導入部受賞者を訪ねて。

介護を受ける人、する人。両方のろうあ者の生活を守りたい。

公益社団法人、大阪聴力障害者協会、副会長、廣田 しづえさん。

お訪ねしたのは、廣田さんが副会長を務める、公益社団法人、大阪聴力障害者協会が運営する、大阪ろうあ会館、介護支援課、地域活動支援センター、ほほえみです。

主部ろうあ者だから、職業訓練校に、はいれない。そんな壁から、ひとつひとつ取り除く。

ろうあヘルパーの先駆け、若い人材育成の牽引者、聴覚障害者が暮らしやすく、働きやすい社会を築く各団体の役員など、廣田さんは、さまざまな顔を持つスーパーウーマンです。

当日は、公益社団法人、大阪聴力障害者協会の運営委員長で、第12回ヤマト福祉財団、おぐらまさお賞、受賞者でもある、清田 廣さんも同席。清田さんは、高齢ろうあ者を、介護の資格を持つ、ろうあ者が支える仕組みなどを築きあげられたかたです。

おふたりの出会いはこちらですか。

「はい。当時、私は会社員でしたが、長時間のデスクワークで腰を痛めてしまい、転職することになりました。そこで、ホームヘルパーの資格を取得しようと、職業訓練校の扉を叩いたのですが、ろうあ者を教えた経験がない、コミュニケーションに問題があるなどを理由に、断られてしまいました。それを知った清田さんが、障害があるから学べないというのはおかしい、と大阪府に働きかけられ、無事に入校できたのです」。

それでも、学校側は戸惑いを隠し切れません。しかし、廣田さんの人柄と考えに共感したクラスメイトがノートテイクなどに協力。廣田さんは、ホームヘルパー1級の資格を取得し、卒業生の代表にも選ばれました。

ろうあヘルパーなら、高齢ろうあ者と気持が通じ合い、なにが必要かもわかる。

現在は、ろうあヘルパーの育成などに尽力されていますが、その理由とは。

「私が初めて訪問介護を担当した高齢のろうあ者は、手話ができませんし、文字も書けませんでした。昔は、ろう学校にかよえたのは、ある程度、家庭が裕福な人だけだったのです。そのかたとは、絵を描きながら、身振りなどでコミュニケーションしましたが、そういったかたの気持ちを汲み取り、より適切に介護できるのは、同じ、ろうあ者のヘルパーなのだと、強く感じたのです」。

廣田さんは、早速、この協会の婦人部で、ろうあ者ヘルパーの必要性と、意義を説き、その数を増やしたい、と提案します。すると、私も資格を取りたい、という声が高まってきました。

「その頃は、まだ大阪府のホームヘルパー養成講座に、手話通訳は配備されていませんでした。そこで、大阪府と交渉し、ろうあ者でも受講できるように、改善していただいたのです」。

資格を取り、実際に働く人も増えてくると、その情報は他県にも広まり、全国的な活動へと発展しますが、それとともに新たな問題点も。

「たとえば、資格があっても働く場がない地域も多い。私が会長を務める、全国ろうあヘルパー連絡協議会は、ヘルパーを派遣する事業所を、聴覚障害者団体が立ち上げ、ろうあヘルパーが働ける、場を保障する取り組みを進めています。でも、拠点は、まだ、7ヵ所しかありませんから、みんなで力を合わせ、もっと拡大したいのです」。

介護を受ける人、する人、両方のろうあ者の生活を守るため、廣田さんの活動は続きます。

写真說明

廣田さんは、この地域活動支援センターで、主任、管理者も務めています。

職業訓練校は、修了者代表となるほど、優秀な成績で卒業し、ヘルパー資格も取得。写真は廣田さん提供。

訪問介護で最初に出会ったかたは、文字も手話も知らない、高齢のろうあ者でした。写真は廣田さん提供。

廣田さんが目指すろうあヘルパーの未来。

ろうあヘルパー職種の創出。  
ろうあヘルパーの養成、資格取得支援。
  
       
  • ホームヘルパー講座の受講。
  •    
  • 管理者や主任へのスキルアップ。
  •   
ろうあヘルパーの地位の向上。
ろうあヘルパーの全国組織化、職域拡大。
  • 働く場のない地域に事業所を立ち上げ職場を創出。

