャルファームの価値ではないかと思います。

小倉昌男賞受賞者講演 「なぜ高工賃を目指してきたのか」〜その先に見えてきたこと〜

社会福祉法人パレット・ミル 常務理事

中山みち代氏

パレット・ミルのパレットは絵の具のパレットではなくフォークリフトでものを運ぶときのパレット、ミルは製造工場です。この名前には『みんながいろんな色を持ち寄り、夢を描いていこう」そんな思いも込めています。そのパレットの仕事があるとのお声がけから、28年前に始まりました。

現在は、樹脂パレットのリユース、発泡スチロールの減容、木工、製菓、施設外就労など、仕事を広げています。

 

常に心がけてきたことがあります。まず高い志。障がい者だからと言われない仕事。いい加減な仕事をしていると、「障がい者はしょうがないな」と言われます。それでは続かないですし、自信を持って取り組みができないということです。

 

次に高品質。クオリティ、コスト、デリバリー。その心がけは、ものをつくる上では当たり前です。みんながその気持ちを持っていて、どうしたら毎日それを具体化していけるかをみんなで考えています。

 

そして高工賃。平均工賃を記録に残しているのが平成18年ですが、その頃にはもう65,000円ぐらいになっています。一番平均工賃が上がったのが平成23年で、76,000円。現在は7万円を越えています。給料は「自分が認められた、評価された」そんな自己肯定感を得ることで仕事への意欲もより高まっていきます。

 

ところがここでコロナです。この3年間を経て、みんな意気消沈し、何となく覇気がない。なぜか。それまでの旅行を含む余暇活動が一切、できなくなってしまったのです。

コロナが5類になったのをきっかけにいろんな取り組みをまた始めました。何のための高工賃かといえば、生活を普通にするためです。働くことは基本、基礎ではあるけど、それが全てではない。生きるためには、働くだけでは足りないのです。

 

障がいのある方の高工賃を目指すだけでなく、支えている職員も生活を楽しみ、みんなが幸せになれるディーセントライフ、それができるようにみんなで考えていくのがこれからの課題です。本当に幸せだと思える毎日が来るように、いろいろ努力をして行きたいと思います。

 

実践報告1 仲間と共に創出するインクルーシブな社会

NPO法人カムイ大雪バリアフリー研究所、チーム紅蓮施設長

五十嵐真幸氏

私の障がい名は、骨形成不全症といって生まれつき骨が弱い病気です。立って、歩いて、走って、スポーツをしてという経験、記憶はありません。物心ついたときから車椅子に乗っているので、これが普通だと感じています。

 

学生時代、私は車椅子で、自分以外は障がい者がいない、まさにインクルーシブ教育だったのかもしれませんが、通常学級で一緒にみんなと生活をしていました。階段移動、教室移動、家に帰って遊んだり、みんなが手伝ってくれたおかげで難なく過ごすことができていました。

 

卒業後の目標は仕事をする。家族の負担を減らし、自分で車を運転して好きなところに行ければ何か道は開けるんじゃないかなとしか考えていませんでした。しかし、社会には大きな壁がありました。就職先がありません。まず、履歴書が送り返されました。面接すらしてもらえません。「車椅子用トイレがないと使えないだろう。段差があるところには入れないだろう。体を動かすような仕事もあるので難しい」と言われてしまいました。

 

私のことをお伝えする機会すら設けてもらえませんでした。私ができること、車椅子について少しでも話す機会があれば、ちょっとは違ったのかなと思います。障がいがある人のことを知らないから起こる誤解や勘違い。私たちも社会を知らないから、障がいを知ってもらえない現実があるのではないか、と気づきました。

 

そこで、知ってもらえるように、NPOを立ち上げ、障がいの有無に関係なく、みんなで交流することで就職先が見つかるのではないかとの思いで始めましたが、結果的に、同じような思いを持った当事者の人たちにたくさん巡り合いました。

現在は、私たちの視点でだれにも優しい町づくりや地元・旭川の観光イベントなどを企画、セミナーの開催、たくさんの方に来てもらえるような情報発信、祭りへの参加など。本当にいろんな活動をさせていただいています。

 

私たちが目指すべきなのは環境を一緒に作ること。仕事が充実していても、家で体調を崩してしまう人がいます。お友達がいなくて、休日に何をしたらいいか分からない人もいます。仕事、活動、生活を全部ひっくるめて、みんなと一緒につくり上げていけたらうれしいなと思っています。

実践報告2 尽きないチャレンジ・これからの夢 〜奄美大島での農福連携〜

株式会社リーフエッヂあまみん 代表取締役

田中基次氏

あまみんは奄美大島の龍郷町にある人口約5700人ののどかな町にあります。私が奄美大島に移住したのが40歳のとき。41歳でもう起業したんですけど、仕事を何にしようというのはまだ決まっていなかった。ただ、施設を建てるときに立ち寄った近隣農家さんのお話を聞いて、島の農業が大変なことを知りました。

 

人手不足で所得の上がらない農家さんは、特に果樹栽培は台風に耐えるハウスが必要で、作物が台風にやられるとその年の収穫はゼロ。アルバイトをしなければならない農家さんがいるという大変な状況を聞いて、うちが手伝いますよということで、声を上げました。

 

話を聞いて分かったのは、若者がみんな島を出てしまって働き手がいないという状況。お年寄りは島の外に出ないので生産年齢人口の割合は下がります。そして障がいのある方も島の外に出て生活する選択がなかなかない。つまり、障がいのある方も島の大事な戦力だな、と思ったわけです。

 

あまみんの最初の仕事は、外作業チームの近隣農家のお手伝いで、労働対価は作物の現物支給でした。その作物を現金化したい、畑で働けない利用者さんの仕事も作りたいと、考えた末にたどり着いたのがジェラートとハーブティー製造の六次化です。在宅のパソコンチームは商品のデザインを担っています。

 

コロナ禍で観光客が減りましたが、お取り寄せブームや、奄美群島世界遺産登録など追い風を受けて、売上を伸ばしています。今後は島内循環型農業や農泊にもチャレンジ。自然保護の事業も行っています。これからも利用者さんやその土地にあった農福連携の形を考えて、地域や業種を問わず連携し、使える資源を利用しながら、持続可能で身の丈に合った豊かな地域づくりに貢献していきたいと思います。

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