導入部リレーコラム、夢をつないで、第15回。

誰もが自分らしく生きられる社会を目指して。

京都大学、教育学部、教育科学科、4回生、ゆだ、ゆい。1997年生まれ。福岡県立、京都高等学校、卒業後、2016年、京都大学、教育学部、入学。2016年よりヤマト福祉財団奨学生。主な論文、強迫的、排他的な理想としての強い障害者像。介助者との関係における、私の体験から。熊谷晋一郎、責任編集、臨床心理学増刊第11号、当事者研究をはじめよう、2019年8月、刊。

主部

介助が必要な重度障害者。私は、世間からそう呼ばれる、脊髄性きん萎縮症、エスエムエーの当事者だ。エスエムエーは、筋力が徐々に低下していく難病で、私自身も、ほぼ全ての日常生活動作、着替え、トイレ、寝返りなどに介助を要する。

そんな私は今、実家を離れ、24時間、介助者を入れて、ひとり暮らしをしながら大学に通っている。自分の選んだ大学で、自分の選んだ学問を学び、また、私生活では、自分で自分の生活の仕方を選択し、好きな時に好きなことができるという、当たり前の生活を楽しんでいる。

私がこのような生活を送れているのは、障害のある人たちの、長年の運動があったからだ。

日本では、1970年代頃から、一部の障害のある人たちが、親元や施設を離れ、他人による介助を受けながら、地域で暮らす自立生活を実践し、障害者の権利獲得に大きな役割を果たしてきた。現在、私はひとり暮らしをするにあたり、重度訪問介護などの公的介助サービスを使っているが、これも、まさに先人たちが、命をかけて闘って勝ち取ってきた制度である。今の私の生活は、先人たちが紡いできた歴史の上にあるのだ。

しかし、日本の、全ての障害のある人が、その恩恵に与れるわけではない。障害者の地域生活への理解や、制度の運用レベルには大きな地域格差があり、障害者が自立したいと思っても、それが困難な地域が依然として数多く存在する。また、能力主義に染められた社会の中で、障害のある人は、生産性や能力に欠けるものとして、排除や、抑圧を受けることもある。未だ、この社会は、障害のある人が生きやすい社会であるとは言えないのだ。そして、そのような社会は、障害者だけでなく、そのほか、多くの人々にとっても、生きづらいものであろう。

今後、私は、自分のこれまでの経験や、当事者の視点を活かしながら、本当に誰も排除せずにすみ、誰もが自分らしく生きられる社会はどのようなものか、それを実現していくためにはどうしたらよいのか、考えていこうと思う。

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