導入部 2受賞の言葉。

この賞が、頑張るスタッフを勇気づけてくれます。

NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワーク、理事長、田川 精二さん。

1951年、大阪府堺市出身。1976年に、大阪大学、医学部、医学科を卒業。1979年、奈良県立、医科大学、助手。1980年、八戸ノ里クリニック勤務を経て、1989年に大阪府大東市に、くすの木クリニックを開設し、院長へ。2012年、厚労省、障害者雇用促進制度における障害者の範囲等の在りかたに関する研究会、委員、2016年から2017年、厚労省、これからの精神保健医療福祉のありかたに関する検討会、委員などを歴任。2007年に設立された、 NPO 大阪精神障害者就労支援ネットワークでは、現在も理事長を務める。

すべては JSN スタッフの功績。

この度のおぐらまさお賞の受賞は、 JSN の活動が評価されてのことだと思うと、喜びもひとしおです。

JSN の設立から12年、約450名のかたの就労を達成でき、7割近くが同じ職場で仕事を続けることができていますが、これはすべてスタッフの功績によるものです。

私はスタッフの相談役に過ぎません。私が彼らにお願いしているのは、障害のあるかたが、最初にここを訪れたときから、ひとりひとりの話をしっかりと聞き、長く働き続けられるための支援を心がけてほしい、ということだけです。でも、それはとても大変なことで、彼らにしたら、どうしたら良いのかと悩むことも多かったと思います。それでも、ずっとそれを大切に守り続けてくれています。

今後は若い世代の後押し役に。

やっと就職できても、辞めてしまうかたもいます。そんなかたが、再びここを訪れても、スタッフは、快く再就職できるよう応援しています。企業には、就職して終わりではなく、その後もずっとケアしていくことを明言していますから、安心していただけていますが、スタッフの仕事は増えるばかりです。地道な努力を続けるスタッフにとって、今回の受賞は、頑張り続ける、良いモチベーションにもなりました。

私は、今期で理事長をおり、今後は、彼らを後押しする役にまわります。安心して任せられる組織に育ってくれたことを、誇らしく思っています。

導入部 3受賞の言葉。

ろうあヘルパーの実力と地位を向上することが私の使命。

公益社団法人、大阪聴力障害者協会、副会長、廣田 しづえさん。

1955年、愛知県 豊橋市 出身。1957年、原因不明で失聴。20代から、ろうあ連盟などの青年部役員として活躍。1979年に結婚し、1993年に大阪府大阪市へ転居。積水ハウス株式会社、販促部に就職。1995年、阪神大震災後の疲労もあり退職。その後、ホームヘルパー1級の資格を取得し、大阪ろうあ会館、ろうあ者訪問家庭指導事業(平成12年、訪問介護事業)、登録ホームヘルパーとして就職。ろうあ高齢者の現状を知ることで、ろうあヘルパーの必要性を痛感し、人材育成に尽力。2003年に、全国ろうあヘルパー連絡協議会を設立し、代表に就任。2015年、公益社団法人、大阪聴力障害者協会 常任理事、2018年、大阪市聴言障害者協会 会長、公益社団法人、大阪聴力障害者協会 副会長、大阪市障害者施策推進協議会 委員、一般財団法人、大阪市身体障害者団体協議会 副会長、現在に至る。

障害のある子どもたちを守るためにもヘルパーは必要。

いま、賞をいただいた重みと、もっと全国のろうあヘルパーさんにたくさん元気を届けていかなければ、そんな思いを強く感じています。

じつは、私がホームヘルパーを志した理由は、もうひとつあります。私の息子も耳に障害があり、ろう学校に通っていました。そこで重度の重複障害の児童を持ったお母さんと出会ったのです。そのとき、「あなたの息子は五体満足でいいね。私は何もできない子どもを残して死ぬわけにはいかない」と言われてすごくショックを受けました。残された子どもたちの受け皿となるものは、いまの日本にいくつあるのか。私がホームヘルパーの必要性を強く認識したのは、そのときからだと思います。

聞こえる人と同様に研修も。

今後、ろうあヘルパーを増やしていくには、資格取得の支援だけではなく、聞こえる人と同じように仕事ができる実力を身につけ、ろうあヘルパーの地位を高めることも大事です。それには、主任とか、課長とか、責任ある立場となるための研修を受けることができるように、手話通訳保証なども必要となります。厚生労働省には毎年働きかけていますが、まだ実現できていません。でも私はあきらめません。それが、ろうあ者みんなの幸せのために、私にできる大切な使命だからです。

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